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JFRMCブログ

レーシングマシンについての記事は「その他」にもあります。

KR3(ロバーツ)

 チームロバーツは1996年までヤマハからマシン貸与を受けていましたが、1997年から2ストロークV型3気筒500ccのオリジナルマシンでGPを戦いました。当初のマシンはイギリスの会社が製作したものですが、出来がよくなく、新型になります(前2気筒+後1気筒→前1気筒+後2気筒)。

 このエンジンは日本で設計・製作されたものです。
http://plaza.rakuten.co.jp/hidakayoshiaki/27000

 詳細は設計者である日高氏の著書(サムライエンジニア)をお読みいただければと思います。

 著書中に「~イギリスから国際電話がかかってきた。あるメーカーでMoto GPレース監督経験のある人からだった。」、「ケニー・ロバーツ氏~日本人二人が事務所に来た。二人は共に日本メーカーのGP監督経験のある方達だった。」とあります。この「日本人二人」はM氏とO氏ではないかと思っています。
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1980年のスズキXR34(RGB500)

 スズキXR34には後サスペンションによりXR34H(2本ショック)とXR34M(1本ショック:いわゆるフルフローター)があることが知られています。第2戦スペインGPでXR34Mが登場しますが、XR34Hも引き続き用いられました。
 さて、第7戦イギリスGPでロッシがXR34Mに乗っていたと考えていましたが、XR34Hに乗っていたことが判明しましたので、
http://jfrmc.ganriki.net/xr34/XR34-1.htm
の記述も修正しました。訂正しお詫びします。

1974年のヤマハ0W20と0W23

 1974年のヤマハYZR500は当初0W20で、中盤のベルギーGPで新型の0W23が登場、それ以降の戦績は0W23によるものという記事を多く見かけます。

 アゴスチーニはベルギーGPの後、スエーデンGPで転倒リタイア、フィンランドGPは欠場し、最終戦チェコスロバキアGPで復帰しましたが、私はこれまで、アゴスチーニがスエーデンGPでは0W23、チェコスロバキアでは0W20を使用したと考えていました。

 しかし、アゴスチーニがスエーデンGPで使用したマシンは0W20であるという結論に達しましたので、
http://jfrmc.ganriki.net/ow23/ow20-2.htm
の記述も修正しましt。これまで誤った記述をしたことをお詫びします。
 
 なお、Lansivuoriは0W23でレースに出場することはなく、最終戦までずっと0W20に乗っていました

ヤマハ・MOTO GPシーズンレビュー等

ヤマハから、MOTO-GPシーズンレビュー
http://www.yamaha-motor.co.jp/profile/sports/race/2010season-review/motogp/index.html
YZR-M1ヒストリー 2004-2010
http://www.yamaha-motor.co.jp/profile/sports/race/2010season-review/motogp/history-m1/index.html
2010YZR-M1テクニカルガイド
http://www.yamaha-motor.co.jp/profile/sports/race/2010season-review/motogp/history-m1/index.html
が公開されています。

2006年までのYZR-M1の仕様については、JFRMC内の
http://jfrmc.ganriki.net/zatu/yzr-m1-power2/yzr-m1-power-2.htm
で少しばかり触れています。

 今回、公開されたYZR-M1ヒストリーで2005→2006年型でもボア・ストロークが変更されたことが初めて明らかにされたものと思いますが・・・間違っていたら御免なさい。



 

航研機(朝日新聞の記事)

朝日新聞に航研機についての次のような記述があります。
「試作エンジンで実験していた空気に対する燃料の比率を薄くして燃費を上げる方式は当時の常識に反し、「爆発するのでは」と疑われたという。90年代に乗用車で盛んになった「リーンバーンエンジン」を半世紀も先取りしていた。完全引き込み式の車輪は世界初だ。
航研機のデザインの工夫や軽量化のための徹底した管理は、太平洋戦争初期に性能を誇った零戦や戦後の国産旅客機YS11などにも受け継がれている。後継者たちはほかの産業にも進出し、新幹線や自動車の開発など戦後の復興に貢献した。」(
https://aspara.asahi.com/blog/science/date/20101214 から引用)

 航研機の空気過剰率がそれほどでもなく、1.2~1.3程度だったという記憶です。燃費を考えるなら希薄領域で運転するのは当然(比熱比↑)で、失火(ミスファイア)寸前の空燃比で運転したのでしょう。燃費優先なら「常識に反し」はおかしな記述です。「常識に反し」というのは、「日本での常識に反し」かもしれませんが。
 

 また、「完全引き込み式の車輪は世界初だ」とありますが、航研機初飛行の1937年5月当時、
http://ja.wikipedia.org/wiki/Me109
のようにな完全引き込み脚の軍用機が「実用化」(試作ではなく)されていました。

 また、航研機の技術がその後の国産機にどれだけ活かされたかについては、私は否定的です。

 どちらにしてもこの記事を書かれた鍛冶記者は航空機の歴史や技術についての素養に欠けていることは否めず、「中学生の夏休みの宿題」レベルに留まっています。このあたりが新聞の限界で、ネット上ではこれより素晴らしい記事がいくらでも読むことが出来ます。こういう新聞記事を読むと、新聞の価値はすでに終わっており、残っているのはタイアップ記事の「三百代言」の役割だけだと思います。
 

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