スイスのサーキットレース禁止令が撤廃へ。約70年を経て、コースの建設や使用が合法に | ニュース, 海外レース他 | autosport web
世界GPのスイス人チャンピオン
ルイジ・タベリ 125㏄(1962、64、66)
フリッツ・シャイデッガー サイドカー(1965、66)
ロルフ・ビラント サイドカー(1978、79(B2B)、81、83、92、93、94)
ステファン・デルフリンガー 50㏄(1982、83)、80㏄(1984、85)
トーマス・ルティ 125㏄(2005)
スイス人がロードレースを始めるためには、国外、例えばドイツでレースライセンスを取得し、ドイツ国内選手権等に出場し経験を積む必要がありました。ただし、タベリはスイスでのモータースポーツ禁止の前、1955年に世界GPで2勝していますから、スイス国内でレース出場を始めていたでしょう。
1983年8耐に出場したスイスのジャック・コルヌ(カワサキ)がレース前の式典でフランスのライダーとして紹介され、コルヌが猛抗議しました。主催者がコルヌのレースライセンス交付団体(フランスのレース運営団体)の国名=コルヌの国籍と勘違いしたものと思われます。
さて、スイスのサーキットレース禁止令が撤廃へ。約70年を経て、コースの建設や使用が合法に | ニュース, 海外レース他 | autosport web
に「1957年のミッレミリアでアルフォンソ・デ・ポルターゴ伯爵が観客を巻き込む死亡事故を起こしたことで、ヨーロッパのほぼ全域で公道レースは終焉を迎えた」とありますが・・・
四輪関係ですと、モナコ、スパ・フランコルシャン(ベルギー)、ルーアン及びクレルモンフェラン(フランス)、モンジュイック(スペイン)、ゾリチュード(ドイツ、1965年まで)が1960年代以降も用いられました。
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ホンダCB125Sは1970年に発売された125㏄4ストローク単気筒のスポーツバイクで、1975年にモデルチェンジしてCB125JXになりました。
1973年にホンダRSC※からキットパーツが市販されると、すぐにレースで活躍します。ライダーのランク別に下からノービス、ジュニア、エキスパートジュニア、セニアに区分されていましたが、1973年のノービス、ジュニア、セニア※の125㏄クラスのチャンピオンはCB125Sのライダーだったのです。
※セニアでランキング1位だった角谷新二の得点は27で、競技規則(30点未満の場合はチャンピオンとせずランキング2位とする)からするとチャンピオンではないが、歴代チャンピオン | MFJ60 ではチャンピオンとされている。
私がレースを見るようになった頃はホンダMT125R(2ストローク空冷単気筒市販レーサー)全盛時代でしたが、ノービスクラスではまた数台走っており、(騒音規制があるとはいえ)元気な排気音を響かせていたのを覚えています。
さて、先日、セントラルサーキット(兵庫県)に姿を見せた、鈴鹿レーシング(ホンダ鈴鹿工場社員のクラブ)のものとされるCB125レーサーです。

RSCのキットパーツの排気管はダウン型ですが、これはアップ型です。1973年エキスパートジュニアでランキング2位だった上田公次のCB125Sもアップ型でした。
前フォーク、スイングアーム、後クッションユニット、前後ドラムブレーキ、タンク、シートストッパーはRSCキットパーツです。

オイルクーラーが装着されていますが、これはRSCキットパーツではないと思われます。1973年の雑誌記事でもオイルクーラーを装着のマシンがあることが書かれていました。
さて、赤ゼッケンの12番ですが、当時、MFJロードレースのゼッケン12は杉本五十洋(73)、高井幾次郎(74)、金谷秀夫(75)、大脇俊夫(76)、佐藤順造(77)、飯田浩之(78)、木山賢悟(79)で、鈴鹿レーシング関係は木山だけです。1979年、木山はRSC契約でしたが、木山がこのマシンを個人で所有しゼッケン12を付けていたのでしょうか? このマシンがゼッケン12を付けている理由はよくわかりません。