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JFRMCブログ

レーシングマシンについての記事は「その他」にもあります。

コミュニティノートへコミュニティノート

https://x.com/minakenbo/status/1941841991064780832

 泉大津市長のXにコミュニティノートが付けられました。


20リットルの軽油(C12H26)を生成するには、理論上、約14kgの炭素が必要です、大気中の二酸化炭素濃度を400ppmとすると、理論上、6万5千立方メートルの空気が必要となり、3LDKのマンション約340室分です」


 C12H26はドデカンですが、上の書き方ですと、軽油=ドデカンと読めてしまいます。書くなら、「軽油のC、Hの原子数比を12:26とする」でしょうか?

 しかし、26/12=2.17は大きすぎます。自動車の燃費測定は排ガス中のCO2、COを測定し、これを燃料の量に換算するのですが、軽油の場合H/C=1.90です(ガソリンは1.85)。
https://www.ataj.or.jp/technology/carbon_balance/carbon_balance4.html

 軽油の比重=0.862(コミュニティノートでは0.825あたり)とすると、軽油20リットルは

20×0.862×12/(12+1.9)=14.88 ㎏

になります。

 次に上の「6万5千立方メートル」を求める式は

14×22.4×1000000/(400×12)=65333 m3

  これは0℃・1気圧が前提ですので、20℃・1気圧の条件で、軽油20リットル、炭素14.88㎏に相当する大気の体積を求めると

14.88×22.4×1000000×(273+20)/(400×12×273)=74527≒74500 m3

になります。

 2023年の大気中のCO2は420ppm
https://www.data.jma.go.jp/ghg/kanshi/ghgp/co2_trend.html

で計算すると大気の体積は71000m3になります。

 まあ、コミュニテイノートの計算は「こんなにたくさんの大気が必要ですよ」というためのものですが、「軽油(C12H26)」はコミュニティノートが付くレベルだと思います。






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RACERS Vol.76  TZ500(8 )

前回、次のように書きました。

「1980年は、私にとってもっとも印象に残っている全日本750(後の500)シーズンの一つです。そんな訳で、34~37頁の1980年全日本の写真に違和感を覚えるものが多く、当時の雑誌掲載写真で確認しました」

 違和感の例は次のとおりです。※は写真が予選ではなくレース(決勝)で撮影されたものとした場合です。

34頁「最終戦、750の毛利を追う500の鈴木」 
   「1980 R10 鈴鹿」

※日本GPで毛利と鈴木が接近して走ったのはレース1~2周辺りだが、2人の前後に他のライダーが見えない。

36頁左上・写真1「1980 R10 鈴鹿」  

 水谷のTZ500のフェアリングの下に「くるまのオオス」の大きなステッカーがない。

37頁写真1「(写真タイトル)「1980 R10 鈴鹿」

 石川のTZ500が伊太利屋カラーではない。
※日本GPで佐藤と石川が接近して走ったのはレース1~2周辺りだが、2人の前後に他のライダーが見えない。

 ライターにこんな感覚を求めているのではありません、念のため。

公開校正

に RACERS Vol.76 TZ500

を追加しました。暫定版です。

 掲載写真のレース名表記の誤りも多いですし、Wikipediaの誤った記述をそのまま信用してでっち上げたような記事もありますし、校正しがいがありました。

 さて、41頁に「(1981年)ランキング上位4位までを~TZ500勢が占め~結果的にこの’81年がTZ500にとってもっとも成功したシーズンとなった」とありますが、私にとってはファクトリーマシンが得点対象外の下、TZ500ライダーが上位を独占したことよりも、1980年の方がTZ500の速さを感じたシーズンでした。

 何しろ、TZ500は排気量がTZ750の2/3なのにTZ750と同等以上の速さで、第4戦鈴鹿ではTZ500がスズキXR34H(RGB500)を破り、最終戦・日本GPではTZ750、2台のTZ500がXR34Mを抜き去り2位争いを繰り広げた(その後、TZ500の水谷の転倒に他の2人が巻き込まれて転倒)のですから。

 1980年は、私にとってもっとも印象に残っている全日本750(後の500)シーズンの一つです。そんな訳で、34~37頁の1980年全日本の写真に違和感を覚えるものが多く、当時の雑誌掲載写真で確認しました。




RACERS Vol.76  TZ500(7) Wikipedia

RACERS Vol.76  TZ500(2)

で、次の誤りを指摘していました。

35頁中列終わり~「~最終戦の日本GPではTZ500の鈴木とTZ750に乗る毛利がチャンピオンをかけて争う展開となった」
 毛利が乗ったのはTZ500。
 
写真2・3「~木下を追うのはTZ750で3位になった金谷秀夫」
 金谷が乗ったのはTZ500。

37頁写真2「’78年のA750チャンピオン#20上野真一も、’80年はTZ750で走り続けた」
 ’78年のエキスパート750チャンピオン♯20上野真一も、’80年第4戦からTZ500で走った。

 当時の雑誌記事を見ていれば間違えるはずないのになぜ間違えたのだろうと思っていましたが、Wikipedeiaの誤りを写したようですね。

Wikipediaの1980年の全日本ロードレース選手権  に次の表があり、毛利、金谷、上野がTZ750に乗っていたことになっています。

 RACERSは三栄書房発行なのですから、昔のモトライダー誌等が保管されていないのでしょうか?
 また、37頁写真2を見て、TZ500だと気が付かないのでしょうか?

 ライターの仕事ぶりがよくわかります。










RACERS Vol.76  TZ500(6)

 34、35頁の記述は Wikipediaの1980年の全日本ロードレース選手権 を参考にしたもののようですね。下はWikipediaの文で、赤文字はRACERSの35頁右列に同じ記述があるもの。


 シーズン途中までTZ350で参戦していた鈴木修(ヤマハ/プレイメイトレーシング)がTZ500に乗り始めると6戦で3位、第7戦で優勝750ccクラスでのポイントを稼ぎ、最終戦日本GP・鈴鹿では鈴木と毛利の間で750ccクラスチャンピオンをかけて争う展開となった。ポイント対象外であるヤマハスズキの500ccファクトリー車両も参戦したこの最終戦で鈴木4でチェッカーを受けポイント加算に成功し、対する毛利は上位争い中にヘアピンで他車と接触し転倒、有効ポイントを加算することができなかったため、750ccクラスチャンピオンは鈴木が獲得。3年前の350ccクラス[7]に続く全日本選手権2クラス制覇を達成した[8]ランキング2はこの最終戦を制した水谷勝(ヤマハ)が入り、毛利はランキング3位で終了した。

 赤色文字が続くところは明らかに丸写しとわかります。

 また、日本GPでの「水谷、毛利、佐藤の3人による2位(クラス1位)争いの中、水谷が転倒、これに毛利、佐藤が巻き込まれ転倒」を「毛利は他車と接触し転倒」で済ませているのも同じですね。

34頁でも

Wikipedia「最高峰クラスである750ccクラスは、シーズン中盤にほぼすべての参戦ライダーが500ccマシンに乗り換えていく年となった」

RACERS「'80年の全日本最高峰クラスである750ccクラスでは、 ほぼすべての参戦ライダーがシーズン中盤までにTZ750からTZ500への乗り換え、あるいはTZ350からステップアップをすることになった。」

 前半はWikipediaの文の前後を入れ替えただけです。
 そしてTZ350云々の記述を加えたことによって「ほぼすべての参戦ライダーがTZ350からステップアップすることになった」ことになってしまっています。


 他にもよく似た記述(しかも誤っている)があります。

 まあ、Wikipediaを参考にするのはいいんですが、当時の雑誌記事、MFJ機関誌(ネットで読める)で確認、修正して欲しいですし、文章の校正も必要です。









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