レーシングマシンについての記事は「その他」にもあります。
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http://jfrmc.tou3.com/%E9%9B%91%E8%AA%8C/racers%20volume%2048-3-
に追記しました。
さて、本誌ではF750規定が1974年まで「200台以上」だったことが忘れられている。
54頁の「200台以上」はアメリカのことでF750とは書かれていない。
そして、TZ750はF750、そしてアメリカでのレースに出場できるよう200台以上生産されたが、1974年、TZ750はシーズン直前にF750に適合しないとFIMに判断された。
この結果、イモラ200等、主要なレースはF750の看板を返上し、単なるノンチャンピオンシップレースとして開催された。TZ750なしにレースを開催してもレースファンの関心が低く興業が成り立たないという判断だった。
9頁の(1974年の欄)「ドッズ、
TZ750でFIM-F750でチャンピオン」はTZ350の誤り。
ついでに、1977年「TZ750改500エンジンのサイドカー登場」とあるが、すでに1975年には登場している。92頁には1974年となっているが、私は未確認(記憶にない、資料を探せば確認できる?)
なお、サイドカーなし(ソロ)でも1975年、フィンドレーが750改500に乗っている。
なお、54頁の「
’76年に~200→25台とハードルが下げられた」は’75年の誤り。KR750がデイトナやヨーロッパのF750に出場できたのもこのため。
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13頁で(750㏄の0W29について)「ライダーを引退してロバーツのチューナーに転じたケル・キャラザースが、♯1のチャンバーを中通しにするアイデアを実用化したのも’75年だった。中通しチャンバーはファクトリーマシンにも採用されることになり、0W29の車体を一新した0W31が76年に、その量産型のTZ750が’77年にデビューした」
68頁で「(このような)レイアウトを真っ先に採用したのが0W31だった」
要するにライター氏は、
●0W29は基本的に1番気筒中通し排気管ではない。中通し排気管はキャラザースがロバーツの0W29用に特別に製作したもの。
●1976の0W31でヤマハが中通し排気管を全面的に採用。
と言いたいようだが、これは誤り。52頁右下の1975デイトナでの河崎のマシンも中通し。
こちらはアゴスチーニのマシン(右チェンジ)。
http://www.classicyams.com/works-racers/works-racers/yamaha-yzr750-racers.html
そもそもモノクロスのヤマハ750が登場したのは1974年の日本GPで、その時点で既に中通しだった。
いつもは当時の技術者等の協力があるが、今回はそのような方は登場していない。そんな訳でライター氏の「想像力」に頼るところが多いようだ。
他の「0W23の車体に750エンジンを搭載したのが0W29で、これを改良したのが0W31」もライター氏の「想像力」によるものと推察する。
ところで、13頁左上の「ヤマハテストコースで撮影されたと思しき
記念写真」とある。当時の三栄書房の雑誌の記事では「去る2月16日、ヤマハ袋井テストコースで、同社の77年度ワークス・マシンと、ヨーロッパGPレースに出場するライダーの陣容が発表された」とあり、この写真はその時のもの。他誌でも同じような写真が多数掲載された。
40頁で紹介されたソノートカラーのTZ750、1983年に現物を見たことがある。今回記載されたフレーム番号と同じだった。1996年に別冊モーターサイクリスト誌で紹介されたマシンも同一と思われる。
「TZ750D/E/F~合わせて250台超という生産台数は~」の生産台数はフレーム番号からの推定だろう(フレーム番号は101から始まるので)。一方で写真説明「'77年製造のTZ750Dと考えたい」とあるのはフレーム番号からすると理解しがたい。
この生産台数について「Yamaha: All Factory and Production Road-Racing Two-Strokes from 1955 to 1993」では、フレーム番号を
TZ750D 200101~
TZ750E 200131~
TZ750F 200197~
としている。そして生産台数は、「TZ750Dは30台が販売」、「D/Fはさらに162台が生産」としている。計192台になる。
一方、1978年のモトライダー誌に、3月にヤマハが菅生で行ったTZ750購入チームに対する講習の取材記事が掲載されているが、4台のマシンのフレーム番号は
「~331」から「~341」
だった。1978年3月時点でこのフレーム番号が現認されているのだから、先の「YAMAHA~」の記事は誤りということになる
そして、先のSONAUTOカラーのマシンも、フレーム番号からすると、少なくとも1977年型ではなく1978年型または1979年型(おそらく1979年型)と思われる。
なお、パワージェット付キャブレターについて「後年のTZ500用~を取り付けたものと思われる」とあるが、1979年の実戦写真でもパワージェット付を確認できる。
TZ750Fがパワージェット付キャブレターでないなら、この写真のキャブはヤマハから特定のチームに供給されたものだろう。
(12/4追記)
このマシンのエンジン番号も1983年にメモしたが・・・私がメモをミスしたのでなければ、クランクケースはTZ750D/E/Fではないことになる。
29頁下の方のロバーツの0W35K、レクトロンのキャブについて書かれているが、さらに重要なのは「パワーバルブがない」こと。
78年型YZR500といえば「パワーバルブ」だが・・・この写真は第1戦ベネズエラのものだが、パワーバルブ仕様エンジンを与えられたのはセコットのみで、ロバーツ、片山はパワーバルブなしだった。当時の三栄書房の雑誌にもその記述がある。
どうも最近のライター氏が当時の記事を書くときは、メーカーの公表資料だけをたよりに想像を膨らますようで、当時の雑誌を読み返すことはないようだ。だから、28頁の「開幕戦、~スペイン(ハラマ)までは、ケニーは大人しかった。なんだ大したことはないじゃないか・・・・・」という記事になる。
スペインでロバーツは独走していたがマシントラブルで2位に後退したことを、「ケニーは大人しかった」と書いて欲しくない。
ところで、26-27頁の写真は「1980~Belgium」とあるが、1980年フィンランドの誤り。この雰囲気が公道レースに見えないのだろうか。
56頁に次の記述がある。
「’76デイトナでヤマハは車体も750㏄専用設計の新型TZ750(0W31)をデビューさせた。このマシンもAMA認定のため、市販価格4万ドルとされた」
1976年の0W31をTZ750としている・・・何か根本的に勘違いしているのでは?
また、「市販価格4万ドル」はひょっとしたらAMAのclaming rule※のことを指しているのか?
そうなら「市販価格」はおかしな表現。
※優勝マシンを一定価格で買い取ることができる制度。プライベートライダーのマシンとファクトリーマシンの差を埋めるためのもの。
ところで、52頁下中と61頁上右の写真が同じだが、説明が異なる。61頁が正解。