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レーシングマシンについての記事は「その他」にもあります。

公開校正 RACERS Vol.76 TZ500

公開校正の RACERS Vol.76 TZ500(リンク) に大幅加筆しました。前回、55頁まで校正しましたが、55頁以前も含めて加筆しています。
 執筆者(ライター)の1人はWikipediaがお好きなようで、Wikipediaの誤りを丸写しした記事が見られ、当時の雑誌等を確認すれば間違えるはずがないことを間違えています。どうしようもないですね。
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「理論上」

https://x.com/minakenbo/status/1941841991064780832

 泉大津市長のXにコミュニティノートが付けられました。


「20リットルの軽油(C12H26)を生成するには、理論上、約14kgの炭素が必要です、大気中の二酸化炭素濃度を400ppmとすると、理論上、6万5千立方メートルの空気が必要となり、3LDKのマンション約340室分です」


 C12H26はドデカンですが、上の書き方ですと、軽油=ドデカンと読めてしまいます。書くなら、「軽油のC、Hの原子数比を12:26とする」でしょうか?

 しかし、26/12=2.17は大きすぎます。自動車の燃費測定は排ガス中のCO2、COを測定し、これを燃料の量に換算するのですが、軽油の場合H/C=1.90です(ガソリンは1.85)。
https://www.ataj.or.jp/technology/carbon_balance/carbon_balance4.html
245
 軽油の比重=0.825あたりとすると、軽油20リットルは

20×0.825×12/(12+1.9)=14.245 ㎏C

になります。

 次に上の「6万5千立方メートル」を求める式は

14×22.4×1000000/(400×12)=65333 m3

  これは0℃・1気圧が前提ですので、20℃・1気圧の条件で、軽油20リットル、炭素14.245㎏に相当する大気の体積を求めると

14.245×22.4×1000000×(273+20)/(400×12×273)=71345≒71300m3

になります。

 2023年の大気中のCO2は420ppm
https://www.data.jma.go.jp/ghg/kanshi/ghgp/co2_trend.html

で計算すると大気の体積は67947m3≒67900m3になります。

 まあ、コミュニテイノートの計算は「こんなにたくさんの大気が必要ですよ」というためのものですが、「軽油(C12H26)」はコミュニティノートが付くレベルだと思います。

RACERS Vol.76  TZ500(8 )

前回、次のように書きました。

「1980年は、私にとってもっとも印象に残っている全日本750(後の500)シーズンの一つです。そんな訳で、34~37頁の1980年全日本の写真に違和感を覚えるものが多く、当時の雑誌掲載写真で確認しました」

 違和感の例は次のとおりです。※は写真が予選ではなくレース(決勝)で撮影されたものとした場合です。

34頁「最終戦、750の毛利を追う500の鈴木」 
   「1980 R10 鈴鹿」

※R10日本GPで毛利と鈴木が接近して走ったのはレース1~2周辺りだが、2人の前後に他のライダーが見えない。
 R10日本GPは予選、決勝とも晴天だったが、写真では曇りのように見える。
 

36頁左上・写真1「1980 R10 鈴鹿」  
 水谷のTZ500のフェアリングの下に「くるまのオオス」の大きなステッカーがない。
 R10日本GPは予選、決勝とも晴天だったが、写真では曇りのように見える。

37頁写真1「(写真タイトル)「1980 R10 鈴鹿」
 石川のTZ500が伊太利屋カラーではない。
※R10日本GPで佐藤と石川が接近して走ったのはレース1~2周辺りだが、2人の前後に他のライダーが見えない。
 R10日本GPは予選、決勝とも晴天だったが、写真では曇りのように見える。

 日本GPの天気云々についてですが、37頁写真4は第10戦日本GPのものですので、これと比較すれば一目瞭然です。


 ライターにこんな感覚を求めているのではありません、念のため。

公開校正

に RACERS Vol.76 TZ500

を追加しました。暫定版です。

 掲載写真のレース名表記の誤りも多いですし、Wikipediaの誤った記述をそのまま信用してでっち上げたような記事もありますし、校正しがいがありました。

 さて、41頁に「(1981年)ランキング上位4位までを~TZ500勢が占め~結果的にこの’81年がTZ500にとってもっとも成功したシーズンとなった」とありますが、私にとってはファクトリーマシンが得点対象外の下、TZ500ライダーが上位を独占したことよりも、1980年の方がTZ500の速さを感じたシーズンでした。

 何しろ、TZ500は排気量がTZ750の2/3なのにTZ750と同等以上の速さで、第4戦鈴鹿ではTZ500がスズキXR34H(RGB500)を破り、最終戦・日本GPではTZ750、2台のTZ500がXR34Mを抜き去り2位争いを繰り広げた(その後、TZ500の水谷の転倒に他の2人が巻き込まれて転倒)のですから。

 1980年は、私にとってもっとも印象に残っている全日本750(後の500)シーズンの一つです。そんな訳で、34~37頁の1980年全日本の写真に違和感を覚えるものが多く、当時の雑誌掲載写真で確認しました。




RACERS Vol.76  TZ500(7) Wikipedia

RACERS Vol.76  TZ500(2)

で、次の誤りを指摘していました。

35頁中列終わり~「~最終戦の日本GPではTZ500の鈴木とTZ750に乗る毛利がチャンピオンをかけて争う展開となった」
 毛利が乗ったのはTZ500。
 
写真2・3「~木下を追うのはTZ750で3位になった金谷秀夫」
 金谷が乗ったのはTZ500。

37頁写真2「’78年のA750チャンピオン#20上野真一も、’80年はTZ750で走り続けた」
 ’78年のエキスパート750チャンピオン♯20上野真一も、’80年第4戦からTZ500で走った。

 当時の雑誌記事を見ていれば間違えるはずないのになぜ間違えたのだろうと思っていましたが、Wikipedeiaの誤りを写したようですね。

Wikipediaの1980年の全日本ロードレース選手権  に次の表があり、毛利、金谷、上野がTZ750に乗っていたことになっています。

 RACERSは三栄書房発行なのですから、昔のモトライダー誌等が保管されていないのでしょうか?
 また、37頁写真2を見て、TZ500だと気が付かないのでしょうか?

 ライターの仕事ぶりがよくわかります。










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