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レーシングマシンについての記事は「その他」にもあります。

RACERS Vol.76  TZ500(5)

https://jfrmc.tou3.com/%E6%9C%AC%E3%83%BB%E9%9B%91%E8%AA%8C/racers%E3%80%80vol.76%20%E3%80%80tz500-2-


 で、「1980最終戦日本GPで毛利がTZ750に乗った」、「上野が’80年はTZ750で走り続けた」記事の誤りを書きました。下画像は1980年日本GP公式プログラム(¥300)掲載の国際A350/750のエントリーリスト。クリックすると大きくなります。

 
 TZ750でエントリーしたのは佐藤順造だけで、TZ500でエントリーしたライダーが11人います。このうち高井、金谷はYZR500に乗りましたので(金谷は予選で転倒しレースは欠場)、TZ500でのエントリーは実質9人です。スタート直後の写真からすると、No15杉本はマシンをスズキRG500に変更したので、8人がTZ500で出場しました。




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RACERS Vol.76  TZ500(4)

 11頁の諸元表の疑問点で、潤滑方式が「混合・ドライサンプ」になっていますが、これは

エンジン:混合
変速機:ドライサンプ

の意味でしょうが、普通の人に分るでしょうか?

 また、TZ500変速機の潤滑は当時のTZ350/250と異なりオイルポンプによる強制潤滑ですが、オイルポンプは1つですし、オイルタンクがある訳ではないのですからウエットサンプです。ただ、ウェットサンプとしますと、オイルポンプなしと区別しにくいので、単に「強制潤滑」とした方がよいでしょう。


 一次減速比が2.136(47/22)になっています。こちら
https://www.tz350.net/bigbrothers.htm
では2.135となっていますが、ほぼ同じです。

 しかし、1980年型と1982年型を取りあげた当時のライダースクラブ誌の記事では2.205でした。


 TZ500の動力伝達経路は次のとおりです(変速機カウンターシャフトは省略)。赤は駆動歯車、青は従動歯車で数字は 黒数字はパーツリストに記載された歯数です。赤数字はパーツリストに記載がありませんが、一次減速比2.205なら歯数は31になります。
 また、75頁に写る1982年型TZ500のクランクギアの歯数は31です。



 TZ750のクランクシャフト-動力取出しシャフトの減速比は39/38でした。

 歯車の歯数は、(2軸を互いに同速逆回転させる等)特に必要がなければ歯数の組み合わせを「互いに素」にするのが普通です。二輪車の変速機の減速比で1.000が滅多にないのはこのためです。

 ですから、TZ500の一次減速比は2.205が正しいと考えます。

RACERS Vol.76  TZ500(3)

18~31頁の世界GP関係の写真説明の誤りが多いですね。特に不思議なのがスペインGP(ハラマ)の写真をベルギーGP(スパ・フランコルシャンまたはゾルダー)と誤っていることです。

 代表例は31頁右上のスペンサー(No23)です。1982年ベルギーGP500㏄はホンダにとって15年ぶりのGP優勝ですが、この時、スペンサーはゼッケン40でした。
https://global.honda/jp/RACERS/NS500_02/03.html

 同様に、スペインをベルギーと誤っているのは次のとおり。

19頁中左
20頁中左
21頁下
24頁下左
25頁中左(No13)
31頁左
31頁右中(No5)

 おそらく25頁右上(No43)も誤りでしょう。

 撮影年に関係なく、これだけ系統だって誤っている理由は何なのでしょう?

RACERS Vol.76  TZ500(2)

買いました。
 
 いつも思うのですが、執筆陣の方々は当時の雑誌を読んでもいないのでしょうか。空想が過ぎますね。

 例えば
34頁 「最終戦、750の毛利を追う500の鈴木」
 毛利は第4戦鈴鹿以降、TZ500で出場しています。最終戦でTZ750に乗ったのは佐藤順造1人です。

35頁「~木下が連勝、しかし、木下は急遽ボルドール24時間の参戦が決まり、その後のレースは欠場」
 マレーシアGPに出場したため3レース欠場(内、1レースは出走台数不足により不成立)、第8戦菅生では2位、第9戦、最終戦はボルドール24時間出場のため欠場。

35頁中列終わり~「~最終戦の日本GPではTZ500の鈴木とTZ750に乗る毛利がチャンピオンをかけて争う展開となった」
 毛利が乗ったのはTZ500。
 最終ランキングは下表のとおり。最終戦前の得点は次のとおり(括弧内は日本GPで優勝した場合の得点)で、4人にチャンピオンの可能性があった。
鈴木 47(65)
水谷 39(57)
毛利 50(68)
佐藤 44(56)※


 通常の得点は15、12、10、8、6~だが、日本GPでは3点が加算される。
 ベスト5戦を合計する有効得点制のため、佐藤は優勝しても12点しか加算されない。


35頁終わり「そしてTZ500の3位・水谷に続いて鈴木は4位、毛利は他車と接触してしまい転倒~」
 誤りではないが次のように書いて欲しい。
「TZ500の水谷、毛利、TZ750の佐藤が2位争い(クラス1位争い)を演じるが、13周目のヘアピンで水谷が転倒、これに毛利、佐藤が巻き込まれて転倒。水谷は素早く再スタートし3位(クラス1位)で復帰するが、佐藤はマシン破損でリタイア、毛利は再スタートが遅れる。水谷は石川、鈴木との接戦の後に3位でゴール、鈴木4位、石川5位で、毛利は9位」

36頁左上・写真1「1980 R10 鈴鹿」
  このカラーリングはR10(最終戦)決勝のものではない。水谷がTZ500で初めて出場した第6戦鈴鹿100マイルの可能性がある。

写真2・3「~木下を追うのはTZ750で3位になった金谷秀夫」
 金谷が乗ったのはTZ500。

37頁写真2「’78年のA750チャンピオン#20上野真一も、’80年はTZ750で走り続けた」
 ’78年のエキスパート750チャンピオン♯20上野真一も、’80年第4戦からTZ500で走った。


 さらに校正します。

当時の雑誌記事では佐藤(TZ750)は第8戦、第9戦に入賞していましたし、日本GP前のライディング(MFJ機関誌)に掲載されたランキング表でもその得点が記載されています。
 しかし、最終ランキング表ではその得点が見当たりません。原因として

(1)2レースとも後から失格になった。
(2)TZ750はMFJ公認車両ではなくFIM・F750公認車両として得点対象だったが、FIMの公認期限が過ぎた。
(3)最終ランキング表の誤り。

のいずれかと推測します。(2)が原因なら、佐藤は日本GP出場前にチャンピオンになる可能性がなくなっていたことになります。


RACERS Vol.76  TZ500

明日、発売です。こういう本(ムック)は通販ではなく本屋で買っています。

 アマゾンで記事のごく一部を読むことが出来ます。

 50頁に「~木下さんが、国際A級500に転向したのはTZ500が発売された’80年だ」とありますが、1980年は国際A級750㏄で、ヤマハTZ750も走っていました。国際A級500㏄になるのは1981年。
「この’80年、木下さんは序盤に2連勝して~続く中盤の3戦ではレースを欠場し、さらに終盤の2戦も欠場~」ですが、中盤欠場したのは2戦です。3戦予定されていましたが、1戦は出場者が少なくレース不成立でした。



  2連勝したレースのうち2戦目の鈴鹿は、接戦の末にスズキXR34に乗る河崎裕之を退けての優勝したレースでした。このレースに限らず、1980年の全日本選手権はTZ500によって席巻されたのですが・・・

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