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レーシングマシンについての記事は「その他」にもあります。

ガソリンより20円安いのに…環境にもやさしい「夢の燃料」が販売禁止になった残念すぎるワケ

ガソリンより20円安いのに…環境にもやさしい「夢の燃料」が販売禁止になった残念すぎるワケ

 日本でE3(エタノール3%含有ガソリン)までしか認められていないという記事ですが、Wikipediaを参考にしたのでしょうか?

 ガソリン品確法が改正され(2012年施行)、現在はE10まで認められていますし、JISにもE10の規定があります。
https://www.eneos.co.jp/binran/part02/chapter01/section01.html
 自動車取扱説明書にもE10について書かれています。

 また、MTBEはアルコール類ではありませんし、インプタールはイソブタノールの誤りです。まあ、環境省も記者発表資料の文章でイソブタノールと書きながら、表ではインブタールと書いていますが。

https://www.env.go.jp/press/2478.html

 ガイアックスの値段の安さは記事にありますように税金逃れの結果ですが、低位発熱量は https://www.env.go.jp/air/report/h12-01/h12-01-01.pdf

ガソリン 8,020kcal/l (10,840kcal/kg)
ガイアックスは 7,260kcal/l (10,060 kcal/kg) 

なので、リットルあたりの燃費は
7260/8020=0.905

で、ガソリンより9.5%低くなるはずです。

 そもそもアルコール類は金属、ゴムを腐食・劣化させるため、E10ですら全てのガソリン車に使えるわけではありません。
https://www.mlit.go.jp/common/000205941.pdf

 ガイアックスが禁止された理由を「残念な理由」とするライター氏の思考能力が残念です。

 さて、E10をガソリンスタンドで販売するにしても普通のガソリンの販売を止められませんから(E10非対応車用に)保管槽は2種類必要で、今でも苦しいガソリンスタンド経営をさらに苦境に陥れることになりますから、普及しないのは当然です。


 まあ、最近は「目の前環境原理主義」ですから、E10でない普通のガソリンがいつまで買えるか疑問もありますが。

※目の前環境原理主義
 目の前の環境問題だけを考えた行動を取り、それが目の前以外の環境問題を引き起こす可能性について全く考えないこと

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ヤマハYZR500

https://jfrmc.ganriki.net/bekkan/y/yzr500/yzr500.htm

別館に追加しました。


-/YZR500-B-9608

 阿部典史が日本GPで優勝したマシンそのものです。残念ながら次戦での転倒でこの9608は破損してしまったので現存していないと思われます。

『忍者ホームページ』障害

古い記事(更新前の記事)が表示される障害は修復されたようです(5日7時現在)。
 ですが、記事の更新ができない状態は続いています(8時現在では修復済)。

 近々追加予定の写真(91東京モーターショー)です。

YZR500-E-9102/YZR500-B-9102

 エンジン/フレーム番号、カラーリングからするとレイニーのマシンでしょう。


『忍者ホームページ』障害発生のおしらせ

https://www.ninja.co.jp/information/all_category/emergency/13902/




「本日14:30より『忍者ホームページ』上において、ストレージサーバの障害が発生しております。
復旧のためバックアップ機への切り替え作業をしている関係で、表示される内容が古かったり、更新ができなくなっています。」


ホンダの飯田佳孝氏と鈴鹿サーキット

 以前、ホンダのウエブサイトにあった「レーシングの源流」では、ホンダとフーゲンホルツの関わりについて次のように書かれていました。

「すでにヨーロッパでの活動によって多くの知人を持っていた飯田は、オランダでホンダ製品を取り扱うモーターサイクルディーラー、ヘッド・モト・パリス(注:Het Motorpaleis)のオーナーMr.モーカルク(注:Moerkerk)にその件を相談してみた。彼は、世界GP挑戦初期の不慣れなホンダ・チームの転戦に同行し、物心両面に渡って多大な世話になった人物であり、飯田とも心が通う信頼の置ける人物だった。そのモーカルクが推したのは、同じオランダ人のジョン・フーゲンホルツという人物だった。」

  Het Motorpaleis(ロッテルダム)のMoerkerkについて飯田は次のように語っています(昭和二輪レ-ス史1950~1980(八重洲出版2008)) 。

  「ヨーロッパ各国を転戦するわけですが、ホテルなどの手配は、オランダのロッテルダムのディーラーにお世話になりましたよ。世界中のモーターサイクルを扱っている大きなお店の社長さんでしたが、大のホンダファンになってくれて、私のブロークンな英語でも問題ない~」

 つまり飯田は遅くとも1960年6月にはMoerkerkと親しい関係になっていたのです。また、1960年の世界GP参戦はオランダをベースキャンプにしていたようですので、当然、フーゲンホルツ(ザンドフールトサーキット支配人)とも交流があったでしょう。
 つまり、飯田は1960年6月にはMoerkerkとフーゲンホルツの両者と面識がありました。

 そして、飯田は彼がサーキット担当になった以降のことに次のように語っていました(オートスポーツ1994-6-1)。
「突然サーキット担当(になることが)決まったのです~最初は真冬のヨーロッパに、レース場視察ということで出かけました。その時、本田社長にいくつかアドバイスを受けました。ひとつは日本人スタッフだけではなく外国人のアドバイスを受けた方がよいということ~」
 と語っています。この「突然」は世界GP最終戦イタリアGP(9月12日)後の日本帰国後でしょう。つまり、ホンダが外国人のアドバイスを受けることを決めたのは1960年9月以降のことであり、世界GPシーズン中のことではなかったことが分ります。

 というようなことを

鈴鹿サーキットの設計者は誰?

に加筆しました。


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