レーシングマシンについての記事は「その他」にもあります。
リサーチ法 | モーター法 | |
イソオクタン(2,2,4-トリメチルペンタン) | 100 | 100 |
シクロペンタン | 101.3 | 85.0 |
ハンス=ゲオルグ・アンシャイトがMotoGP殿堂入り。1960年台にスズキで3連覇を成し遂げ活躍(オートスポーツweb) - Yahoo!ニュース
式典の様子。
Hans-Georg Anscheidt MotoGP™ Legend Induction Ceremony | 2023 #GermanGP - YouTube
画像等にスズキRK67Ⅱ(2ストローク50㏄2気筒)が写っています。1968年に入りスズキはGPからの撤退を発表しましたが、アンシャイトはスズキから貸与されたRK67Ⅱに乗り50㏄タイトルを手にしました。そのRK67Ⅱはまたアンシャイトの元にあるようです。
記事の中で「1年目はランキング2位、2年目も2位で終えると、3年目は3位を獲得し、4年目からは50ccと125ccにダブル参戦。5年目の1966年にスズキとともに最初のタイトルを獲得すると、1967年、1968年に連続してチャンピオンに輝いていた」とあります。
赤字のところについて補足します。
アンシャイトは50㏄クラスのみクライドラーと契約していたのですが、1965年50㏄クラス、スズキ、ホンダが早くなりクライドラーではとても対抗できなくなってしまい、第4戦フランスを最後にクライドラーはレース活動を休止、アンシャイトは乗るマシンがなくなりました。
レースに飢えていたアンシャイトは個人所有のMZ125(MZエンジンをクライドラーのフレームに搭載)したマシンでシーズン終盤のイタリアGPに出場し、5位入賞しました。
そして、このイタリアGP直後にスズキから声をかけられ、最終戦日本GP50㏄にスズキ2気筒RK65で出場したのです。
そして、1966年に向けスズキと50㏄クラスについて契約したのですが、125㏄のRT66も貸与され2GPを走りました。そして1967年も125㏄クラスで2GP走り、1968年も年間ランキング表からすると2GP走ったようです。
これが「4年目からは50ccと125ccにダブル参戦」の125㏄参戦の実状です。
アンシャイトが乗ったスズキレーサーについてはこちら。
RK66 SUZUKI (ganriki.net)
アンシャイトの自伝です。私は1975年に普通に本屋で注文して入手しました。
アンシャイト・メニュー (iom1960.com)
(3)試験飛行において検証した事項
今回の試験飛行を通して、4社は、今後の本格的な社会実装に向け、以下の事項を検証しました。
(4)今後の展開
本試験飛行で得た知見を活かし、全国各地で実証実験の実施や商用運航の可能性を検討していく等、空飛ぶクルマの社会実装を通して、日本が抱える社会課題の改善・解決や新たな価値の創出を目指してまいります。
(3)に「以下の事項を検証しました」とありますが、(4)が「以下の事項」なのでしょうか?何を検証したのかまったく分かりません。
と思ったら、プレスリリースには検証事項がちゃんとありました。
平成24年4月4日 (kyodonewsprwire.jp)
①海上を含む2地点間飛行を行った際の運用上の課題等を把握すること。
②“空飛ぶクルマ”の離着陸場の計画、設計に関する知見を得ること。
③“空飛ぶクルマ”の離着陸場の運用を検討するに必要となるデータを取得し、課題を把握すること。
④“空飛ぶクルマ”の環境負荷(騒音等)を把握すること。
⑤“空飛ぶクルマ”の導入による社会的効果を試算すること。
プレスリリースではよくわかりませんが、2島は橋で繋がっています。
伊平屋島にはヘリポートもありますが、ヘリポートから野甫島の端まで7.4kmあります。この距離は飛べなかったのでしょうか。「往復2kmしか飛べません」を検証したのではないと思いますが。