レーシングマシンについての記事は「その他」にもあります。
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日本グランプリレースという本を借りて読んでみました。
いや、ちょっと間違いのレベルが凄いですね。こんな本を図書館に置いていいのでしょうか。
四輪に関する記述はあまりよく分りませんが、二輪に関する記述からすると相当なものだと思います。
〇1955年の浅間高原レースが、本来、「浅間高原自動車テストコース」で行われるはずだったが、コースは完成しておらず、「建設予定地の浅間牧場の敷地をメインに北軽井沢の公道を使って行われた」(35頁)とあるが、実際に「浅間高原自動車テストコース協会」が設立されたのは1956年6月。つまり公道を使用することの様々な制約を逃れるために、テストコースを造ることになったのである。
〇1957年浅間火山レースに生沢徹が125㏄クラスに出場したことになっているが(40頁)、生沢が初出場したのは1958年の第1回モーターサイクルクラブマンレース(浅間)。
〇1959年の「第3回浅間
高原火山レース」が8月22~23日に「今回はアマチュア主体のクラブマンレースへと様相を変え」行われたことになっているが「第3回浅間火山レース」が行われたのは8月23-24日で、併催の「第2回全日本モーターサイクルクラブマンレース」は8月22-24日に行われた。
〇1959年クラブマンレース125㏄で生沢がカブで3位となっているが、生沢はカブでクラブマン50㏄で2位。
〇北野元が1958年の信太山モトクロスで優勝したことになっているが(42頁)、1959年の誤り。
〇44頁の高橋国光、伊藤史朗の記述は1959年の浅間火山レースではなく、1958年のクラブマンレースの記述(しかも誤りあり)。
〇1962年のマン島TTが4、5、6日に行われたことになっているが(50頁)、4、6、8日の誤り。マン島では中1日でレースが行われるのが原則であることを知らない。
いや、間違いをチェックしだすときりがありません。笑ってしまうのは52頁に「スズキのラグナーが独走~ラグナーが転倒したコーナーは、「ラグナーカーブ」と命名された」と、勝手にデグナーカーブをラグナーカーブに改名していることです。
(続く)
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今月号の別冊モーターサイクリスト誌 109頁の記事ですが、
右上の写真説明が3気筒のスズキRP68になっていますね。ライター氏はピストンが2つしか写っていないことは認識しているのですが、「信ずる者は救われる」でもう一つのピストン、クランクは外されていると思っているようです。
この写真のエンジンは2気筒RK67のものです。
RP68の2気筒分のアッパークランクケース(他の1気筒のロアークランクケース)はこちら。
http://jfrmc.ganriki.net/rp68/p8-3.jpg
同ロアークランクケースはこちら。
http://jfrmc.ganriki.net/rp68/p8-1.jpg
RK67(14速型)のロアークランクケースはこちら。
http://jfrmc.ganriki.net/rk/k7-2-4.jpg
ライター氏は、これまでRP68もRK67の写真も見たこともなかったし、見たとしてもどこにクランク等が収まり、動力がどう伝わっていくかも分らないのでしょう。
(2/20加筆)もちろん、「14段!」と書いてあっても写真に写っている変速機は12段であることも。
なお、同頁の記事で、
アンダーソンが1963年からスズキチームに加入したことになっていますが、1961年マン島TT250㏄でスポットでスズキに乗り、1962年シーズンはスズキと契約しています。
http://www.iom1960.com/other/anderson.html
アンシャイトが1966年にスズキチームに加入したことになっていますが、1965年最終戦日本GP50㏄クラスにスズキで出場しています。
今月号のバイカーズステーション誌の106頁に全50問のクイズがあります。
実のところ、私はこのようなクイズは好きではありません。今の時代、ネットで検索すれば、正解はたいてい分ります。そんな薀蓄をただ並べることに何の意味があるのかと思います。
とはいうものの、少しだけ反応しますと・・・
38問の「エンジンのビッグエンドとは何のこと」の選択答が
A ツインカムの大きいシリンダーヘッド
B コンロッドとクランクピンの間のベアリング
C エンジンが爆発して壊れること
となっています。
おそらくBが答えだと思いますが、実は正しくありません。ビッグエンドがあるからにはスモールエンドもあります。これはコネクティングロッドの「大きい方の端部」、「小さい方の端部」のことで、それぞれ「大端部」、「小端部」という日本語があります。端部=ベアリングではありません。
43門の「マグネシウムの鋳造ホイールとチューブレスタイヤを最初に装着したレースマシンは」の選択答が
A ジョン・プレイヤー・ノートン
B アーターマチレス
C カワサキKR500
となっています。
レース記録ならともかくメカニズムについての「最初」の判断は難しいものです。ましてこの問のように「最初に装着してレースに出場したマシン」ではなく「最初に装着したレースマシン」ですから、レースに出なくてもよいという条件になると世界初を探すことは事実上困難ではないでしょうか。
仮にこの問が「最初に装着してレースに出場したマシン」だったとしても、レース記録にそのことが残っているわけではありませんし、写真が残っていたとしても、キャストホイールの材質や、タイヤがチューブ入がチューブレスかは分りません。何が最初かを特定するのは困難なのです。
http://peterwilliamsmotorcycles.com/innovations/
で、Peter was a pioneer in his field and was
one of the first to design and race
with disc brakes, cast magnesium wheels and tubeless tyres, literally
reinventing the wheel.
とあるのは、そのような意味だと思います。
ニューマチックバルブスプリング の末尾に次の文を追加しました。
補足2
「レーシングエンジン徹底研究」(林義正、1991グランプリ出版)に、デスモドロミックバルブ作動系について、次の記述がある。著名な技術者であっても間違えることはある。
「第2の利点は、カム軸の回転変動がきわめて小さくなることだ。通常はバルブスプリングの強い反力を抑え込みながらカム面がバルブリフターをこじり下げるわけで、その抵抗によりカム軸は回転変動を起こしている。カム軸の回転角度で1度くらいの作動タイミングのずれは避けられないのが現状だ。デスモドロミック方式は、これが限りなくゼロに近くなる。」
「第3の利点は、フリクションが大幅に減少することである。普通、シリンダーヘッドを組み上げた状態では、カム軸を回すのにかなりの力がいる。~バルブスプリングの反力による抵抗が原因でそれがエンジンのパワーロスにもなる。デスモドロミック方式では、ヘッドを組み上げた状態で、指先で簡単にカム軸を回せるのだ。かなりフリクションを小さくできるはずで、多気筒になるほど、高回転になるほど、このメリットは大きい。」
「レーシングエンジンにデスモドロミック機構が採用されるのは時間の問題であると私は考えている。」
1月4日発売のRACERSは、special issueとして、1983年のスペンサーVSロバーツに焦点を当てた記事となっています。ホンダ、ヤマハの日本側の関係者への新たな取材はないようで、スペンサー、ロバーツへの取材+ライター氏の記事で構成されています。
1983年のヤマハ0W70に2種類の後サスペンションがあったことが知られていますが、今回のRECERS 25頁のロバーツ回想記事では「~コースとの相性があるようで、従来のレイダウンとどちらが良いかは毎回両方を試してから決めていた。スパ(注:ベルギーGP)で新しい方を使ったのは覚えている。でも、その次のシルバーストーン(注:イギリスGP)では使わなかった気がする」
とあります。これは
http://jfrmc.ganriki.net/ow70/ow70honbun3.htmで、ロバーツが新型後サスペンション車を用いたのはベルギーGPのみとしたことを一部裏付けています。
一方、29頁のライター氏の記事では「後者(注:新型)がメインで用いられたが、コースによっては前者(注:旧型)も用いられ」とあり、新型後サスペンション車が主に用いられたことになっています。ライター氏がこのように書いた根拠を知りたいところです。