レーシングマシンについての記事は「その他」にもあります。
に行き、記念にヤルノ・サーリネンのクリアファイルを買いました。2019年開催の特別展の記念商品の売れ残りのようです。当時200円でしたが、300円になっていました。
特別展の記事
https://lrnc.cc/_ct/17265825
(「1972年、フィンランド・イマトラGPの250ccクラス表彰台。J.サーリネンは2戦を残してチャンピオン決定しましたが~」の太字は「1戦」の誤り。残り1戦はスペインGP)
私がバイクに興味を持ち初めて購入したバイク雑誌にサーリネン、パソリーニの死亡事故の記事がありました。それ以来、私にとってサーリネンは特別な意味を持つ名前です。
上の記事では2種類のクリアファイルが写っていますが、私が購入したのは下のもの。もう1種も売っていました。
上の記事の冒頭の写真がクリアファイルにもありますが(左側の右上)、サーリネンの肩から下がっている布片にフィンランド語で「Voittaja 250cc」(250㏄勝者)と書かれています。
1960年代にスズキに乗り50㏄2回(63、64)、125㏄2回(63、65)世界チャンピオンになったライダーです。
1966年最終戦日本GPを最後に世界GPから引退したのですが、スズキ時代に彼のメカニックを務めたのが永田選さん(故人)です。
永田さんはスズキのGP撤退後の1968年7月にスズキを退社し永楽モータースを経営されたのですが、アンダーソンとの親交は続いていたようです。
アンダーソンは1991年に来日し筑波サーキットのレースに出場しましたが、
http://iom1960.com/other/anderson-1991.html(元スズキの中野さんのサイト)
レースの翌日にアンダーソンは永田さんと会ったようです。永田さんが持っていたアンダーソンのサイン入りジャンパー(ブルゾン)。
To Nagata San
From Your Good
Friend 24.11.91
Anchung
と書かれています。日付はレースの翌日です。
Anchungは「アンちゃん」です。アンダーソンがスズキチームの面々から「アンちゃん」と呼ばれていたことが中野さんのサイトに書かれています。
http://iom1960.com/other/anderson.html
アンダーソンの自伝にもAnchungと呼ばれていたことが書かれていたので、このブルゾンの文字はアンダーソンが書いたものです。
このジャンパーはアンダーソンと永田さんの深い関係を如実に表すものといえるでしょう。
RK67 SUZUKI (ganriki.net)
に写真を追加しました。
RK66
RK67
両エンジンのクランクケース後部の形状が異なることが分ります。