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JFRMCブログ

レーシングマシンについての記事は「その他」にもあります。

ホンダRC164

 Bonhams Cars : The ex-Jim Redman, works,1964 Honda RC164 250cc Racing Motorcycle Frame no. RC164-103 Engine no. RC164-103

 かなり前にオークションに出されたホンダRC164(250㏄4気筒)で、エンジン番号/フレーム番号は

RC164E-103/RC164F-103

でしょう。


 さて、
世界二輪グランプリレースに出場したホンダ レース用エンジンの開発史 | 本田技術研究所 論文サイト (hondarandd.jp)
 
では

 1963年型:RC164

 1964年型:2RC164

とされていますが、オークションのマシンは、その記事からすると(エンジン・フレーム打刻がRC164であっても)1964年型になります。

 こちらはホンダコレクションホールのRC164E-102エンジン。


 エンジンの形がRC164E-103と微妙に異なりますね。

 こちらは1963年日本GPで撮影されたマシン。上のRC164E-102に似ています。




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ヤリスのリコール

ヤリス、アクア、シエンタのロアアームリコールの状況、部品が少しずつ入荷中 - MHO ENGINEERING (team-mho.com)


 私のヤリスですが、トヨタからの通知を受けて2月5日頃に電話したところ、部品がまだ届いていないというこでしたが、2月9日にディーラーから電話があり整備日の予約ができました。


 近々、ディーラーに持ち込みます。仕事にヤリスを使っているわけではありませんし、ロードスターもありますから、ディーラーに一晩預けます。

ホンダRC145

 ホンダRC145は1962年125㏄世界選手権を獲得した125㏄2気筒DOHC4バルブ6段変速のレーサーです。

 第4戦マン島TTでは高橋国光、ジム・レッドマン、ルイジ・タベリ、トミー・ロブがRC145に乗り、トム・フィリス、島崎貞夫、デレク・ミンターがCR93プロトタイプに乗りました。


 下はマン島TTのプラクティス期間中、ホンダの整備場(ホテルのガレージ)に貼られた紙。

 右端から「オイル」、「プラグ」、「オイル××・・」のようです。それ以外の列について何とか読み取って表にしました。数字が読み取りにくいので誤読の可能性が十分あります。
 なお、ロブの名前がないことがチーム内優先順位を表しているようです。

 1959~1967年のホンダRCレーサーのエンジン番号は、次のようなものです。フレーム番号ではEがFに替わります。

 1961年まで  RC●●●E-500××
 1962~67年  RC●●●Eー△××

 ●●●は機種番号ですが、その他は

 5(50、500) レーサー(あるいは開発部門)
 ××  個体番号(製造番号)
 △  仕様変更(例えば3は3番目の仕様)

を示すものと思われます。

 上の表の「F No」はフレーム番号、「E No」はエンジン番号を示しますが、1962年のレースにも関わらず、3桁だけでなく5で始まる5桁の数字のエンジン/フレームがあります。

「世界二輪グランプリレースに出場したホンダ レース用エンジンの開発史」(八木静夫)では,RC145が1961年終盤戦から走ったこと、1963年までに14勝したことが書かれています。ホンダ2気筒は1962年に10勝、1963年に3勝していますので、差の1勝は1961年のものということになります。

 本当に1961年シーズン終盤にRC145が世界GPで走ったかどうか、私には確証がないのですが、上の表の5桁のエンジン番号・フレーム番号からすると、RC145には1961年に製作されたものがあり、1962年シーズンに1962年製作RC145とともに世界GPに投入されたものかもしれません。
 
 そうだとするなら、
スプロケットがかなり異なることから、1961年製作版と1962製作版では1次減速、あるいは変速機内部ギア比が異なるようです。

・・・・・・・
 もう一つの可能性として、この「500××」のマシンはRC145ではなく2RC143E/RC144Fかもしれません。ただ、1961年シーズン、エルンスト・デグナーが乗るMZに苦戦したマシン※が1962年も走ったのでしょうか?


※1961年、ホンダは11戦8勝しましたが、個人タイトル争いでは最終戦アルゼンチン前の時点でMZのデグナー(東ドイツ)が1位、ホンダのトム・フィリスが2位でした。
 デグナーはスエーデンGPで故意リタイアし、そのまま亡命。アルゼンチンGPではホンダチームのライバルチームはなく、フィリスが優勝しタイトルを手にしました(フィリスは2位以上でチャンピオンという形勢)。

 

小型救助車

配備の小型救助車、初動入れず 移送苦慮、広域応援に課題:東京新聞 TOKYO Web (tokyo-np.co.jp)


 メーカーのウェブサイトです。

小型オフロード消防車 Red Ladybug|消防車|株式会社モリタ (morita119.jp)


 公道も走れますが大型特殊免許が必要です。また左ハンドルです。

もはやサンダーバード(国際救助隊)か! 消防車開発の“モリタ”がすごい|Motor-Fan[モーターファン]

 ベースとなったカワサキのATVとスズキの軽トラの諸元です。



 確かにオフロードの走破性は軽トラより上でしょうが、軽トラと比べると小回りが少し効かず長距離移動も困難なので機能を発揮する場面が限られるということかな。

   

 

RC146-4RC146

RC146-4RC146  HONDA (ganriki.net)

 の続き(1965年、現存するマシン等)を公開しました。

 当該頁の冒頭に

1963年世界GP最終戦日本GPで登場したホンダ125㏄4気筒について「世界二輪グランプリレースに出場したホンダ レース用エンジンの開発史」(略)では機種とレース出場時期を次のとおりとしており、日本語の大抵の記事がこれに従っている。


RC146   1963年日本GPに登場した2バルブ型
2RC146  1964年第2戦~1965年第4戦を走った4バルブ型
4RC146  1965年第5戦マン島で登場した新4バルブ型


 しかし、1964年日本GPで撮影されたマシンのエンジンは1964年東ドイツで撮影されたマシンのエンジンとは明らかに異なる。つまり1964年シーズン中、少なくとも2種類のエンジンが使用されたのである。そして、後期のエンジンは現存4RC146Eに酷似している。そこで、次の区分を想像して記事にする。想像なので信用しないでいただきたい。


RC146   1963年日本GPに登場した2バルブ型
2RC146  1964年第2戦~1964年シーズン後半を走った4バルブ型
3RC146  1964年シーズンに登場した新4バルブ型
4RC146  1964年終盤に登場した新新4バルブ型
 
 
と書いたように、「想像」ですのでご留意ください。



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