レーシングマシンについての記事は「その他」にもあります。
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購入しました。
一つ気になる点を指摘しておきましょう。61頁中段終わり
「-ではシリンダーの点火順序は?」
「塩原:0W61から0W76までは1番&3番が同爆の2番&4番が同爆です」
ところがその上の0W61のレイアウト図を見ると、前後気筒でロータリーディスクバルブを共有しており、図でも1番、4番の吸気ポートが開いています。つまり対角線上の気筒がそれぞれ同時点火であることを示しています。そもそも前後気筒のロータリーディスクバルブを共用する構造上、どうしたって前後気筒(1番&3番、2番&4番)で同時点火にはなりません。
塩原氏が勘違いしていると思われますが、それをそのまま掲載し、同頁下の各マシンの諸元にも記載してしまう方も問題です。
(続く)
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行ってきました。5月の連休は家庭の事情で無理だったのですが、今年は4月中旬になってからなんとか5月連休の予定が空きました。いつも岩国は無理だと思っていたので、「あれ?岩国に行けるかも」と気が付いたのは4月末。
日程は空いたのですが、連休・・・切符はなんとか確保しましたが、宿泊施設は無理、この年になってインターネットカフェを初体験しました。岩国駅から基地まで、シャトルバスは待ち時間があてにならないので、信頼できる自分の足で基地まで。西門を入り手荷物検査受けたのは8時少し前。そこから展示スペースまでが遠かった。
岩国は2014年に海自のイベントに行きましたが、今回は米軍と自衛隊の共催なので展示機数もかなり多く・・・詳しく紹介される方がいるでしょうからあえて書きません。
今回の(私にとっての)目玉の一つ、F35B。
これは展示のみで、これとは別の機体がまずデモ飛行。そしてイベントの最後でも2機飛びました。
予定にあったF16のデモも1回だけかと思っていたら2回行われ、MV22オスプレイもこれでもかと飛行。FA18D、KC130の飛行もあり、大満足。自衛隊では築城のF2がリモートで飛行展示したのみで、海自の飛行がなかったのが残念ですが、民間空港も兼ねたこの基地では、時間的に無理なのかな?
米軍基地ならではの食べ物ですが、ものすごい人で店に並ぶ時間が惜しいので、アメリカの菓子と土産に買っただけでした。
イベント終了後は往路と同じように岩国駅まで徒歩。いい運動になりました。交通も少し時間をかければ広島発の新幹線自由席に乗れるので楽でした。
でも、今日がお休みでよかった。
2016ロードスターSのバッテリーが上がりました。納車から2年ちょっとです。
昨日、50km程走行して帰宅、エンジン停止して降車、リモコンキーで施錠しようとしたが施錠できず、鍵で施錠。リモコンの電池が切れたのかと思ったのですが・・・
今日、もう一つのリモコンキーでもうんともすんとも言わない。ドアを開け閉めしても、窓ガラスが動かない(昨日は動いた)のでバッテリー上がりと判断。Vitzからブースターケーブルを繋いでエンジン始動しました。上がったのが帰宅後でよかった。
いままで、VWゴルフでバッテリー上がりを経験したことがありますが、その時はエンジン停止→降車→施錠→30分買い物→開錠→乗車→始動せず でした。今回はエンジン停止直後、すでに施錠できない状態。まさに「突然死」という症状でした。
それにしても早すぎるバッテリー上がりです。こんなバッテリーは充電しても信頼できないので、新品バッテリーに交換、税込17000円+でした。もちろん、交換前とは別のブランドです。
こんな記事があった。
http://www.virginducati.com/manofducati/md02/
(写真説明)「マイク・ヘイルウッド、19歳。ドゥカティの2気筒175ccレーサーをテストした。この後、彼はこのマシンでGP優勝を果たす」
(本文)「175ccレーサーを駆って最初の3レースをすべて3位入賞、アルスターでは初のGP優勝をもぎ取り、スタンの期待に応えるのだった」
世界選手権に175㏄クラスはない。そしてヘイルウッドのGP初優勝は1959年アルスターGP125㏄クラス。
「1957年、
175ccのMVアグスタが彼にとって初めてのレーシングオートバイだった」
125㏄の誤り。ライター氏は175㏄と125㏄の区別がつかないようだ。
「翌年から彼はホンダ・ワークスチームに参加し、マン島TTではホンダとマンクス・ノートンで優勝、
さらに250cc世界GPでは三回の優勝を果たし、シリーズチャンピオンも獲得するのである」
ヘイルウッドは1961年250㏄クラスで4勝している。マン島でのホンダによる優勝のクラス(250㏄)が書かれていないので、よく分らない文になっている。
「翌62年にはMVアグスタに乗り500㏄世界GPをも制覇、チームメイトのジャコモ・アゴスチーニとともにMVアグスタのレース史に華々しい成績を残している」
アゴスチーニがヘイルウッドのチームメイトだったのは1965年だけだが・・・なお、ヘイルウッドは1961年後半にはMVに乗っている。
「その後、再びホンダに戻ったヘイルウッドだが、計
77回ものGP優勝という記録を持った彼をしても」
76回の誤り。
「74年にニュルブルクリンクで大クラッシュに見舞われて、ヘイルウッドは
左足を損傷する」
右足の誤り。ヘイルウッドは本来、右足シフト/左足後ブレーキだったが、右足が不自由になったため、1978年の二輪カムバックの際には右足後ブレーキ/左足シフトに変えていた。
他にもおかしな記述はあるが、これくらいにしておこう。
(3)クランク中央
〇(チェーンラインが車体左の場合)ギアボックス部分が左側に寄り、チェーンラインが車体中央から大きく外れるため、エンジンを右側に寄せなければならない。
〇クラッチが奥まった場所になるため、乾式クラッチが冷えにくい。
このように考えていくと、ジャックシャフトなしでは何れの取り出し位置にも短所が多いことが分る。
ジャックシャフトを設ければ(1軸増え機械損失が増える短所はあるが)チェーンラインの問題は解決できるし、その上でクランク中央から動力を取り出せばクランク捻じれ・撓みの解決できる。
そしてヤマハ2ストローク並列4気筒がクランク2分割していた理由は次のようなことだろう
〇元々、250/350cc2気筒を2基繋げるコンセプトなので2分割が前提。
〇2分割であれば、クランクシャフトの一部が焼付いたとしても4気筒全て交換する必要がない長所もある。したがってあえて2分割する方針を変更する理由もなかった。
4ストローク並列4気筒は?詳しくは触れないが次のことを指摘しておこう。
かつて国産市販車では
A:クランク中央からチェーンでジャックシャフト駆動
B:3-4気筒間(Z1では4番気筒左クランクウェブをギアにして)からクラッチギア駆動
の2通りあった。Aでわざわざ信頼性の低いチェーンを使用しジャックシャフトという余計な軸を設けていたのは、これが一体クランク+プレーンベアリングであり、一体クランクに精密歯車を加工することができなかったからである。1976年に登場したホンダRCBも、プレーンベアリングにも関わらずクランクシャフトを2分割していたのは、精密加工した別部品のギアをクランクシャフト中央に配置するため。
そして一体クランクシャフトに精密歯車を加工できるようになると(1979年頃登場)、Aは徐々に姿を消していったのである。