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レーシングマシンについての記事は「その他」にもあります。

公開校正

に RACERS Vol.76 TZ500

を追加しました。暫定版です。

 掲載写真のレース名表記の誤りも多いですし、Wikipediaの誤った記述をそのまま信用してでっち上げたような記事もありますし、校正しがいがありました。

 さて、41頁に「(1981年)ランキング上位4位までを~TZ500勢が占め~結果的にこの’81年がTZ500にとってもっとも成功したシーズンとなった」とありますが、私にとってはファクトリーマシンが得点対象外の下、TZ500ライダーが上位を独占したことよりも、1980年の方がTZ500の速さを感じたシーズンでした。

 何しろ、TZ500は排気量がTZ750の2/3なのにTZ750と同等以上の速さで、第4戦鈴鹿ではTZ500がスズキXR34H(RGB500)を破り、最終戦・日本GPではTZ750、2台のTZ500がXR34Mを抜き去り2位争いを繰り広げた(その後、TZ500の水谷の転倒に他の2人が巻き込まれて転倒)のですから。

 1980年は、私にとってもっとも印象に残っている全日本750(後の500)シーズンの一つです。そんな訳で、34~37頁の1980年全日本の写真に違和感を覚えるものが多く、当時の雑誌掲載写真で確認しました。




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RACERS Vol.76  TZ500(7) Wikipedia

RACERS Vol.76  TZ500(2)

で、次の誤りを指摘していました。

35頁中列終わり~「~最終戦の日本GPではTZ500の鈴木とTZ750に乗る毛利がチャンピオンをかけて争う展開となった」
 毛利が乗ったのはTZ500。
 
写真2・3「~木下を追うのはTZ750で3位になった金谷秀夫」
 金谷が乗ったのはTZ500。

37頁写真2「’78年のA750チャンピオン#20上野真一も、’80年はTZ750で走り続けた」
 ’78年のエキスパート750チャンピオン♯20上野真一も、’80年第4戦からTZ500で走った。

 当時の雑誌記事を見ていれば間違えるはずないのになぜ間違えたのだろうと思っていましたが、Wikipedeiaの誤りを写したようですね。

Wikipediaの1980年の全日本ロードレース選手権  に次の表があり、毛利、金谷、上野がTZ750に乗っていたことになっています。

 RACERSは三栄書房発行なのですから、昔のモトライダー誌等が保管されていないのでしょうか?
 また、37頁写真2を見て、TZ500だと気が付かないのでしょうか?

 ライターの仕事ぶりがよくわかります。










RACERS Vol.76  TZ500(6)

 34、35頁の記述は Wikipediaの1980年の全日本ロードレース選手権 を参考にしたもののようですね。下はWikipediaの文で、赤文字はRACERSの35頁右列に同じ記述があるもの。


 シーズン途中までTZ350で参戦していた鈴木修(ヤマハ/プレイメイトレーシング)がTZ500に乗り始めると6戦で3位、第7戦で優勝750ccクラスでのポイントを稼ぎ、最終戦日本GP・鈴鹿では鈴木と毛利の間で750ccクラスチャンピオンをかけて争う展開となった。ポイント対象外であるヤマハスズキの500ccファクトリー車両も参戦したこの最終戦で鈴木4でチェッカーを受けポイント加算に成功し、対する毛利は上位争い中にヘアピンで他車と接触し転倒、有効ポイントを加算することができなかったため、750ccクラスチャンピオンは鈴木が獲得。3年前の350ccクラス[7]に続く全日本選手権2クラス制覇を達成した[8]ランキング2はこの最終戦を制した水谷勝(ヤマハ)が入り、毛利はランキング3位で終了した。

 赤色文字が続くところは明らかに丸写しとわかります。

 また、日本GPでの「水谷、毛利、佐藤の3人による2位(クラス1位)争いの中、水谷が転倒、これに毛利、佐藤が巻き込まれ転倒」を「毛利は他車と接触し転倒」で済ませているのも同じですね。

34頁でも

Wikipedia「最高峰クラスである750ccクラスは、シーズン中盤にほぼすべての参戦ライダーが500ccマシンに乗り換えていく年となった」

RACERS「'80年の全日本最高峰クラスである750ccクラスでは、 ほぼすべての参戦ライダーがシーズン中盤までにTZ750からTZ500への乗り換え、あるいはTZ350からステップアップをすることになった。」

 前半はWikipediaの文の前後を入れ替えただけです。
 そしてTZ350云々の記述を加えたことによって「ほぼすべての参戦ライダーがTZ350からステップアップすることになった」ことになってしまっています。


 他にもよく似た記述(しかも誤っている)があります。

 まあ、Wikipediaを参考にするのはいいんですが、当時の雑誌記事、MFJ機関誌(ネットで読める)で確認、修正して欲しいですし、文章の校正も必要です。









RACERS Vol.76  TZ500(5)

https://jfrmc.tou3.com/%E6%9C%AC%E3%83%BB%E9%9B%91%E8%AA%8C/racers%E3%80%80vol.76%20%E3%80%80tz500-2-


 で、「1980最終戦日本GPで毛利がTZ750に乗った」、「上野が’80年はTZ750で走り続けた」記事の誤りを書きました。下画像は1980年日本GP公式プログラム(¥300)掲載の国際A350/750のエントリーリスト。クリックすると大きくなります。

 
 TZ750でエントリーしたのは佐藤順造だけで、TZ500でエントリーしたライダーが11人います。このうち高井、金谷はYZR500に乗りましたので(金谷は予選で転倒しレースは欠場)、TZ500でのエントリーは実質9人です。スタート直後の写真からすると、No15杉本はマシンをスズキRG500に変更したので、8人がTZ500で出場しました。




RACERS Vol.76  TZ500(4)

 11頁の諸元表の疑問点で、潤滑方式が「混合・ドライサンプ」になっていますが、これは

エンジン:混合
変速機:ドライサンプ

の意味でしょうが、普通の人に分るでしょうか?

 また、TZ500変速機の潤滑は当時のTZ350/250と異なりオイルポンプによる強制潤滑ですが、オイルポンプは1つですし、オイルタンクがある訳ではないのですからウエットサンプです。ただ、ウェットサンプとしますと、オイルポンプなしと区別しにくいので、単に「強制潤滑」とした方がよいでしょう。


 一次減速比が2.136(47/22)になっています。こちら
https://www.tz350.net/bigbrothers.htm
では2.135となっていますが、ほぼ同じです。

 しかし、1980年型と1982年型を取りあげた当時のライダースクラブ誌の記事では2.205でした。


 TZ500の動力伝達経路は次のとおりです(変速機カウンターシャフトは省略)。赤は駆動歯車、青は従動歯車で数字は 黒数字はパーツリストに記載された歯数です。赤数字はパーツリストに記載がありませんが、一次減速比2.205なら歯数は31になります。
 また、75頁に写る1982年型TZ500のクランクギアの歯数は31です。



 TZ750のクランクシャフト-動力取出しシャフトの減速比は39/38でした。

 歯車の歯数は、(2軸を互いに同速逆回転させる等)特に必要がなければ歯数の組み合わせを「互いに素」にするのが普通です。二輪車の変速機の減速比で1.000が滅多にないのはこのためです。

 ですから、TZ500の一次減速比は2.205が正しいと考えます。

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