レーシングマシンについての記事は「その他」にもあります。
1983年のヤマハ0W70は主燃料タンクとは別にフレームも燃料タンクとしても使う設計でしたが、「レギュレーション改正」により使用できなかったとしていましたが、「改正」ではなく「解釈変更」が正しいと思われますので、
http://jfrmc.ganriki.net/ow70/ow70honbun1.htm
の記述を修正しました。
関連して、公開公正
http://jfrmc.ganriki.net/zakkan/kousei/kousei10.htm
で言及したKR500についての指摘も修正しました。
ご迷惑をおかけしたこと、お詫びいたします。
行ってきました。
http://www.suzukacircuit.jp/soundofengine/
2日間の日程で2日とも見ることができました。2日目の天気予報は悪かったのですが、大外れで晴天でした。
いつもマシン中心に見ていますが、今回、非常に興味深かったのは、ロバーツ、ローソン、シュワンツの3人によるトークショー。特にローソンの発言に感動しました。
特に2日目の午前中のトークショーで、ローソンが、ローソンがタイトルを手にした1989年シーズンについて、観客側にいたホンダの技術者の山本さん、メカニックだった小原(こはら)さんを指して、2人に対する感謝の言葉を述べた時にはちょっと涙が出てきました。
山本さんはローソンと今でもメールのやり取りをしてる(RACERS 2015特別号)そうですから、ローソンも山本さんらが来ることを事前に知っていたのでしょう。
1978~1993の16年、この3人で8個の世界タイトルを手にしたのですが、こんな統計上の数字で表すことができないほどの印象を3人は残しています。何をもって「偉大な時代」と言うか、人によって根拠が異なるとは思いますが、私にとってまさに「偉大な時代」でした。
ロバーツは1983年、ローソンは1992年シーズンを最後にGPから引退。そして1995年シーズン前、シュワンツが1995年限りで引退する意志を示していました。鈴鹿での日本GP、シュワンツのレースシーンを見るのもこれが最後となることを覚悟し鈴鹿に行き、シュワンツのゴールを見届けたのです。そして、結果的にこれがシュワンツの最後のGPレースになりました。あれから20年、私も年を取りました。