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JFRMCブログ

レーシングマシンについての記事は「その他」にもあります。

伊藤史朗の1960年

http://jfrmc.ganriki.net/zatu/fumio/fumio-60.htm

の中の、ザールGPの日程、コース名、ホッケンハイムGPの日程が判明しましたので、加筆しました。

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障がい者

これはフィクションです。

空港ラウンジには、ゴールドカード提示で無料で飲めるドリンクサービスがあります。
ある空港のラウンジでの出来事です。

その空港には、ホットコーヒー、アイスコーヒー(氷入り)、コーラ、ウーロン茶、ジュース類のディスペンサーがありました。

そこに35歳くらいの男性が来て、アイスコーヒー(氷入り)のディスペンサーのところで、ガチャガチャやった後、女性従業員を呼びました。

男性)アイスコーヒーを氷抜きでいただけないのですか。
従業員)あいにくこの機械では対応しておりません。
男性)氷アレルギーなので、氷があると困る。
従業員)申し訳ありません。
男性)ここは障がい者に対応していないのか。
従業員)申し訳ありません。
男性)あなたに謝ってもらっても仕方がない。上司を呼べ。


 ちなみに、アイスコーヒー(氷入り)以外のコールドドリンクは、氷を別に入れる方式です。

KR250/KR350

 ちょっと間が空いてしまいましたね。

 
 KR250/KR350も手つかずの状態ですが、写真を5台分、追加しました。http://jfrmc.ganriki.net/t601/kr250-1.htm

 7803、7805、7807は最近見たことがありませんが、どこかに現存しているのでしょうか。

 TZ250/350の排気音を「パーン」とするなら、KR250/350の排気音は同時点火らしい「トゥーン」だった記憶です。

 カワサキと同じタンデム2気筒レイアウトを採用したロータックスエンジンは、V型に移行しましたが、タンデム2気筒の弱点は

・クランクケース冷却
・(前方気筒の排気管も含めた)エンジン全長

だったようです。

 とはいっても、KR250/KR350は最も好きなカワサキだったりします。

中国 カンボジア

先日、広州(中国)とシェムリアップ(カンボジア)に行ってきました。

これは中山記念堂(孫文記念堂)。


これはホテルから見た市内で、いつもこんな感じで霞んでいます。これでも北京よりましらしいですが・・・タクシーの運転手がいつも窓を開けて走りますし(私が乗ったタクシーだけではありません)地元の人はあまり気にしていません。そういう私も3.5日間だけでしたので、マスクはせず。


これは広州タワーで、高さ600m、人は450mまで登れます。このタワーの照明はときどき変わります。また、450mのところにフリーフォール等の乗り物もありました。


そしてシェムリアップに移動。シェムリアップ国際空港はこんな感じで、ターミナルは平屋です。もちろん、タラップで旅客機の乗り降りします。

それにしてもタラップを降りた時の暑さといったら・・・34℃くらいあったのではないでしょうか。

これはアンコールワットの周壁(城壁)。


中に入ると中心部が見えます。もちろん、登りました。


仕事で行きましたので、ご紹介できる場所はこの程度です。はい。

日本グランプリレース(四輪の本)の2

ところで読んでいて、スズキの中野広之氏が書かれたウェブサイト上の記事に似た文がありました。
 中野氏は吉村誠也氏のサイトで記事を公開していました(1999年~)。
http://www.europark.com/nakano/index.htm

ところが中野氏が記事を書かれても吉村氏がなかなかアップしてくれないのに業を煮やしたのか、中野氏自らウェブサイトを開設されます。
http://www.iom1960.com/
この本(日本グランプリレース)は2003年10月30日発行ですが、この発行までには開設されていた記憶です。
 
吉村氏のサイト中の記事と比較してみましょう。

「6月30日朝、浅間山が爆発したが、曇りのため煙が少々見えた程度だった」http://www.europark.com/nakano/1959.htm
「6月30日には、浅間山が爆発したが、曇りのため煙が少々見えた程度だった」(42頁)

「いろいろ新しい問題を抱えているのに、台風7号が近づいたため、雨でテストができず、焦る。13日夜半には台風が直撃し、昌和クルーザーの宿舎の屋根が吹っ飛んだ。樹木も根こそぎ倒れ、コースも水びたしだった」
http://www.europark.com/nakano/1959.htm
「8月12日には、台風7号が近づき、雨でテストができず各社が焦る。13日夜半には、台風7号が直撃し、昌和クルーザーの宿舎の屋根が吹き飛び、樹木も根こそぎ倒れ、コースも水びたしになった」(42頁)

(なお、http://www.europark.com/nakano/1959.htmでは、上の文の前に「12日には、他メーカーが顔を見せない早朝から、RB本命車で初の全開耐久テストを始めた。しかし、あいにくの降雨のため、数周でやむなく終了。RA練習車のときには発生しなかったエンジンの “バラバラ(不整燃焼?)” が全車に発生していた。原因はわからなかったが、分解してみて驚いた。ピストンが溶けはじめているものあり、トップリングが折損しているものあり、ピストンピンセットリングが外れて折損しているものありといったありさまだった。まったく、次から次へといろいろ問題が出るものだ。コース解放日はあと6日しかない。ホンダの本命車も姿を現わし、連続走行を始めた。我々もRA練習車で練習開始だ」とあり、12日も走行していた。)
  
「マン島遠征のため、ホンダチームとスズキチームで日本選手団を結成した。団長は小型自動車工業会の立松さん。5月10日、東京丸の内会館で壮行会を開催。そして翌日にはBOAC機でロンドンへ。当時はヨーロッパへの直通便はもちろん、アンカレッジ経由の北回り線もなく、東京~香港~バンコック~デリー~カラチ~ベイルート~フランクフルト~ロンドンという23時間の長旅だった。ロンドンに1泊したあと、マンチェスターを経て、ようやくマン島に着いた。」
http://www.europark.com/nakano/1959.htm
「マン島出場のため、ホンダチームとスズキチームで日本選手団を結成した。5月10日、東京丸の内会館で壮行会が開かれ、翌日BOAC機にてロンドンに向かった。当時はヨーロッパへの直行便はもちろんアンカレッジ経由の北回り線もなく、東京から香港~バンコック~デリー~カラチ~ベイルート~フランクフルト~ロンドンと移動し、なんと23時間もかかる長旅だった。ロンドンに1泊し、マンチェスターを経て、マン島にようやくたどり着いた」(47頁)
 
いやよく似てますね。参考文献(156頁)にはどちらのサイトも参考文献になっていませんが・・・


 それにしてもこんな本をよく出しますね。著者も出版社も。音楽ライター氏にはとても無理だったのです。まあ、小説家が取材せずにF-1の本を出す(リンク)くらいの国ですから不思議でもないですが。

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