標題の雑誌が発売されました。ケニー・ロバーツの乗ったマシンの特集で、Vol1と同様、買う価値はあります。
ただ、前作と異なり気になる点があります。それは54頁からコーナーで、「エンジニアお三方の取材を中心に、ライター吉村誠也さんと編集部独自の調査や、過去の『ライディングスポーツ』の記事を元にお伝えします」とあるように、技術者の証言とライター等の記事が並べられおり、どこまでが技術者の証言なのかわからなくなってしまっています。技術者の証言と検証が不十分な記事を同列に扱うべきではありませn。
例えば、Q50で「0W70のリヤショックがボトムリンク式に変わったのは第10戦イギリスGP」とありますが、これは間違いです。ボトムリンク型は第3戦イタリアGPで姿を見せプラクティスを走りましたが、レースで用いられたのは第9戦ベルギーGPのみです。同じ間違いでも吉村さんの間違いと、技術者の間違いとでは全く意味が異なります。
http://racers.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/1224racersvol-3.html
ヤマハにあまり資料がないようですから、吉村氏(又はライスポの記事)の間違いだと思いますが・・・
http://noda-kenichi.hp.infoseek.co.jp/ow70/ow70honbun3.htm
にロバーツが用いたマシンを整理しています。吉村さん(又はライスポの記事)が間違えているなら、これで十分かと思います。技術者が間違えているなら、私の記事の根拠を示す必要があるでしょう。
(12月29日、件の記事がライスポの記事かもしれないので加筆しました)
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1967年日本GPでカワサキ125cc4気筒KR3(KA-Ⅱ)が登場します。そして、金谷、森下が3、4位入賞しますが、もう1人カワサキに乗ったライダーがいます。ホンダで有名な谷口尚己です。(敬称略)
しかし、谷口選手のマシンは、スタートでエンジンがかからずリタイアしています。
谷口選手のマシンについて
http://noda-kenichi.hp.infoseek.co.jp/rs67/rs67-1.htm
では、KR3としてきました。当時の雑誌等をみてもそのあたりの記述はありません。
で、そこに掲載した写真
http://noda-kenichi.hp.infoseek.co.jp/rs67/s7-jgp-2.jpg
の元の写真をよくみると、谷口選手のマシンは他の2人のマシンと明らかに異なり、エンジン部分の幅が大きく見えますので、谷口選手のマシンはKR2に修正しました。
別冊モーターサイクリスト2010-1号93頁の年表についてですが、
・1973年 CB125JXエンジンベース 4サイクル空冷5速とありますが
1972年に発売された「CB125JX」は2気筒です。
http://www.honda.co.jp/news/1972/2720819.html
レーサーのベースになったのは単気筒のCB125Sです。
1975年に単気筒のCB125JXが発売されます。
http://www.honda.co.jp/news/1975/2750430.html
次の年表では1972年にCB125Sの後継として単気筒CB125JXが登場するようになっていますが、間違いです。
http://www.honda.co.jp/pressroom/library/motor/sports/cb_cbx/index2.html
CB125S用キットパーツには「5速」と「6速」がありましたが、「6速」が主に用いられたようです。
・1977年 ワークスに水冷MT125R-LCとありますが、水冷MT-Rが登場したのは1978年日本GPだったと記憶しています。
・1980年 ワークスに2気筒(RC125M用)とありますが、2気筒125は1981年日本GPで登場し優勝(一ノ瀬)したような記憶です。
・1981年 ヤマハTZ125販売中止 1981年型TZ125は市販されていた思います。1981年の雑誌にも記事があります。記事掲載の後に「販売中止」されたのでしょうか。
市販レーサーについては詳しくないので、この程度にしておきます。
http://www.geocities.jp/noda_keni/y/ow31/ow31.htm
の末尾に0W31-E-808について追記しました。
リンク先サイトではエンジンについてしか0W31に関わる記述がないので、車体はTZ750ベースかもしれません。