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レーシングマシンについての記事は「その他」にもあります。

公開校正

最近発売になったものです。

30頁右下写真「マン島TTレースを走る高橋氏(ゼッケン1)」

 この写真は1961年アルスターGP125㏄。

「1966年は出場した5クラス計37戦中29勝を挙げる圧倒的な戦績を収め」

 Honda | MotoGP | Honda World Grand Prix 700勝の軌跡の誤った記事をそのままコピーしたようだ。正しくは「全クラス開催レース数47、ホンダ参加42戦」

31頁「1978年にはHERTは活動を終了。1979年にHRCの前身となる組織で、市販レーサーや~RSC(レーシング・サービス・センター)が活動を引き継ぎ~~~RSC創設の前年、1977年に~」

 RSCの設立は1973年です。HRC | 歴史 | 1980年代 (honda.co.jp)
 なお、法人であるRSCの設立は1973年ですが、その前身のRSC(レーシング・サービス・クラブ)は本田技研工業の一部門でした。

参考 上記「37戦」について

 1966年の開催レース数、ホンダ参戦レース数、ホンダ入賞数、ホンダ優勝は次のとおり。

クラス 開催レース数 ホンダ参戦数 入賞数 優勝数
50 6 5 5 3
125 10 9 9 5
250 12 11 10 10
350 10 8 6 6
500 9 9 6 5
合計 47 42 36 29


 どこから「37戦」が出たのが考える。

 「日本のレーシングモーターサイクルの歴史」(1973八重洲出版)では、レッドマンが転倒負傷したベルギーGPの次のレースについて「その結果第6戦の東ドイツGPのザクセンリンクサーキットにのコース上に現れたホンダは、RC149とRC166のみだった」とあり、ヘイルウッドが出場したのは250㏄のみと誤っている。この記事を引用する例が少なくないので、これでマイナス2(350cc、500㏄)。

 ヘイルウッドが250㏄で8連勝した後のアルスターGPは、ヘイルウッドが欠場しスチュアート・グレアムがホンダ6気筒で出場しリタイアしたので、これをホンダ欠場と勘違いしてマイナス1。

 350㏄クラス、ヘイルウッドがアルスターGPで優勝しタイトル獲得し次戦マン島TTでは1周目リタイアしているので、これを「タイトル獲得後の欠場」と勘違いしてマイナス1。

 マン島TT125でホンダは上位入賞できず、6位にヘイルウッドが入賞したのみだが、これをホンダ欠場と勘違いしてマイナス1。

 合計マイナス5戦で、42-5=37戦 ではないかと思われる。

  あるいは、もっと単純に

●「3位以内入賞数は35。500㏄ベルギーがレッドマンが転倒リタイア、最終戦イタリアでヘイルウッドがリタイアしたので2を足して37」

●開催レース数47を37と誤記。

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