レーシングマシンについての記事は「その他」にもあります。
[
29]
[
30]
[
31]
[
32]
[
33]
[
34]
[
35]
[
36]
[
37]
[
38]
[
39]
技術的な頁については後々書くとして、現段階では・・・
69頁最下行
※4 λ=1/r の分子が「いち」なのか「エル」なのかはっきりしませんが、
λ=ℓ/r(ラムダ イコール アール ぶんの エル)
です。コンロッド長/クランク半径 です。
71頁の出力記述と86-87頁諸元表を対比するとかなり違いますね。
RC164 45.6/13500 →45.6/14000
2RC165 54.3/17500 → 記載なし(左記出力はRC165のもの)
3RC165、RC166 56.8/18500 → (RC166のみ)56.8/17500
RC166B 59.2/18400 → 59.2/18500
エンジンの出力は個体差がありますし、同一個体ですら(補正式があっても)気象条件等によってばらつきます。
ただ、上の食い違いは単にライター氏のミスのような気がします。
また、86-87頁の諸元表、いろいろおかしな数値があります。例えばレースに出なかったRC140が
最大トルク発生回転数>最高出力発生回転数
になっており、最高出力も18PSと、よく知られた(86-87頁に記載はないが)RC142の最高出力17.3PSを上回っています。
また、500㏄のRC181、2RC181とすべきところがRC180(1965年製作の450㏄)、RC181になっています。
また、マシンによっては
最大トルク時の出力>最高出力
になっています。
このあたりはもっと整理します。
54頁
「(レッドマンの写真説明)なお、'63ダッチTTでのハットトリックは、彼が初めて成し遂げた偉大な記録だった」
1963年ではなく1964年の誤り。
「初めて」とあるが、3クラス制覇ならその横のヘイルウッドに関する記事にあるようにヘイルウッドが1961年に達成済。初めてなのは「1日間でのハットトリック」
「1963年マン島TT350㏄クラス写真説明)RC173」
RC172の誤り。RC173は1966年型。
54頁
「(中列)ヘイルウッドとMVの間に契約は残っていたが、それは350㏄クラスで~鈴鹿を走り終えるまでだ。続く250㏄クラスのレースでヘイルウッドは自由の身になるため、ホンダ6気筒に乗ることは契約的に何の問題もなかったのである」
10頁同様、誤り。そもそも契約期間が日本GP決勝1日目(土曜日)まで、というライター氏の発想が理解できない。
「(右列、350㏄レース記述の後)そして250㏄の最初の練習走行を終えたピットには、ヘイルウッドのホンダ6気筒に対するファースト・インプレッションを聞きたい多くのジャーナリストたちでにぎわうことになる」
250㏄クラス最初の練習走行が350㏄レースの後のような記述になっている。350㏄レースは10月23日(土)に行われ、各クラスの公式予選は10月20~22日に行われた。
「250㏄決勝で、顔を蜂に刺されるというアクシデントに遭ったレッドマンは欠場~」
250㏄決勝で蜂に刺されて欠場・・・250㏄決勝で、(前日)顔を蜂に刺されたレッドマンが欠場と言いたいようだ。
90頁
「’66年のマン島TTでRC173を駆るヘイルウッド。決勝は他クラスのタイトル獲得に専念するため不出走~」
出場し1周目のビショップスコート地点でエンジン故障によりリタイアした。写真はプラクティスではなくレース1周目のクォーターブリッジ地点。
ライター氏は350㏄クラスが250㏄、500㏄クラスと同日開催とでも思ったのだろうか? また、ヘイルウッドが350㏄と同日開催の125㏄レースも走ったこと(33頁写真、35頁結果表)をどう考えるのだろう?
モーターサイクリスト誌1966-11の写真説明「~350㏄クラスではヘイルウッドの棄権でアゴスチーニが~TT初優勝」とあったが、ライター氏はこの「棄権」が「途中棄権」だと気が付かずに記事にしたのだろうか?
91頁
「350㏄~レッドマンは、’63年に6勝~」
「5勝」の誤り。日本GPでの優勝はたった3台しか出走しなかったために世界選手権レースとはならなかった。
「(写真1)マロリーパーク~レースオブザイヤー(ポストTTレース)~’67年の~ダン・ショーレー~」
有名な写真で、こちらに同じ写真がある。Mallory Park Post Tt In 1968 - Internal-Combustion.com
レースオブザイヤーとポストTTは別のイベントで、これはポストTT。
しかも、1967年ではなく1968年のもの。ヘイルウッドのRC174、リードのRD05Aが1968年型で、ヘイルウッドのヘルメット、グラブも1968年仕様なのですぐ分る。
なお、ゼッケン8はShorey(ショレー)ではなくロドニー・グールド。
「(写真1)すでにヘイルウッドは加速態勢に入っているのがすごい」
写真の状態ではエンジン始動済かどうか不明瞭。
ヘイルウッドの押し掛け手順は次の通り。
マシンを押す
↓
マシンに横すわりし、クラッチを繋ぎエンジン始動
↓
マシンに跨りながら緩加速
↓
マシンに跨ったら本格的に加速
1967年マン島500のスタート
写真ではまだ横すわりの状態。つまりエンジンが始動済かどうか不明瞭。
「(写真3)’67年の東ドイツGPで優勝した~ヘイルウッド」
この写真。
https://pbs.twimg.com/media/C7mrU6AXQAEeuV4?format=jpg&name=medium
「西ドイツGP」の誤り。コースの風景がザクセンリング(東ドイツ)と異なり、ヘイルウッドのグラブ、RC174の前フェンダーが東ドイツGP350㏄時(下)と異なる。
下は西ドイツGP350㏄。
91頁
「(上写真)レッドマンに代わって~この後同じ大会で3勝を挙げるという偉業を達成した」
レッドマンの代わりではない。ヘイルウッドは1966年500㏄第1戦こそ欠場(1日走行距離規制のため)したが、500㏄第2戦オランダ、500㏄第3戦ベルギーはレッドマンと共に出場した。
この写真は1966年マン島TTレース中のものだが、1967年マン島TTの3クラス優勝のことを「この後~」と書いて読者に何が伝わるのだろう?
92頁
「(本文最後)ポイントでは僅差でアゴスチーニに及ばす~」
「2位入賞回数でアゴスチーニに及ばず」の誤り。
有効得点は同点。総得点はアゴスチーニが上だが、これはランキングには全く考慮されない。考慮されたのは優勝回数(同じ)→2位の回数(3対2でアゴスチーニ)。
数値等についても誤りが多数ありますが、先にそれ以外について書きます。
30-31頁
「1965年の最終戦、鈴鹿の日本GPに登場したRC148」
手前のゼッケン22のマシンは4気筒の4RC146。
32頁
「(写真3)’66年東ドイツGPの表彰」
「’66年アルスターGPの表彰」の誤り。35頁結果表参照。
34頁
「6戦目のフィンランドGPでは~リードが1秒差で」
35頁結果表では0.1秒差。ただし、1966年当時の雑誌記事では0秒差になっていた。オートバイ誌1966-10「~全く同時にゴールイン。判定にかなりの時間を要したが~その差は僅か10cmとのこと。精確な写真判定装置が必要という非難が多かった」となっている。そして下写真(チェッカードフラッグが写っている)からも「0.1秒差」とは思えない。
「後半戦の戦いではブライアンズの援護射撃もあって」
「後半戦の戦いでは」は「シーズンを通して」とすべき。
タベリは第2、6、7、9、11戦(125㏄第2、4、5、7、9戦)で優勝したが、ブライアンズはこの5レース中第6戦(125㏄第4戦)東ドイツを除き2位入賞し、タベリとヤマハ勢のポイント差を広げた。
35頁
「(写真3)RA97は~トランスミッションは8速」
8速と9速の2仕様があった。
45頁
「(下写真)’65年チェコスロバキアGP~2RC165」
シリンダーヘッドはRC165のように見える。
47頁
「(上写真)(350㏄)このレースの終了をもってヘイルウッドとMVの契約も終了」
10頁同様、誤り。
49頁
「(1967年マン島)このレースでは250/350/500の3クラスで優勝し、マン島TTで10勝という記録を達成した」
12勝の誤り。「10勝」は写真の250㏄レース後の数字。
50頁
「(写真1)’65年のマン島で~リードを追うヘイルウッド」
このレースは1966又は1967年のイギリス国内レース。おそらくカドウェルパークで撮影されたもの。ヘイルウッドがホンダ6気筒に初めて乗ったのが1965年最終戦日本GPであることが本文に書かれているのに。
写真5と写真6の説明が入れ違いになっている。
51頁
「~勝利数でリードをひとつ上回ったヘイルウッド(9戦5勝)が~」
カッコ内は「13戦5勝」の誤り。ヘイルウッドのポイント獲得レース数は8だし、どこから「9戦」が出たのか不思議。
17頁
「(1966年)スズキは~片山義美や森下勲の日本人ライダーもスポット参戦」
森下は1964年を最後にスズキチームを去り、ブリヂストンに移籍した。
片山は50㏄全6戦中3戦、125㏄全10戦中6戦走ったが、これを「スポット参戦」と言えるかどうか。
19頁
「一発の速さはアンシャイト、トータルのレースタイムではタベリが有利に思えた」
レースで各2勝挙げた2人に対して「トータルのレースタイムではタベリ有利」とは? タベリの完走率が高いことを「トータルのレースタイム」と表現しているのだろうか。
私なら、「高速コースのホッケンハイム、モンツァで2勝しているアンシャイトとスズキが富士スピードウェイでも有利」と思う。
「(写真1)~アンシャイトが優勝し、約50秒遅れてホンダのブライアンズが2位」
「35秒」の誤り。同頁の結果表参照。
「(写真3)タベリが優勝、ブライアンズが3秒差~」
「0.3秒」の誤り。同頁の結果表参照。
26頁
「~ホンダに対してスズキのRM62単気筒は常に優位を堅持」
「第3戦以降」の文言が抜けている。
「ホンダは’62年の50㏄クラス最終戦鈴鹿に」
このレースは世界GP最終戦ではない。
「’65シーズンは、ヤマハが125㏄クラスに水冷2気筒のRA97を~」
誤りではないが「RA97の水冷型」の方がよい。空冷RA97が1964年オランダで登場していたからである。
「(1965年125㏄)この年のヤマハの125㏄挑戦はこれら2戦のみ」
誤り。32頁の写真1が3戦目の日本GPの写真。
27頁
「(写真1)♯8がホンダのロビ」
「ロブ(Robb)」の誤り。
「(写真3)’65年マン島TT125㏄。手前は優勝したヒュー・アンダーソン」
「’64年マン島TT125㏄。奥は優勝したルイジ・タベリ」の誤り。
なお、1965年マン島TT125㏄で優勝したのは(26頁にあるように)フィル・リード(ヤマハ)で、アンダーソンは最速ラップを記録したものの5位。