レーシングマシンについての記事は「その他」にもあります。
RACERS Volume 54 の40頁に、1979年イギリスGP出場仕様として、バルブアングル65°とあります。
NR500を実質500㏄V型8気筒と見なすなら、ストローク36mmなので、ストローク/ボア=36/47=0.766になります。
一方、当時の4輪用4ストロークレーシンンエンジンのバルブ挟角はストローク/ボア比との兼ね合いで40度から20度の範囲にあります。ストローク/ボア比が大きいほどバルブ挟角が大きくなる傾向でした。
フォード・コスワースDFVはストローク/ボア比0.756・バルブ挟角32度で、当時の標準的な値です。このエンジンが1967年に登場しレースでも実績を上げたのですから、その先進性は高く評価されるべきです。
これと比べると1979年に登場したNRの65度は非常に大きな値で、前世期の遺物のようです。もちろん、真円ピストンと長円ピストンの違い、気筒当たり排気量の違いがあり、これらがどう影響するかはわかりませんが、65度と32度ではあまりにも違いが大きすぎます。
さて、「ホンダNRストーリー」(1992年山海堂)には次の記述があります。
「K0→初期0Xの段階では、吸排気バルブの挟角は65°に設定されていた~後に55°ヘッドが製作されることになる」(15頁)。
「デビュー戦イギリスGPとフランスGPの2戦を終えたNRメンバーは、早速NR500に生じた問題点の対策を開始した」
「シリンダーヘッドに関しては~バルブ挟角が55°から~40°に変更され、65°のときには110PSであった出力が55°のときには113PSに上がり、40°ではさらにどんどん向上していったのである」
「'79年末の時点では、エンジン出力もコンスタントに115PSを上回るようになったのである」(以上、54~55頁)
これらの記述からすると、1979年イギリスGP出場車のバルブ挟角は55度のように思えます。これでも当時としては異常に大きな値には違いありませんが。
本号は1973年から1981年のヤマハ500/750cc並列4気筒レーサーを取り上げている。このうち、500㏄は世界GPがその中心舞台だったが、750㏄は フォーミュラ750(F750、1976年までFIMプライズ、1977-79は世界選手権)、全日本選手権、その他の国際レース等が主な舞台だった。本号では全日本選手権もFもF750と書かれている。ウィキペディアの記述を本号のライター氏も信用したようだ。また、市販車ベースであることが義務付けられたレースに、ヤマハ500㏄ファクトリーマシン=YZR500がTZ750の改造車と認められて出場できたとも書かれている。
本号の最大の問題点はこのように「当時のレースがどのようなものだったかを知らないライター氏が思い込みだけで記事を書いている」ことにある。
F750、全日本選手権何れのレギュレーションもマシンの由来についても規定があったが、同じ規定ではなかった。
F750は1974年までは200台以上生産された「市販車」のエンジンを使用することとされていた。フレームの由来に制限はなく、カワサキH2R、スズキTR750(XR11)いずれもフレームは市販車と全く異なる マシンがF750に出場していたのはこのためである。そして水冷シリンダーブロック、シリンダーヘッドが空冷の一般市販車と明確に異なる(クランクケースも実は同じではない)市販レーサー・TZ350も 「市販車」には違いないので、F750に出場できた。そして1974年、市販レーサー・TZ750はレギュレーションに適合しないとされたが、1975年になるとF750は「25台以上生産されたマシン のエンジン」になったのでTZ750はF750適合になった。同時に最低排気量が251㏄から451㏄に引き上げられたため、TZ350はF750不適合になった。そして1979年には生産台数の制限はなくなった。
F750用にTZ750が市販されたにも関わらず、1974年3月31日、FIM春期会議でTZ750がフォーミュラ750の規定に適合しないことが決定された。 この混乱の原因はF750の曖昧なレギュレーションと市販レーサーTZ350の出場が1973年に認められていたことが原因であり、FIM自身の責任である。 |
一方、全日本選手権は公認車両制で、1972年から市販レーサーも公認対象となった。H2R、TR750はエンジンが一般市販車ベースであっても公認車両にはならず、FL750(フォーミュラ・リブレ750)として出場することはできた(ランキングポイント対象外)。市販レーサーTZ350も公認車両であり、全日本選手権750㏄クラスはF750ではないので、1975年にF750規定に不適合となったTZ350も全日本選手権750㏄クラスに出場することができた。また、公認車両とは異なるシリンダーヘッド、シリンダー等も「公認パーツ」として公認されれば装着することができた。
エンジン関係では、1973年シーズンのホンダCB125S(4ストローク125㏄空冷単気筒)用シリンダーヘッド等、1978年シーズン終盤に登場したホンダMT125R用水冷キットが記憶にある。 |
1974年日本GP、1975年日本GP750㏄クラスにヤマハYZR500が出場しているがFLとしての出場であり、TZ750の改造車として認められたからではない。そもそもTZ750は少なくとも1976年シーズン終盤までは公認車両ではなかった。