下はライディング1969-4(MFJ)に掲載された図で「130R」と書かれており、130Rに見直しされている。
ネット上にはコース改修によって150Rから130Rになったという記述もあるが、それを裏付ける当時の資料が見当たらない。
130R-最終コーナー間直線と西ストレートが120度で交わる(ライダーは西ストレート終わりで左に60度曲がる)とすると、コーナーの半径が150mから130mになると
円弧部分:20.94m短縮
直線部分:23.04m延長
差引:2.15m延長
になる。
1962年当時、コース距離は6004mとされており、1983年、最終コーナーにシケインが設けられるまで変わらなかった(6004.15mとされることもあった)ことから、「150R」は誤記の可能性がある。
https://jfrmc.ganriki.net/zakkan/suzuka/suzuka.htm
に次の文を追加しました。
(中島の著書)「僕はオランダの知己に「塩崎定夫という日本人が自分自身が鈴鹿サーキットの設計者と名乗り出てフーゲンホルツは飾りである」と発言した事実を伝えていた。僕と交流のあったすべてのオランダ人はこれに憤慨していた~憤慨するオランダ人の中にベテラン・ジャーナリスト、ロブ・ペテルソン氏がいた~フーゲンホルツ氏が自信の言葉によって日本の鈴鹿サーキットを設計した一部始終を記録した記事~を送ってくれた」(文献1・2-3頁)
〇塩崎が語った内容は次のとおりで「フーゲンホルツは飾りである」とは語っていない。
「本田さんは「オマエが作ったコースでは誰も信用しないから、誰かガイジンを連れてこい、ガイジンなら誰でもいい」と言うんです」
「~フーゲンホルツさんの名前を出せばJAFでもどこでも話がスムーズに進みました。当時はそういう時代でした。日本人なら信用しないけど、ガイジンなら信用するというわけです(Racing on 461(2012-1))。
「フーゲンホルツは飾りである」に相当するのはライター氏の「事実上、フーゲンホルツは「名前貸し」、「権威づけ」のために担ぎ出された立場だったようだ」である。中島はライター氏の記事を塩崎の発言かのようにオランダへ伝えたものである。
フーゲンホルツの起用に「日本人なら信用しないけど、ガイジンなら信用する、というわけです」という側面があったことは否めないと思う。FIMにしろFIAにしろ日本の新参者にどういう対応をするか予想できないなら当然のことだろう。塩崎が語った内容は誤りではないだろう。
しかし、この発言だけでは塩崎がフーゲンホルツの貢献がなくフーゲンホルツを飾りと考えていたかどうかまでは分らない。どういう質問をするか、どの発言を記事にするかはライター氏の意図が反映されるからである。
塩崎は2012年に次のようにも語っている。
「誰も知らない日本の塩崎という者がつくったコースでは走ってくれないから、外国人を連れてこいと。知り合いから紹介され、オランダのサーキットを設計したフーゲンホルツ氏にコースの監修を依頼し、来日してもらった。」(日本経済新聞本社版2012/8/28)
この発言は、概略設計全体に対してなら疑問があるが、コースレイアウト設計に関しては特に問題はない。ただし、私は「監修」より「助言」の方が適切だと考える。