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JFRMCブログ

レーシングマシンについての記事は「その他」にもあります。

レーシングマシンの出力

こちら
http://jfrmc.ganriki.net/zatu/yzr-m1-3/yzr-m1-3.htm
で「出力は条件により変動する。例えば気温が20℃から25℃に上がれば、単純に考えて出力は(273+20)/(273+25)=0.983倍になるし、気圧、湿度も大きく影響する。気温等による補正式はあるが、補正式は補正式でしかない。さらにエンジンそのものの個体差を考慮しなければならない。また、出力をクランクシャフトからタイヤ接地面に至る経路のどの箇所で計測した値なのか示されていないことが多い。特にあるメーカーのレーサーの出力を他メーカーのレーサーと比較する際はこれらのことに注意が必要である。」

そして、こちら
http://jfrmc.ganriki.net/zatu/yzr-m1-power/yzr-m1-power.htm
で「公表される出力はクランクシャフト、変速機出力側、後車軸、タイヤのいずれで測定したものなのだろうか?それが明示されないと、複数のエンジンの出力を比較したり、出力から何かを計算しようとすると非常に困る。出力が「○馬力だからスゴイ」というための文学用語ならどうでもいいのだろうが。本頁では変速機出力側と仮定している。」

と書いていましたが、RACERS ブログによると、HRCでの測定は、変速機出力側だそうです。
http://racers.cocolog-nifty.com/blog/2013/08/hrc-b200.html

そもそも何のためにレーシングエンジンの出力を測定するかといえば、「出力が性能の指標の(大きな)一つである」ためです。
 上で書いたように、出力が様々な要因で変動するのですが、後車軸やタイヤで測定するとなると、その変動要因が、変速機出力側測定より多くなり、異なるエンジン、異なる仕様の出力を比較することが、より難しくなります。そして、エンジンと変速機が一体のユニット・コンストラクションではクランクシャフトで出力測定することは困難です。
 ですから、二輪レーシングエンジンの出力測定を変速機出力側で行うのは当然だと思います。
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漫画家の記事(3)

バイカーズステーション誌に限らず毎月購入しているバイク雑誌はありません。気になる記事があるときだけ購入するだけです。バイカーズステーション2013-3号も購入していました。

で、えのあきら氏の記事ですが、1963年のモト・モリーニ250㏄単気筒レーサーが取り上げられています。

「もしフランスGPが中止にならなかったら...もし最終戦がヨーロッパから遠く離れた地で初開催された日本GPでなければ、タイトルはモト・モリーニの手中になった可能性が大きかったと思います」

 1963年の250㏄クラスは全11戦の予定でしたが、フランスGP250㏄クラスは250㏄直前の雷雨で中止され、全10戦になりました。
 
 えの氏が「フランスGPが中止にならなかったら」と書いているのは、フランスGPのコース(クレルモンフェラン)がコ-ナーが多く、モリーニに優利と考えたからなのでしょう。しかし、モリーニが4勝したコースのうち、ホッケンハイム(ドイツ)、モンツァ(イタリア)は高速コースとして知られており、低速コース=モリーニ優位というわけではありません。

 実はフランスGP中止云々より大事なことは、「モリーニは1963年のマン島、東ドイツの2戦を欠場しており、このことがタイトル争いに大きく影響した」ことです。
 欠場の理由は、資金的な問題とも旅券の問題ともいわれています。

 えの氏はこのことを知らなかったものと思われます。


漫画家の記事(2)

今月号のバイカーズステーション誌にも、えのあきら氏の記事があります。
今回はPiovaticciの記事です。

で1975年50㏄クラスでのPiovaticciの記事ですが、「50㏄クラスでは、2位3位に各2度入賞でライダーズポイント2位となったのです。」

 実際の戦績は次のとおりです。
 優勝 1回(スェーデン)
             
 2位 3回(ドイツ、イタリア、フィンランド)
 3位 2回(オランダ、ベルギー)
 
 4位 1回(スペイン)
(全8戦)

 えのあきら氏はどんな資料を見たのか不思議です。

 また、氏のイラストで、フェアリング右のゼッケン8の下のスポンサーのステッカーが「MARLIE」と読めますが、「MAHLE」が正解です。明らかに「H」を「R」と誤読してます。こちらの写真を参照。もちろん、MAHLEは有名なピストンの会社です。
http://www.elsberg-tuning.dk/piovaticci.html

 

 ところで「Piovaticci」を「ピオバティ」と表記していますが、「ピオバティチ」とした方がよいと思います。ライダーのLazzariniはそう発音しているように聞こえます。
http://www.youtube.com/watch?v=bQyxE4WypRw (Lazzariniは右の人物)
 1分50秒あたりから何回か発音しています。イタリア語で「ci」は「チ」です。

バイカーズステーション誌の記事

今月号のバイカーズステーション誌に「1950年代のMVアグスタ125ccGPレーサー詳細写真集」という記事があります。で、69頁の記事ですが、

「~夢がかなって(125㏄)チャンピオンになったのは1952年だった。ところがこのころからドイツのNSUが力を増し、1953年はメーカータイトルを守ったものの1954年には両タイトルを奪われてしまう。しかし、MVは見事に巻き返に(原文ののまま)に成功し、1955~1960年まで125㏄クラスを守った」

 1955年にMVが125㏄タイトルを奪還できた原因は、「NSUがファクトリーマシンを撤退させたから」です。そして、1955~1960年のうち、1957年はライダータイトル、メーカータイトルいずれもFB-モンディアルに奪われています。

 
 

 ところで、今回紹介されたマシンですが、私はこの頃のレーサーについてあまり詳しくありません。ただ、68頁等の写真で、フレームのスイングアームピボット付近に「410」というフレーム番号のプレートが貼られていることがわかります。

 
 
 
 1983年に開館し1991年頃に閉館した「フジ・モーターミュージアム」に展示されていたマシンのフレーム番号も同じ「410」でしたし、外観もあまり差が認められないので、これらは同じマシンだと思います。

 
 また、69頁に「マリオ・コロンボの著書には」とありますが、この本だと思います。
http://www.amazon.co.jp/MV-Agusta-Mario-Colombo/dp/8879113879

 私が購入したのは1992年ですが、気が向いたら確認します。

漫画家の記事

バイカーズステーション誌に漫画家の「えのあきら」氏の連載記事があります。ちょっと古いですが、今月号の記事に

「(MVアグスタ)350㏄の6気筒は、強敵となった日本車に対抗すべく、多気筒化を試み、1968年に完成したマシ-ンでした。しかし、1969年に行われたレギュレーションの変更により350㏄は3気筒まで、と制限されてしまったため、レースに出場することなく消えた、幻のマシーンとなってしまいました」

とあります。
 
えのあきら氏は、350㏄の気筒数制限がされたのは1969年と思っています。そして、MVアグスタの350㏄4気筒レーサーが1971年の終盤に姿を現し、1972-74・76年に用いられたことも知らないのです(1972年は3気筒も用いられた)。3気筒に制限されているのなら4気筒がGPで走る訳はないですからね。

えのあきら氏は漫画家ですから、(原稿料をもらって書いた記事であっても)こんなもの、ということなのでしょうが、よく考えれば、この記事はえのあきら氏個人のブログに掲載されたのではなく、雑誌に掲載されたものですし、雑誌編集者がチェックすべきものです。
 「漫画家だからこんなもの」ではなく、「雑誌だからこんなもの」と言うべきですね。

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