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レーシングマシンについての記事は「その他」にもあります。

スズキ モーターサイクル史 2ストロークマシンの系譜 1952-1985(2)

   公開校正に追加しました。

スズキ モーターサイクル史(リンク)

 読んでいておかしいと気が付いても、校正するとなると資料を確認しないといけないので、ちょっと時間がかかってしまいました。


 内容について一部補足します。

 1970年デイトナでスズキTR500(XR05)が優勝を逃したことについて、本書99頁に

「ロン・グラント~楽々と制するかと思われた~最終ラップで燃料切れに見舞われてしまう」

 とあります。本書が参考にした「Suzuki Motorcyces - The Classic Two- Stroke Era By Brian Long, Veloce 2018」110頁では

「~ran out of fuel on the last lap」

とあり、本書(日本語)はこれを訳したものです。

 しかし、このレースはCB750レーサーに乗るディック・マンが優勝、デイトナ200における初の日本車による優勝ですので、こんな展開ではなかった記憶があり、レース記録を確認した次第です。

 TR500がデイトナ200で首位を走りながら終盤にリタイアしたのは1972年です。原書の著者はこのレースの記憶と勘違いしたのでしょうか?

 当時のCycle Worldの記事 Daytona 72 | Cycle World | JUNE 1972

「With one lap left, and a 15sec. lead over 2nd place Don Emde, fate took over. Coming out of turn two, Perry’s chain snapped and the bike slowed to a halt,」
 
 ペリーが最終ラップにリタイアしたと誤解されることがありますが、最終ラップにチェーンが切れたのなら、残り1周ではなく残り(例えば)半周になります。レース記録でもペリーの周回数は優勝したドン・エムデ(プライベート・ヤマハTR350(空冷2気筒市販レーサー))より2周少ない51周(14位)でした。






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スズキ モーターサイクル史―2ストロークマシンの系譜 1952-1985

 今年の5月に発売された本です。最近にしては珍しい新作本ですので、出版されたこと自体は喜ばしいですね。

 ただ、日本の本らしく結構誤りがあります。ロードレース関係の記述については、後日、公開校正したいと思いますが、レース関係以外でも気になる記述があります。

 例えば、1971年に発売されたスズキGT750(2ストローク水冷並列3気筒)について

「~実績のあったCCIだった。GT750に採用するに際して、名称をSRIS(Suzuki Recycle Injection System:クランク室残留オイル還元燃焼方式」に改めたが~~1971(昭和46年)までにこのSRISの名称が全モデルに適用になっている。」(80頁)

 つまり「CCIからSRISへ名称を変更した」ということですが、CCIとSRISは別のメカニズムです。著者はCCIからCCISに名称変更したことと勘違いしたのでしょうか?

 GT750のサービスマニュアルの目次でも、CCISとSRISが並んでいます。



 また、81頁写真説明で

「クランクシャフト中央からパワーを取り出すことを示す図~「センターパワーテイクオフ」は、ポルシェの傑作レーシングマシン917も採用していた」

 とあり、80頁本文でも同様の記述があります。

 まず、3気筒ですからクランクシャフト中央は2番気筒のクランクピンですね。

 そして、ポルシェ917を例に出さずとも、1960年代の二輪レーサーエンジンで、クランクシャフトの気筒間位置から動力を取り出していることが多く、スズキ、ヤマハのロータリーディスクバルブ2気筒・4気筒、4ストロークではホンダ2気筒(一部機種)・4気筒・5気筒・6気筒などがこの方式でした。


 著者は当時の2輪レーサーエンジンの動力取出方法を知らないのかもしれません。あるいはポルシェの名前を出すことでスズキの評価を上げようとしたのでしょうか?

 なお、これらのエンジンではクランクシャフトとクラッチギア(変速機メインシャフト上)の間にジャックシャフト(動力取出シャフト)がありますし、ポルシェ917もジャックシャフトがあるのは同じです。

 しかし、GT750ではジャックシャフトはなく、クランクシャフト上のギアが直接クラッチギアに繋がっています。


0W69と0W60のスイングアーム(2)

 1982年シーズン前公開された0W60の写真。


 このスイングアームがそのまま実戦で用いられました。で、シーズン中にスイングアーム左側に補強が入ったスイングアームも登場しました。

https://amcn.com.au/wp-content/uploads/2021/01/300767.jpg


 スイングアームの縦方向に補強が入っています。

 さて、前回、右側の主部分に補強が入ったスイングアームが1982年シーズン中に登場したことを書きました。その左側がどうなっているのかよく分らないのですが、このスイングアームの縦方向に補強が入ったものかもしれません。

 ただ、1982年日本GP予選を走った(レースは台風接近により中止)木下の0W60のスイングアームは右側、左側(写真)に同じような補強が入っていました。



 さて、現存する0W60とされるマシンです。
Kenny Roberts Yamaha OW60 GP Racer | MCNews

 スイングアーム左右に縦方向の補強が入っています。ただ、スイングアームの三角部分の下側にさらに補強が入っています。このタイプのスイングアームを写真、映像で確認できません。




0W69と0W60のスイングアーム

 これは1982年シーズン前の0W60公開写真。


 第1戦でロバーツ、シーン、クロスビー、フォンタンが乗った0W60のスイングアームはこの0W60と同じに見えます。

 Marc Fontan はオランダGPでのフォンタンの0W60で、このスイングアームもシーズン前と同型と思われます。

 Boet van DulmenはオランダGP、ベルギーGPのみ0W60に乗りましたが、Boet van Dulmen の0W60のスイングアームも同様。

 なお、ロバーツは第2戦オーストリアGP以降0W61に乗りましたが、ロバーツ用0W60は引き続きいヤマハチームと共にあったので、この0W60がvan Dulmen に与えられたと思われます。


 一方、シーズン途中で、シーン、クロスビーの0W60には補強が入ったスイングアームが装着されました。

Barry Sheene ベルギーGP

Graeme Crosby ベルギーGP

 
 さて、これは1983年デイトナ200でロバーツが乗った0W69。

 0W60とは異なり、主部分が縦方向に太いスイングアームです。


 これは現存する1984年型0W69のスイングアーム。

 1983年型のスイングアーム後部に補強が入っています。なお、このマシンのフレーム番号0W69-B-302の「3」は1983年型を示すので、1984年型のフレーム本体は1983年型を改修したものと思われます。このスイングアームも同様に1983年型を改修したものでしょう。










0W69と0W60

 0W60(500㏄)をベースにしたとされる0W69(700㏄)ですが、現存する0W69-B-302のフレーム左側には補強が入っています。

 ダウンチューブ下側(路面と平行)の外側に角パイプが追加されています(黄矢印)。フレーム右側も同様。

 そして、スイングアームピボット部の前が補強されています(白矢印)。フレーム右側ではこの補強はありません。

 これは1982年シーズン前の0W60の公表写真。


 フレームの補強はありません。ただし、白矢印の補強が入った0W60フレームは、遅くとも1982年シーズン中盤に登場しました。

 一方、黄矢印の補強の入った0W60フレームについては、1982年シーズン中の写真では確認できませんでした。
 

 


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