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JFRMCブログ

レーシングマシンについての記事は「その他」にもあります。

ホンダオートバイレース史(三樹書房2016) (2)


147頁「荷物にもブレザーにも日の丸をつけて行かなかったという」
「オリンピックでもそうだが、何が何でも日の丸、日の丸で行くのは考えものだという思いが宗一郎氏にはあった」
「~日の丸を仰々しくかかげて行くことはない。ホンダの名前とマークだけで行け。ということだったのである」

 日本人ライダーのヘルメットには日の丸のステッカーが貼られていたし(同書155頁写真)、マシンのシートストッパーにも日の丸のステッカーが貼られていた。
ヘルメットの写真は マン島クリプスコース (ganriki.net)
シートストッパーの写真  https://msmproduction.s3.eu-west-1.amazonaws.com/s3fs-public/uploads/2015/08/Honda-1959-BobMcIntyre-RC142.jpg

Isle of Man: N Taniguchi, one of the members of the Japanese motorbike team here for the TT races has a technical discussion with the chief mechanic. They are riding Honda machines in the races. 27th May 1959 Stock Photo - Alamy







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ホンダオートバイレース史(三樹書房2016)

  この本は中沖満氏(故人)が「スポークホイール」(エヌ・エス出版)に連載していた記事を出版社がまとめ、それに出版社が写真、解説文を追加したものです。

 という訳で、中沖氏の記事の誤り、勘違いもそのままですし、解説も誤りがありますので、私が某記事で書いた「昔も今も誰かが間違えれば皆間違えるし、さらに間違いを増幅していく」の典型本になっています。

例えば
143頁
「(1959年、マン島TTレース初出場前)ホンダはノートン・マンクスで~マン島TTを連続制覇した名手、ジェフ・デュークを丁重に招いて試乗してもらう」


とあります。デュークの来日は(1959年ではなく)1960年、モーターサイクル出版社(現・八重洲出版)の招きによるもので、デュークは各社を訪問しました。これは1960年4月にスズキを訪問し、1960年マン島TT出場予定マシンに跨っているところ(試乗もした)。デュークの後ろの皮つなぎ姿は伊藤光夫。

1960-TTレ-ス初出場 本文 (iom1960.com)

 これはホンダの荒川テストコースを訪問した時のもので、1960年型250㏄(RC161)が写っている。
th_fH_09-HSC.jpg (1200×799) (mc-web.jp)

 中沖氏の大元の記事はグランプリ・イラストレイテッド1987-10だと思われます。ホンダの社員ライダーで1960年にマン島TTレース等に出場した島崎貞夫氏(故人)へのインタビューをもとにしたもので、次のように書かれています(A~Cは私が分割したもの)

A マン島用の125㏄が完成したとき、ホンダはジェフ・デュークを丁重に荒川に招き、試乗とアドバイスを求め、それに対しデュークは、「まァいいだろう」と答えた

B 僅か1,500mの直線を朝から晩まで走ることで、マシーンとライダーを鍛え、それだけでマン島に行く、という無謀さに充分な社交辞令をもって答えながら(Cに続く)

C デュークは『1冊の教科書』を渡した。(島崎氏)「これがそうです。私の20代の宝物のひとつです」(日本語に訳したもの)

 A、Bは1959年TTレース出場の前のように読めますが、Cは1960年TTレース出場前です。1959年のマン島TT125㏄はマウンテンコースでなくクリプスコースでしたし、島崎氏は1960年が初参戦なのですから、1960年出場前でないとマウンテンコースのガイドブックを読む意味がありません。

 Cがなぜか中沖氏には1959年出場前のことになってしまい、A、Bを作文したのではないかと思われます。

 また、私が 
マン島クリプスコース (ganriki.net) で書いた、イギリス人ジャーナリストによる「1959年、ホンダはマン島に行って初めてクリプスコースが用いられることを知った。デュークのマウンテンコースのガイド本で勉強していたのに」も、大元は中沖氏の記事の可能性があると思います。





 

ヤマハRZ250の商標登録

JFRMCブログ 2023年11月17日 (tou3.com)

で「審査中」としていましたが、5月に拒絶されたようです。

簡易検索|J-PlatPat [JPP] (inpit.go.jp)


「商標」にチェックを入れ、「RZ250」で検索してください。

日本馬力

馬力の種類 (ganriki.net)

を公開しました。すでにブログに書いていた内容を整理して加筆したものです。

私が仏馬力(メートル法)と異なる英馬力(ヤードポンド法)のことを知ったのはかなり前です。少なくとも1981年頃には知っていた記憶です。

 この本

エンジンの話 (1981年) (岩波新書) |本 | 通販 | Amazon

に書いてありましたから。それより前に英馬力のことを知っていたような気もしますが、よく覚えていません。1980年以前、世界GPで活躍するイギリス、アメリカのレーシングマシンは少数派でしたから、意識する必要もなかったからでしょうか。

 今回、昔の計量法の規定を調べたのは、

馬力 - Wikipedia

の次の文を知ったからです。

「日本の旧計量法では、1馬力は英馬力とも仏馬力とも違い、仏馬力をベースに重力加速度を(正確に)10 m/s2として計算した750ワットとしていた。これを日本馬力と呼んでいたことがある。日本馬力は1999年施行の計量法で廃止された」


 Wikipediaは(出典が示されていても)信用してはならないのですが、まして出典が示されていないこの記述をそのまま信用したネット記事、出版物も少なくないこともわかりました。

 という訳で、昔の計量法を調べることにしたのです。
 

公文書

大阪府警が公文書毀棄容疑で誤認逮捕 仮納付書は公文書にあたらず 摂津市(ABCニュース) - Yahoo!ニュース

「巡査部長はトラックを運転していた男性(40代)に反則金の仮納付書を手渡しましたが、その際、男性が仮納付書を破り、投げ捨てたということです。巡査部長2人は公文書毀棄容疑に当たるとして、男性を現行犯逮捕し、摂津署まで連れて行きましたが、署の幹部が仮納付書は公文書に当たらないことに気づき、誤認逮捕と判明」

 運転者が行った行為がいいか悪いかは別として、公文書に当たると判断した巡査部長が情けないですね。

 法律論でなくとも、仮納付書が運転者に渡ったのですから、運転者が仮納付書をどうするかは運転者の自由です。私の家に役所からいろんな文書が届きますが、その文書を読んで保管するのか、読んで捨てるのか、読まずに捨てるのかは私の自由なのと同じです。その結果がどうなるかは運転者の責任です。

 まあ、警察官は公務員なのですから「公文書」が何かぐらいは常識として知っておくべきです。新米ならともかく巡査部長なのですから。



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