レーシングマシンについての記事は「その他」にもあります。
1980年鈴鹿8時間耐久について JFRMCブログ 1980年型カワサキKR1000 で触れましたが、同レースで優勝したのがスズキGS1000R(XR69)です。
スズキ歴史館に展示されているGS1000R。
エンジン番号80006(GS等の文字はない)、フレーム番号不明
この展示マシンが1980年鈴鹿8時間優勝マシンそのものかどうかは分りませんが、ゼッケン12なので優勝マシンの姿にレストアしたものです。
ただ、レストアの出来がよくないですね。一番の問題は以前も触れましたが、フェアリングの黒と赤の境界辺りの白線が優勝マシンでは1本線なのに、これは2本線になっています。レストアを担当した方(元ヨシムラ)が「(1980年当時)本当は2本線にしたかった」という理由で2本線にしてしまったのです。事前にスズキの了承を得たようですが、提案する方も、了承したスズキも、このマシンの存在意義をどう考えているのでしょう。
なお、当時2本線だったのはゼッケン20(リチャード・シュラクター/マイケル・コール)のGS1000Rです。
他にも
〇フェアリング左右両側の「SUZUKI」の文字の位置が当時と少し異なる
〇前フォークのDUNLOPステッカーは当時はなかった
〇フェアリングのスクリーン下端(左右両側)のDUNLOPステッカーがない
〇テールカウル後部・左右両側のBEL RAYの文字の代わりにSUZUKIになっている
等々の違いがあります。
燃料補給毎に走行距離と燃費計の数値を記録しているので、年毎に整理しました。
〇青線は年間平均燃費(満タン法)、黒線は年間最高燃費(燃料補給毎)、縦棒は年間走行距離
〇ヴィッツの燃費計の数値は満タン法燃費より5%高く、ヤリスでは同様に8%高い。年間最高燃費は、この数字を用いて燃費計の数値を満タン法燃費に換算したもの
〇年間は各年1月以降最初の給油時から年内最後の給油時
〇ヴィッツの2015年は2月が初給油、2023年は8月が最終給油、ヤリスの2023年は9月初給油、2025年は8月が最終給油
年間平均燃費は、その年の運転パターンによって大きく影響されるので、あくまで参考ですが、各車の年平均値の最高値ではヤリスが1.9km/L高い数字です。
年間最高燃費ではヤリスが1.3km/L高い数字です。
ヴィッツ1.0FのJC08モード燃費は21.6km/L、ヤリス1.0XのWLTCモード燃費は20.2km/L、ヤリス1.5XのWLTCモード燃費19.0km/L(6MT)、21.3km/L(CVT)です。
おそらくヴィッツ1.0FのWLTCモード燃費はヤリス1.5X(6MT)より少し高いと思われますが、実燃費では逆の結果になりました。
WLTCモード燃費は、動力計上でWLTCモードで疑似走行した時の燃費であって、実走行条件での燃費を保証するものでないのです。
VITZ 1.0Fの燃費
1979年の全日本ロードレース選手権 - Wikipedia で、1979年の国際A750各レースの勝者を次のとおりとしています。
第9戦勝者の金谷秀夫にが付いています。これは「混走のフォーミュラ・リブレ(FL)、全日本選手権ポイントの対象外」ということですが、誤りです。金谷が乗ったYZR750(0W31)はFIM・F750公認車両であるヤマハTZ750のエンジンがベースでフレームがTZ750と異なりますが、国際A750ではフレーム変更が認められているので得点対象です。
また、第3戦筑波の750㏄出場はスズキの2人(FL)だけでしたが、総合5、6位(750㏄1、2位)でした。
次にWikipediaにあるランキング表。
例によって得点対象でない入賞の記載がない等の問題があるため、修正してみました。
1979年の国際A750
当時のライダースクラブ誌、モトライダー誌を参考にしました。
筑波のレースでの公認車両等による出場は全くありません。第2戦鈴鹿、第7戦菅生の出場者は上表のとおりです。第6戦鈴鹿の公認車両等による出場者は上表以外に何人かいます。第9戦鈴鹿では芳賀信二(TZ750)がスタート直後の写真に写っていますが、他にも750㏄クラスのライダーがいるはずです(そうでないと6位まで得点が与えられない)。
なお、河崎裕之の得点「13」はMFJの誤りです。河崎が乗ったスズキRGB500(XR27)はMFJ公認車両でもFIM・F750公認車両でもないのでMFJ競技規則上は明らかに得点対象ではないのですが、「日本GPは国際格式のためFIM・F750(1979年はマシンの由来制限なし)と同様に取り扱う」というMFJ競技規則を無視した理由で得点対象としたようです。
当然、日本GPで4位以下だったライダーの得点も誤りです。
さて、スズキファクトリーマシンが8戦中5戦で走ったことは評価すべきだと思いますが、それにしても750㏄クラスの出場者があまりにも少なく、「これが選手権ですか?」と言いたくなるようなものでした。
これが1980年のヤマハTZ500、スズキRG500(1981年型から公認車両)の市販以降、台数が増加していきます。
台数が増加した要因として、月刊ライダースクラブの発刊もあると思います。それまで、雑誌の国内レース記事は少なかったのですが、ライダースクラブは全日本選手権の記事もあり、1980年からさらに頁数も増加しました。そのためにライダー、チームへの援助者も増加したのではないでしょうか。私が「くるまのオオス」、「タカハシタイヤサービス」を知ったのもこの頃です。