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JFRMCブログ

レーシングマシンについての記事は「その他」にもあります。

ハンドリングのヤマハ(4)

http://global.yamaha-motor.com/jp/yamahastyle/yamaha-handling/list/vol04/01.html

今回はなかなか興味深い内容でした。

で、レース関係ですが・・・

根本健氏(後列右側) 1973年フランス・マクルーニサーキットにて
1972年のMFJのMVPを獲得し、 その特典として授与された世界一周チケットにて旅行中の一葉。前列左端が毛利良一選手、左から3人目がパトリック・ポンス、右端がオリビエ・シュバリエ」

という写真説明。

根本健氏がセニア750㏄クラスチャンピオンになったのは1973年、そしてこの年に毛利良一選手がEJ(エキスパートジュニア)125㏄チャンピオンになっています。1972年、毛利良一選手はまだジュニアクラスでした。
http://www.superbike.jp/superbike/page5.html

ですから、この写真は1972年ではなく「1973年のMFJのMVPを獲得し、その特典」としてのものです。

 また、マクルーニというサーキットがあったのでしょうか。Magny-Coursサーキットは有名ですが・・・

 なお、根本氏が1973年、セニア750㏄のチャンピオンを獲得した陰には、ちょっとしたカラクリがあるのですが(不正があったというような問題ではありません。根本氏は正々堂々タイトルを手にされました)、機会があれば書きます。

(2015.11.29加筆)
既に次のように修正されている。
根本健氏(後列右側) 1973年フランス・マニクールサーキットにて
1973年のMFJのMVPを獲得し
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GPレーサーミーティング


10月12日10時~
中山サーキット(岡山県)で開催されます。
主催者は丹治さんという方で、その方面では有名な方です。

メーカーの協力はなく、個人所有等のマシンが走るようです。
BS50ツイン、ヤマテイ50、バンビーンクライドラー、ホンダCR110、スズキRT66MBA125、ヤマハTR2

カワサキA7RS、カワサキH1R
等が予定されていますが、このような事情ですので、どんなマシンが走るかは現地でのお楽しみになると思います。

中山サーキットのウェブサイトのカレンダー
http://www.nakayama-circuit.com/road/schedule/?event_year=2014&event_month=10

には別のイベントがあがっていますが、この合間に行われるようです。





RACERS Volume 29

1987-88の全日本TT-F3特集、特にホンダ対ヤマハに焦点を当てています。

 私は世界GP中心としたレースファンですので、当時の全日本TT-F3について少し忘れかけていました。ですから、今回の特集は非常に興味深く読むことができました。また、前号のヨシムラ・スズキとは異なり、ホンダ、ヤマハからの技術情報の提供もある程度ありましたので、嬉しかったです。
 

 RACERSのブログ
http://racers.cocolog-nifty.com/blog/2014/09/vol29-e987.html
では辛口のコメントが多いようですが、私は80点程度の評価です。

とはいっても少し気になる記述も。

79頁 「'70年代終盤に3年連続で世界耐久選手権を制覇した”不沈艦隊”RCB」
 
    
 世界耐久選手権が始まったのは1980年。

81頁 「(RCB400について)規則でフレーム形式は変更不可なので」 
 こんなレギュレーションあったか? FZ750(クレードル)→FZR750(ツインチューブ)の変更のように、レーシングマシンとしての基本規定さえ満たせば、TT-フォーミュラの車体は自由だったはず。ただ、何年かは忘れたが、ノービス(国内A)TT-F3では市販車と異なるフレームへの交換が禁止された記憶。ライター氏はこのノービスクラスのレギュレーションを誤って解釈し、さらに国際Aに適用されると勘違いしたのでしょうか。

82頁 「さて(RCB400)NX0の燃料タンクもラバー製ガスパックである」
 パック(pack)ではなくバッグ(bag)。ゴム製燃料タンク、あるいはゴム製バッグとした方がよい。男性の股間にぶら下っているのがbag(俗語)です。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  




小松基地航空祭

土曜日に行われた小松基地航空祭に行ってました。
 
今年は例年以上の人出で、朝7時前で門の前に長蛇の列。シャトルバス以外の方だけでこれだけの人ですから・・・基地サイトによると来場者は13万2千人だったそうです。

天気もよく、予定されていた飛行展示も楽しめました。

そして、戦闘機の基地のイベントに行くようになって初めて、スクランブル発進に遭遇しました。

303飛行隊の2機が発進したのですが、写真は2番機で、搭載しているミサイルは国産のAAM-3で、空対空短射程ミサイルです。

これは帰投した1番機。

(例によって出来の悪い写真で申し訳ありません)




Replica vol.1 RZV500RーRG500ΓーNS400RーARCHIVES

内外出版のムックです。
ちょっと気になる写真が掲載されていたので購入しました。市販車の記事について私が何かを言えるレベルではありません。

レース関係の記事で気になったのは

86頁「(1980年日本GP)当日の決勝レースでは、壮絶な4位争いを繰り広げていたグループのうちの1台が転倒し、みんなが巻き添えをくった。~最終的には3位表彰台に立ってみせたのである」

「4位」ではなく「2位」。4位争いで転倒し追い上げて2位→おかしいと思わないのだろうか。
実際のレース展開はこちら。 http://jfrmc.ganriki.net/ow48/ow48-2.htm

87頁「(1982年)全戦全勝(7連勝)」

 「出場した全戦で全勝(7連勝)という記憶。

88頁「(1984年)前年使った’83年型RGΓ500貸与と」
 1984年に水谷が乗ったマシンはRGB500(市販)のはず。

98頁「(1984年型NSR500)シーズン7戦に出走して4勝をマーク」

 「6戦に出走して4勝」の誤り。

南アフリカ:スペンサーがプラクティスを走るが、レースは欠場
イタリア:スペンサー優勝
スペイン:スペンサー欠場
オーストリア:スペンサー2位
西ドイツ:スペンサーNSで出場
フランス:スペンサー優勝
ユーゴスラビア:スペンサー優勝
オランダー:スペンサーリタイア
ベルギー:NSR出場せず
イギリス:マモラ優勝、スペンサーはこれ以降欠場
スェーデン:NSR出場せず
サンマリノ:NSR出場せず
(特記ない限りマシンはNSR500)

52頁「ちなみにTTフォーミュラ1の競技規則が改正されて、'84年から2スト500㏄も参戦できるようになったため(4ストは750㏄まで)」

 1977年にTT-F1がマン島で行われた頃から2ストロークは500㏄まで。1980、1981年の鈴鹿8耐で2ストローク400㏄単気筒マシンが走っている。1984年に改正されたのは4ストロークの排気量(1000→750㏄)。
 
他にも気になる記述がありますが、あまり調べる気にはなりません。

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