レーシングマシンについての記事は「その他」にもあります。
1959~1967年のホンダRCレーサーのエンジン番号は、次のようなものです。フレーム番号ではEがFに替わります。
1961年まで RC●●●E-500××
1962~67年 RC●●●Eー△××
●●●は機種番号ですが、その他は
5(50、500) レーサー(あるいは開発部門)
×× 個体番号(製造番号)
△ 仕様変更(例えば3は3番目の仕様)
を示すものと思われます。
上の表の「F No」はフレーム番号、「E No」はエンジン番号を示しますが、1962年のレースにも関わらず、3桁だけでなく5で始まる5桁の数字のエンジン/フレームがあります。
「世界二輪グランプリレースに出場したホンダ レース用エンジンの開発史」(八木静夫)では,RC145が1961年終盤戦から走ったこと、1963年までに14勝したことが書かれています。ホンダ2気筒は1962年に10勝、1963年に3勝していますので、差の1勝は1961年のものということになります。
本当に1961年シーズン終盤にRC145が世界GPで走ったかどうか、私には確証がないのですが、上の表の5桁のエンジン番号・フレーム番号からすると、RC145には1961年に製作されたものがあり、1962年シーズンに1962年製作RC145とともに世界GPに投入されたものかもしれません。
そうだとするなら、スプロケットがかなり異なることから、1961年製作版と1962製作版では1次減速、あるいは変速機内部ギア比が異なるようです。
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もう一つの可能性として、この「500××」のマシンはRC145ではなく2RC143E/RC144Fかもしれません。ただ、1961年シーズン、エルンスト・デグナーが乗るMZに苦戦したマシン※が1962年も走ったのでしょうか?
※1961年、ホンダは11戦8勝しましたが、個人タイトル争いでは最終戦アルゼンチン前の時点でMZのデグナー(東ドイツ)が1位、ホンダのトム・フィリスが2位でした。
デグナーはスエーデンGPで故意リタイアし、そのまま亡命。アルゼンチンGPではホンダチームのライバルチームはなく、フィリスが優勝しタイトルを手にしました(フィリスは2位以上でチャンピオンという形勢)。