公開公正でRACERS Volume 42 を取り上げています。
http://jfrmc.ganriki.net/zakkan/kousei/kousei23.htm
その中で車体設計者の平松氏が1976年F-1選手権イン・ジャパンで見たブラバムBT45のサスペンションにヒントを得てカワサキKR250のユニトラックサスペンションの形を思いついた記述が誤りであり、実は平松氏が見たのは8月4日のティレル007のテストであろうと推測していました。
で、ティレルの写真がリンク切れになっていたので、リンク先URLを修正しています。
https://www.flickr.com/photos/38921598@N05/4327656393
http://jfrmc.tou3.com/%EF%BD%8A%EF%BD%86%EF%BD%92%EF%BD%8D%EF%BD%83%E5%86%85%E3%81%AE%E8%A8%98%E4%BA%8B/nr500%E3%81%AE%E3%83%90%E3%83%AB%E3%83%96%E6%8C%9F%E8%A7%92
で、RACERS Volume 54と、「ホンダNRストーリー」(1992年山海堂)の食い違いについて書きました。Volume54と55に掲載されたバルブ挟角55度ヘッドの写真等からすると、NR500のバルブ挟角に関するRACERSの記述に誤りはないという結論になりました。
一方、ホンダNRストーリーの記述も誤りというわけではなく、15頁と54・55頁の記述に時期が書いていないために、私が誤解したという結論です。
「K0→初期0Xの段階では、吸排気バルブの挟角は65°に設定されていた~後に55°ヘッドが製作されることになる」(15頁)。
「デビュー戦イギリスGPとフランスGPの2戦を終えたNRメンバーは、早速NR500に生じた問題点の対策を開始した」
「シリンダーヘッドに関しては~バルブ挟角が55°から~40°に変更され、65°のときには110PSであった出力が55°のときには113PSに上がり、40°ではさらにどんどん向上していったのである」
「'79年末の時点では、エンジン出力もコンスタントに115PSを上回るようになったのである」(以上、54~55頁)
これらの記述からすると「65度ヘッドのマシンがイギリス・フランスに送られる一方、日本では55度ヘッドの製作が進行しており、帰国後に55度ヘッドのマシンがテストされ、その前後に40度ヘッドのエンジンの設計開始し、1979年末には40度ヘッドエンジンがテストされた。」ように思えます。
ホンダRC115-RC116その1
http://jfrmc.ganriki.net/rc50/rc115/RC115-1.htm
の1965年第2戦ドイツGPについて、ブライアンズ、タベリのマシンがRC115ではなく2RC114E搭載車としていましたが、少なくともタベリのマシンはRC115の可能性が高いことが判明しましたので修正しました。申し訳ありません。