1997年日本GPのマシンのみアップしていましたが、1990~2001年型の展示車と1997日本GPの宇川のマシンも追加しました。
http://www.geocities.jp/noda_keni/h/nsr25097/nsr25097.htm
手持ちのリストには他に何台かありますが、取りあえずこれぐらいにしておきます。
それにしても250㏄GPレーサーの美しさは独特のものがあります。
現代なら4ストローク350㏄2気筒で2000年の250㏄GPレーサーと同程度の出力が出せるだろうし、車体もほぼ同じ大きさにまとまるのではないかと思うのですが・・・
http://jfrmc.ganriki.net/zakkan/kousei/kousei23.htm中、H1Rについて、次の文を追加しました。
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ライダースクラブ1983-11によるとH1がデイトナ200に登場したのは1969年で、ライダーはデイブ・シモンズ(記事はランディ・ホールによる)。また、Kawasaki RACERS by Ian Falloon, 2001 Haynesでは” Four modified H1s made the starting line at Daytona only weeks after the bike was available”、"~in December 1969, a limited production road racer, H1-R, became available" したがって、「H1R」がデイトナに出場したのは1970年から。
なお、この写真
http://ozebook.com/bikes/wp-content/uploads/2014/03/daytona-69sm.jpgからはシモンズのマシンはH1RではなくA7Rにも見える。
結局、公開公正でRACERS Volume 42を取り上げました。すでにブログで書いた内容をまとめ、さらに加筆しました。
http://jfrmc.ganriki.net/zakkan/kousei/kousei23.htm
まあ、平松氏のF-1マシンのサスペンション云々の話は検証不足以前だと思います。
ライター氏の「当時のことを知らないにも関わらず記事にまとめるファイティングスピリット」には感心しますが・・・
94頁、Morbidelliの写真説明で「木工業」となっています。
Italian Racing Motorcycles by Mick Walker, Redline 2000では、”During the 1960s the young Morbidelli built up a
thriving woodworking machinery factoryc in his home town of Pesaro" とあります。つまり、「木工業」ではなく「木工機械製造業」。当時の雑誌でも木工機械メーカーとされていたし、現在でもMorbidelliの木工機械が製造されています。
https://en.wikipedia.org/wiki/Morbidelliでは、”The firm began as a
woodworking shop building furniture and wooden coach bodies for automobiles”となっています。これと同じ記述を他サイトでもよく見かけます。日本語版も、この記述がそのまま訳されています。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%AB%E3%83%93%E3%83%87%E3%83%AA
こういうのを「誤りの拡大生産」というのでしょう。
なお、英語版の出典のリンク先
http://www.is-it-a-lemon.com/modules.php?name=News&file=print&sid=747
では、ちゃんと
”Giancarlo Morbidelli used his huge woodwork machinery firm to finance production of some superb race-bikes”となっています。