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レーシングマシンについての記事は「その他」にもあります。

鈴鹿サーキットの設計者は誰?(6)


 Honda C72, C77, C114 and CB72 – ホンダ広告アーカイブ (4-stroke.nl) 

 1961年マン島TT125㏄で優勝したマイク・ヘイルウッドの写真がありますので、1961年後半のものではないかと思われます。

 この時点でHET MOTORPALEIS(ロッテルダム)とRAMO(エイントホーフェン)がオランダのホンダ輸入元でした。

 1960年オランダGP(6月)でヒューベルツがホンダ250㏄4気筒(RC161)に乗りましたが、これはHet MotorpaleisのHans Moerkerkがヒューベルツに乗車機会を与えたとされています。


 これはMoerkerkが

〇ホンダからいいライダーを紹介するよう依頼された
あるいは
〇ヒューベルツに250㏄4気筒を与えるようホンダに依頼した

のどちらかでしょう。1960年6月時点でMoerkerkのHet Motorpaleisがホンダ輸入元なら、これぐらいのことは当然だったと思います。









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ブレーキ液は、オイル(油)じゃない!?

ブレーキ液は、オイル(油)じゃない!?(バイクのニュース) - Yahoo!ニュース

 「ブレーキオイル」も誤りではないと思います。
 「ブレーキフルード」と呼ぶ一番の理由は、無能な整備士がエンジンオイルをブレーキオイルとして使わないようにするためでしょうか?


 「水と油」というように水と容易に分離できるものを油ということも多いですし、英語でも乳化剤関連でw/o、o/wという用語があるように、o(oil)はw(water)と分離するものとなっています。

 しかし、法令よっては水溶性の可燃性液体も「油」になります。例えば廃棄物の処理及び清掃に関する法律では廃アルコールは「廃油」という分類です。

 私は、「油」は元々「燃える液体」ぐらいの意味だという認識です。「醤油」の「油」は「とろりとした液体」ぐらいの意味のようですね。

 難しく考えて区分するほどのことはないと思います。
・・・・・・・・・
 燃えない油もあります。ドライクリーニングでは石油系溶剤かテトラクロロエチレンが用いられますが、テトラクロロエチレンは常温では可燃性ではありません。この辺りは「元々は〇〇だったけど、最近は◇◇も含む」例でしょう。

 




 

鈴鹿サーキットの設計者は誰?(5)(加筆あり)

鈴鹿サーキットの設計者 (ganriki.net)

の「3 中島のその他の記事について」の「(1)検証1 はたしてモーカルク氏は実在の人物だったのか?|Takahiko Nakajima (note.com)

 に次の記事を追加し、(2)も修正しました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
「結果2 モーカルクというファミリーネームはオランダには存在しない」(MOCALC、MOHKARUC、MOUKALCなどを照会した結果)
「~「モーカルク氏」について(中島の)オランダの友人は誰ひとりとしてそのファミリーネームをオランダ国内で聞いたことがないというのである。すべてが捏造の疑いがあるのである」(文献1・18頁)

 「~オランダのロッテルダムでホンダ販売店「ヘッド・モト・パリス」のモーカルク氏の紹介により塩崎氏らはジョン・フーゲンホルツ氏と知り合ったという話」に対する検証結果と、それを元にした捏造疑惑だが、中島の調査方法で得られた結果1が誤りだったことから、結果2の価値も低い。そもそも「モーカルク」はカタカナなのでオランダに存在しないのは当然であり、結果2の正しい結論は「MOCALC、MOHKARUC、MOUKALC等というファミリーネームはオランダには存在しない可能性がある」である。

 ヘッド・モト・パリスはHet Motorpaleis、モーカルクはHans Moerkerkである。1960年オランダGP250㏄クラス(6月)でヤン・ヒューベルツがホンダ4気筒に乗り7位となったが、これはMoerkerkがヒューベルツに乗車機会を与えたことによるもので、1960年6月時点でのMoerkerkとホンダとの深い関係を示している。出典Kjmv clubdag hmr134 by Peter van der Zon - Issuu(写真は1961年以降のもの)

  Het Motorpaleisは後にヤマハ輸入元になったが、写真(リンク)がMoerkerkと思われる。




多摩テック

なつかしい映像


バズーカ砲 43秒あたり

 確かソフトボールを撃ちだしてた記憶です。結構、好きでした。

ゴーカート 1分35秒あたり 

 一番の楽しみでした。走路がコンクリートではなく走路の下が丸見えになっている箇所があった記憶がありましたが、そのとおりでした。

 それ以外の乗り物も乗ったような気もしますが、よく覚えていません。

 私がよく連れて行ってもらったのは、この映像より前です。




鈴鹿サーキットの設計者は誰?(4)

鈴鹿サーキットの設計者 (ganriki.net)

の続きを追加しました。

 オランダのホンダ販売店の件は前にブログ
JFRMCブログ 鈴鹿サーキットの設計者は誰? (tou3.com)
で書いた内容とほぼ同じです。

 前にも書きましたが「サーキットの設計」とは何なのか? が整理されないままの論争は不毛です。そして、中島氏のウェブサイトにある
ジョン・フーゲンホルツ氏が鈴鹿サーキットの設計者である証拠リスト (takahikonakajima.com)

の「誰々が鈴鹿サーキットの設計者はフーゲンホルツと書いた」云云に大した意味はありません。「誰々はなぜそのような判断をしたのか」が大事です。




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