レーシングマシンについての記事は「その他」にもあります。
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ヤマハ2ストロークエンジン搭載車の車種別GP優勝数です。フレームがヤマハ社外の場合、エンジン機種名です。
赤字はhttps://www.yamahamotogp.com/500-victories/bikesと異なるものです。また、「年」は年式ではなく優勝年です。
125cc
RA97(65,66) 7
RA31(67) 10
RA31A (68) 8
AS1(69) 1 (AS1にGYTキット等を組み込んだマシンと思われる)
YZ623(71) 1
YZ623C(72) 4
0W15(73-75) 15
TZ125(94) 1
小計 47
250cc
RD56(63-65) 15
RD05(66) 1
RD05A(67,68) 16
TD-2(69-71) 24
TD-3(72,73) 6
YZ635(72) 6
TZ250(73-80) 22
TZ250(81-85) 25
TZ250(02) 1
0W17(73,75) 7
0W82(86) 7
0W85(87) 2
0W97(88) 5
0WA7(89) 4
0WB9(90) 10
0WF3(93) 4
0WG7(95) 1
0WJ0(96) 1
0WK5(99) 2
0WL5(00) 8
0WN1(02) 1
小計 168
350cc
RD05(66) 1
TR-2(69,71) 5
TR-3(72) 2
YZ634(72) 3
TZ350(73-82) 47
TZ3気筒(77) 3
0W16(73-75) 10
350cc小計 71
500cc
TR-3(72) 1
TZ350(74,76) 3
TZ500(80) 1
0W20(73) 5
0W23(75) 5
0W35K(77,78) 7
0W45(79) 5
0W48(80) 3
0W54(81) 3
0W60(82) 1
0W61(82) 1
0W70(83) 6
0W76(84) 4
0W81(85,86) 12
0W86(87) 8
0W98(88) 9
0WA8(89) 3
0WC1(90) 7
0WD3(91) 7
0WE0(92) 4
0WF2(93) 6
0WF9(94,95) 4
0WJ1(96) 2
0WK1(98,99) 4
0WK6(00) 6
0WL6(01) 3
500cc小計 120
合計 406勝
備考
〇1973年マン島TT350優勝マシンはTZ350でなくTR-3の可能性もある。
〇1973年マン島TT125優勝マシンは0W15でなくYZ623Cの可能性もある。
この406勝のうち、250cc/350cc市販レーサーの優勝数は
250ccクラス 78勝
350ccクラス 54勝
500ccクラス 4勝
計 136勝
にも上りますし、派生車種ともいえる350cc3気筒、YZ634/YZ635による6勝を加えると142勝になります。この数字がヤマハがロードレースで果たした貢献を象徴している思います。
(続く)
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ヤマハの大きな功績は手頃な価格で手頃な性能の市販レーサーを多くのライダー提供したことです。「手頃な価格で手頃な性能」だからこそ、標準状態でもそこそこの性能を発揮し、手を加えれればさらに高性能となるマシンとして、世界選手権から地方のクラブイベントまで、多くのユーザーに用いられたのです。
世界選手権ともなれば、1970年250ccクラスのチャンピオン、GouldのTD-2のように、前フォークがチェリアーニ、後クッションユニットがガーリングに変更されるような改修は珍しくありませんでしたし、フレームの交換もその延長線上の改修としか思えないのです。そして、その結果として、ヤマハエンジンを搭載するフレームコンストラクターを育て、世界GPの隆盛にも大きな役割を果たしたと考えています。
ですから、私としては、FIMの取り扱いはどうであれ、ヤマハエンジン搭載車のGP優勝は「ヤマハ」の勝利としてヤマハが誇るべきことだと思うのです。そして、そういったマシンは全て2ストロークエンジンです。
そこで、ヤマハ2ストロークエンジン搭載車の世界GPの機種毎の優勝数を整理してみます。
(続く)
前々回、MOTOGPのウェブサイトでは、
http://jfrmc.tou3.com/ネット情報/20200609_541
1980年350ccクラスのマニュファクチャラータイトルはビモータになっていることを紹介しましたが、FIM公式ヒストリーとされる
Motocourse: 50 Years of Moto Grand Prix: The Official History of the FIM Road Racing World Championship Grand Prix, Hazleton 1999
のマニュファクチャラータイトルの一覧表では、1980年350㏄はYamahaになっています。つまり、ビモータフレームによる4勝(Ekerold3勝、セコット1勝)の全て、あるいは3勝又は1勝がヤマハのものという整理です。次のいずれかの扱いでマニュファクチャラータイトルがヤマハのものになるからです。
〇Ekerold、セコットのマシンをヤマハと扱う(ヤマハ4勝)。
〇Ekeroldのマシンのみをヤマハと扱う(ヤマハ3勝)。
〇Ekeroldのマシン以外のビモータ/ヤマハをヤマハと扱う(ヤマハ1勝)。
また、同書のライダーランキング表ではビモータ、シュバリエは
ビモータ:Yamaha(年を問わず)
シュバリエ:Yamaha(1981)、Yamaha(1982: 250)、Chevallier(1982: 350)、Chevallier(1983)
と表記されています。同書ではビモータ/ヤマハはヤマハという整理です。
・・・1980年350㏄のマニュファクチャラータイトルはいったいヤマハなのかビモータなのか・・・ヤマハなら、ヤマハに認定証があるはずなのですが。
そもそも、MOTOGPのその他のデータにもいろいろ疑問があります。例えば1984年250ccランキング2位だったManfred Herwehのマシンは、MOTOGPのResultでは、レアルとされています。レアル(Real)はスポンサーのハイパーマート(ドイツ)です。現在、レアルが売っている商品にはRealブランドのモペッド、スクーターもありますが、実際の製造者はレアルなのでしょうか。
しかも、1984年のHerwehのマシン、エンジンはロータックスで、フレームはニコ・バカーなのです。このマシン名も認めてしまうようなメーカー名の取り扱い方法を尊重する意味を見出せません。
さて、Motocourseでのビモータ、シュバリエの表記はどうなっているか整理してみました
ビモータ
1979 各レース結果 Yamaha、Bimota/Yamaha、Bimota ランキング表 Yamaha
1980 各レース結果 Yamaha
ランキング表 Yamaha
1981 各レース結果 Yamaha
ランキング表 Yamaha
1982 各レース結果 Yamaha
ランキング表 Yamah
シュバリエ
1981 各レース結果 Yamaha
ランキング表 Yamaha
1982 各レース結果 Yamaha
ランキング表 Chevallier
1983 各レース結果 Chevallier ランキング表 Chevallier
と表記されています。
シュバリエに関しては、ヤマハ500勝のカウント方法に近いですが、ビモータについては、ヤマハ500勝のカウント方法とは全く別です。
なお、主要マシンの仕様に関する頁では、BimotaはBimotaとされています。つまり、車体がBimotaであることは把握したうえで、各レース結果、ランキング表はYamahaとしているのです。
これは、私の想像なのですが、結局、1977年以降の「ヤマハエンジン+社外フレーム」をどう扱うかについて、統一的な取扱いはされていなかったのではないかと思います。FIM自身も整理できなかったし、各GPの主催者も。
1976年のマニュファクチャラー登録制が1977年以降継続していたかどうかも疑問が残ります。
(続く)
http://jfrmc.tou3.com/ネット情報/20200609_541
で、「ヤマハエンジンを搭載している社外フレーム車」で500勝にカウントされていないものが10勝あると書いていましたが、11勝の誤りです。1971年アルスターGPで優勝したレイ・マックロー(ヤムセル)が漏れていました。
上の記事はすでに訂正済です。申し訳ありません。
前回、社外フレームであるがためにヤマハ500勝にカウントされなかったマシンがあることを示しましたが、ヤマハ500勝にカウントされているマシンの中にも社外フレームのマシンがあります。 例えば1971年、ヤマハTD-2に乗り250ccチャンピオンになったフィル・リードはその年に3勝しましたが、そのTD-2のフレームはCheney製です。 http://philreadyamaha.blogspot.com/2013/11/phil-read-yamaha-discovery.html
また、1975年350ccチャンピオンのセコットはTZ350で4勝を挙げましたが、内1勝はビモータフレーム車によるものです。 この二つの例は、例えばフレームがヤマハ製でなくとも、マシン名を「Yamaha」としてレースにエントリーしたからでしょうか、500勝にカウントされています。
他に500勝にカウントされた社外フレームには、記憶を頼るとマクストン、スポンドン、ニコ・バカー、シュバリエ、ROC等があります。
では、これらのマシンが全て「Yamaha」としてエントリーしていたのでしょうか?
1975年世界GPのマニュファクチャラーランキング表(モーターファン別冊)を見ると、350㏄クラスでマン島TT優勝の「ダグデイル マクストン ヤマハ」がランキング3位に、250㏄クラスでマン島優勝の「ダンフェイ ヤマハ」がランキング2位になっています。この2勝はヤマハ500勝にカウントされています。
この2クラス、他にも「マック ベイッヒ ヤマハ」、「チャット ヤマハ」、「オークレイ ヤマハ」といったマニュファクチャラー名なのか、チーム名なのか、スポンサー名なのかわからない「マニュファクチャラー」も記載されています。
また、優勝マシンではありませんが、例えば1971年の250㏄クラスのランキングhttps://global.yamaha-motor.com/jp/race/wgp-50th/race_archive/season1970_79/1971/
に、Yamsel、Yamasaki、Padgett Yamahaがあります。
これらの表の原典がFIMなのか雑誌(海外or日本)なのか分りませんが、おそらく正しいのでしょう。というのは1976年のマニュファクチャラーチャンピオンシップに関して、FIMは「マニュファクチャラーの登録制」を採りましたが、このような雑多なマニュファクチャラーでない「マニュファクチャラー」を排除する目的だったと考えられるからです。
中野広之氏がまとめられた1969~83のマニュファクチャラーランキング表http://www.iom1960.com/other/maker-point-2.htmlで、1971~75年頃にヤマハ関係と思われる雑多なマニュファクチャラーが記載されているのに、1976年に姿を消したのは、その効果なのでしょう。
1976年のマン島TT350㏄で優勝したモーティマーのマシンはマクストン・ヤマハですが、マニュファクチャラーランキング上はヤマハにカウントされています(そうでないと中野氏の頁のランキング表でヤマハ84点にならない)。
簡単にまとめるなら「1975年以前はマシンの名前(マニュファクチャラー)は出場者(チーム)が勝手に付けることができたが、1976年には勝手に付けることができなくなった」です。
おそらく、FIM(というかMOTO-GP運営会社)が過去のリザルトを再整理する際、ヤムセル(Yamaha-Seeley→Yamsel)は、車名に「Yamaha」がないのでヤマハではないと分類し、1974年マン島TT250、1975年マン島TT250及び350優勝マシンは、車名の一部に「YAMAHA」が入るのでヤマハと分類したのでしょう。
私は、ヤムセルもマクストン・ヤマハも、ヤマハかどうかの区分上は全く同じ扱いが適切だと思います。
では、1977年以降のマシンはどうなのでしょうか?
(続く)