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レーシングマシンについての記事は「その他」にもあります。

関係者のアルバムに残る写真説明が正しいとは限らない(マン島クリップスコース)

 この写真、ライダーの谷口尚己氏のアルバムに残るものだそうです。
https://www.instagram.com/p/BjjPMVzn4JK/?utm_source=ig_tumblr_share&igshid=drduq0m4uqaw

 ブランデッシュコーナー(Brandish=ブランディッシュ)とされていますが、この風景はブランディッシュコーナーではありません。写真右下に構造物の一部が写っていますが、ブランディッシュコーナー周辺にはこのようなものはありません。また、写真右側のコース端とマシンの位置関係、マシンの向き・姿勢からここが低速コーナーと分りますが、ブランディッシュコーナーは高速コーナーです。

 下の写真をご覧ください。路面の影(木陰)が上の写真と同じです。

https://www.motorcyclistonline.com/1959-isle-man-tt/

 この場所はパークフィールドコーナーです。スタート地点からここまではマウンテンコースと同じですが、クリップスコースではここで右に曲がります。
 現在のパークフィールドコーナー。


 プリントされた写真を整理する段階で間違えてしまった例です。アルバムに貼られているだけなら個人の思い出ですが、公にする段階ではチェックが必要です。






 

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ヤマハ250/350市販レーサーのクランクケース(2)

 1970年に登場した一般市販車RX350(R5)のエンジン打刻はR5で、350㏄空冷市販レーサーTR-3のエンジン打刻もR5、水冷市販レーサーTZ350のエンジン打刻も(いつまでかは私の中では不確かですが)R5でした。このことをもって「TR-3、TZ350のクランクケースはR5と共通」という記述もあるようです。RX350とDX250(DS7)のクランクケースは共通で、TD-3、TZ250のクランクケースも350㏄と共通ですから、250市販レーサーのクランクケースも一般市販車ものと共通ということになります。

 下はR5のクランクケースです。


 これは1977年ころの(R5の打刻のある)TZ350のクランクケースです。

 青で囲んだ部分にねじ孔部分が追加されています(右側は実際には穴は開いていません)。また、クランクシャフトベアリング保持部周辺に赤線で囲んだリブが追加されているだけでなく、保持部そのものが太くなっているように見えます。
 RX350と1977年ころのTZ350のクランクケースは、異なる型で製造されていることが分ります。エンジン打刻だけで同一部品かどうかの判断はできないのです。

 そもそも一般市販車でも、エンジン打刻の型式を示す記号(下の例ではABC)が同じであっても、〇、△が異なるとクランケースの型が異なることがあります。
 
 例
 ABC-〇◇◇◇◇◇
 ABC-△◇◇◇◇◇
 
 

ヤマハ250/350市販レーサーのクランクケース(1)

1970年に一般市販車であるヤマハDX250(輸出名DS7)、RX350(同R5)が登場し、ヤマハの250ccと350ccの並列2気筒エンジンのクランクケースが共通化されました。そしてこれら一般市販車のエンジンをベースに空冷市販レーサーのTD-3/TR-3のエンジンが製作されたのです。

 1973年には一般市販車がモデルチェンジしピストンバルブ吸気→ピストンリードバルブ吸気になりましたが、市販レーサーはピストンバルブ吸気のまま水冷化したTZ250/TZ350にモデルチェンジしました。
 
 これらマシンのクランクケースの基本型は同じで、この基本型のクランクケースが用いられた最後のマシンは250cc一般市販車RZ250Rです。1988年にマイナーチェンジされたものが最終型となりました。このマシンの製造停止がいつかは知りませんが、このクランクケースが登場してから基本型を保ちながら約20年間、様々なマシンに用いられたことは特筆すべきことだと思います。

 さて、基本型は同じであっても、全く同じではありません。例えば1979年に発表された水冷のRZ250/RZ350(RD250LC/RD350LC)では冷却水が通るごく短い経路がクランクケースを設けられましたから、以前の空冷版からクランクケースが変更されたことが分ります。
 で、一般市販車が水冷になる前の空冷市販車、水冷市販レーサーについて、クランクケースの部品番号中の機種を示す3文字がどうなっているか整理しました。


 一部、不明な機種もありますが、一般市販車とレーサーではクランクケースの機種記号が異なり、一般市販車/レーサー、それぞれの区分で250と350(400)のクランクケースが共通であることが分ります。

 ですから、一般市販車とレーサーではクランクケースが異なると思われます。では、その差は「メーカーサイドで市販車用クランクケースに追加工してレース用にする」程度のものなのでしょうか? 
(続く)












 

1959年、ホンダチームはマン島に行って初めてクリップスコースが使われることを知ったって?(2)

「1959年、ホンダチームはマン島に行って初めてクリップスコースが使われることを知ったって?」でMat Oxleyの誤った認識を取り上げましたが、その続編です。

 これは1959年1月にマン島を訪れたホンダの新妻氏、Hunt(左2人)。
 
 この場所は「Clypseコース」で紹介した場所です。二人が立っていた場所の現在はこちら。

 奥の木々は下の写真のようにかなり伐採されています。


 ここは上写真の左コーナーに続いて2つ上写真の短い直線と右コーナーがあるセクションで、「Nursery Bends」という名前が付けられていました。マウンテンコースとクリップスコースで共通の道路もありますが、ここはクリップスコースのみに用いられた道路です。 

 当たり前のことですが、ホンダは1959年1月の段階でクリップスコースの下見をしていたのです。

マン島TTに出場するマシンのゼッケンの色

 かつて世界GPに出場するマシンのゼッケンは排気量クラスごとに地色と数字の色が定められていましたが、マン島の前ゼッケンだけは全クラスとも白地に黒数字だった理由についての記事です。
https://lrnc.cc/_ct/17133761

 1960年代の雑誌やその当時の写真をまとめた本、雑誌を見れば、マン島だけでなくアルスターGP(北アイルランド)でも前ゼッケンのみ白地に黒数字だったことにすぐ気が付くと思うのですが、アルスターGPとマン島TTの区別がつかないのかもしれません。もちろん、北アイルランドはイギリス・UKの一部です。

 そして、イギリスで出版された本を見れば、世界選手権以外のイギリス国内レースでも前ゼッケンの色が同じだったことに気が付きます。今では有名ライダーとイギリス本土のサーキット名で検索すれば、いくらでも当時の国内レースの写真を見ることができます。

 したがって、上の記事は前提となる認識「マン島に出場するマシンのみが前ゼッケンの色がクラス別の色ではなく白地に黒」が誤っているので、それ以外の記述はどうでもいい内容です。なお、「1967年のライトウェイト(250㏄)TTを走るヤマハRD05Aとフィル・リード」は1968年の誤りです。1967年ならゼッケン14で、マシンの外観も若干異なります。

 さて、次の写真は1967年マン島TT125㏄の出場したマシンです。

 左のゼッケン12は本橋明泰(ヤマハRA31)で前ゼッケンは白地に黒数字です。ところが右の写真では同じゼッケン12でも前ゼッケンは125㏄クラスを示す黒地に白数字です。実は左はレース中、右は公式練習期間中に撮影されたものです。

 マン島TTの公式練習では複数のクラスのマシンが同時に走るのが通例です。これは1964年の公式練習の日程(http://www.iom1960.com/memories/iom-practice.html)

 公式練習がクラス別に行われるなら、ラップタイムの計測ではマシンのゼッケンの数字のみを確認するのですが、マン島の公式練習ではクラスも確認しなければなりません。マシンが計測地点に近づき横ゼッケンの色が見えてからでは遅いので、遠くから近づくマシンの前ゼッケンの色を確認する必要があります。そのため、公式練習時のみはクラス別の色にしていたと思われます。










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