レーシングマシンについての記事は「その他」にもあります。
「確かにエンジンが低中速回転域のときに、デスモドロミックのバルブトレインは摩擦損失が少ない。しかし高回転域では摩擦が生じる構成部品の多さがあだとなり、デスモドロミックはむしろ摩擦損失の面では不利になってしまう。」
https://www.autoby.jp/_ct/17688064#goog_rewarded
類似した意見はよく見かけます。しかし、部品点数の多さも要因の一つですが、それは小さなことです。
高回転でデスモのフリクションは普通のエンジンより大きくなる理由は
〇バルブスプリングエンジンではバルブがカムに押し付けられる力が低回転より減少するのに対して、デスモドロミックエンジンでは低回転よりバルブがカムに強く押し付けられること。しかもその時のバルブリフトが大きいこと。
〇バルブは短い周期で振動しているが、バルブスプリングエンジンではバルブ加速度の正負のどちらか一方ではバルブがカムから浮く方向であるのに対し、デスモドロミックエンジンでは加速度の正負両方で開カム・閉カムのどちらかに押し付けられること。しかも、開カムのバルブリフトが小さい時、閉カムのバルブリフトは大きいこと。
です。優先順位を付けて簡単にまとめると
「普通のエンジンでは高回転でバルブが浮き気味になるの対し、デスモではバルブがカムに押し付けられる等々の理由」
でしょうか。この理由は「構成部品の多さ」で説明できません。
https://jfrmc.ganriki.net/zatu/pvs/pvs.htm
https://jfrmc.ganriki.net/rs67/rs67-2.htm
に次の写真を追加しました。
1983年タイムトンネル(筑波)でのRS67Ⅱ
2024年現在、現存するRJ66(125㏄3気筒)クランクケース
に行き、記念にヤルノ・サーリネンのクリアファイルを買いました。2019年開催の特別展の記念商品の売れ残りのようです。当時200円でしたが、300円になっていました。
特別展の記事
https://lrnc.cc/_ct/17265825
(「1972年、フィンランド・イマトラGPの250ccクラス表彰台。J.サーリネンは2戦を残してチャンピオン決定しましたが~」の太字は「1戦」の誤り。残り1戦はスペインGP)
私がバイクに興味を持ち初めて購入したバイク雑誌にサーリネン、パソリーニの死亡事故の記事がありました。それ以来、私にとってサーリネンは特別な意味を持つ名前です。
上の記事では2種類のクリアファイルが写っていますが、私が購入したのは下のもの。もう1種も売っていました。
上の記事の冒頭の写真がクリアファイルにもありますが(左側の右上)、サーリネンの肩から下がっている布片にフィンランド語で「Voittaja 250cc」(250㏄勝者)と書かれています。
1960年代にスズキに乗り50㏄2回(63、64)、125㏄2回(63、65)世界チャンピオンになったライダーです。
1966年最終戦日本GPを最後に世界GPから引退したのですが、スズキ時代に彼のメカニックを務めたのが永田選さん(故人)です。
永田さんはスズキのGP撤退後の1968年7月にスズキを退社し永楽モータースを経営されたのですが、アンダーソンとの親交は続いていたようです。
アンダーソンは1991年に来日し筑波サーキットのレースに出場しましたが、
http://iom1960.com/other/anderson-1991.html(元スズキの中野さんのサイト)
レースの翌日にアンダーソンは永田さんと会ったようです。永田さんが持っていたアンダーソンのサイン入りジャンパー(ブルゾン)。
To Nagata San
From Your Good
Friend 24.11.91
Anchung
と書かれています。日付はレースの翌日です。
Anchungは「アンちゃん」です。アンダーソンがスズキチームの面々から「アンちゃん」と呼ばれていたことが中野さんのサイトに書かれています。
http://iom1960.com/other/anderson.html
アンダーソンの自伝にもAnchungと呼ばれていたことが書かれていたので、このブルゾンの文字はアンダーソンが書いたものです。
このジャンパーはアンダーソンと永田さんの深い関係を如実に表すものといえるでしょう。