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レーシングマシンについての記事は「その他」にもあります。

テクニカルコース

ロードレースサーキットの特性について「テクニカルコース」という用語があります。

MotoGP史上最長シーズンの最終戦。中上貴晶が復帰 | Honda.Racing


「バレンシア・サーキットは、一周4.005kmのテクニカルコースです」
「スコースの特徴は、左回りで低中速コーナーが連続し、メインストレートを除いて、常にマシンがどちらかにバンクしている難易度の高いレイアウトです」

中上がプラクティスで20番手。土曜日の予選はQ1から挑む | Honda.Racing

「ミサノのコース前半はテクニカルコース、終盤はハイスピードセクションですが」

 これらの記述からすると、コーナーが連続するコースがテクニカルコースということのようですし、「ハイスピードコース」は直線が長いコースのようです。

 さて、1977~86年の10年間、イギリスGPの舞台だった(かつての)シルバーストーンサーキット(4.71km)は400~700m程度の直線を中高速コーナーで繋いでおり、コーナーがあまり連続していません。
 下図は1983 British motorcycle Grand Prix - Wikipedia の図に加筆したもので、

黒数字 直線長(推測)
赤数字 500㏄レーサーの変速機段数(推測)
を示します。


 1983年、このシルバーストーンで行われたイギリスGP予選でケニー・ロバーツ(ヤマハ0W70)が1分28.00)秒を記録(1位)しましたが、平均速度は190km/hを超えています。

 一般的な感覚では「シルバーストーンはハイスピードコースであってテクニカルコースではない」ということになるのでしょう。

 しかし、このコースを早く走るための「テクニック」の難易度は「テクニカルコース」より低いのでしょうか?
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ヤマハ0W45(1979年型YZR500)

タイトルの記事を2002年に公開しましたが、内容を少し見直しました。

OW45 YAMAHA(その1)

OW45 YAMAHA(その2)

 ロバーツに与えられた2台(シーズン中に更新された可能性大)をレース毎に判別した記事について再チェックしましたが、判別結果の見直しはありません。

 さて、1979年にロバーツは5勝しましたが、その5勝目がイギリスGPでした。当時、レース映像をテレビで見ることなどほとんどなかったのですが、このレースの映像がごく短時間だけNHKの「海外の話題」(土曜日夜7:20~7:30)で流れたのを思い出します。

 このレースのスタート直前、ウォームアップラップから帰って来たロバーツの0W45からギアオイルが漏れており、その修復にてんやわんやになるのですが、その映像(54秒から)。


 レースの映像。



夕陽

先日、五色台(香川県)の休暇村に行ってきました。

 この休暇村、前にも泊ったことがありますが、この春のリニューアルにより、レストランの前にテラスが整備されており、このテラスから見る景色がきれいでした。
 中央の橋は瀬戸大橋です。

スズキRZ63Ⅱ(1963年型250㏄スクエア4気筒)

については元スズキの中野さんのウェブサイトをお読みください。
1963-世界選手権レ-ス 本文-2

  鈴鹿サーキットで3回のテストを重ねた上で日本GPに出場したとのことですが、米津浜テストコースでもテストが行われたようです。
 サイクルワールド(アメリカ) DECEMBER 1963 | Cycle World にテスト中の写真があり、撮影場所は鈴鹿になっていますが、この風景は米津浜テストコースです。
 
 この写真は日本のThe Motor Cycle(誌)の提供によるものとのことですが、モーターサイクリスト誌のことだと思われます。TEAM SUZUKI by Ray Battersby(Osprey 1982/Parker House2008)によると写真を撮影したのはYori Kandaです。
 Yori Kandaは神田頼樹(かんだ よりき)さんのことで1970年代以降、いわたげんというペンネームでも有名でした(故人)。

 「鈴鹿」とされた理由ですが、
〇サイクルワールド側の勘違い。
〇「米津浜」とすると、スズキ関係者の責任問題になることを避けるためにモーターサイクリスト誌側で「鈴鹿」とした。

の何れかでしょう。



1961アルスターGP125㏄

1961年、1961年型125㏄・RC144は第2戦ドイツGPで登場しますが、MZ勢に遠く及ばず、RC144E(RC144エンジン)と並行して開発を進めていた2RC143EをRC144F(RC144フレーム)に搭載したマシンが第3戦フランスGPに登場しトム・フィリスの手により優勝、第4戦以降もこのマシンが用いられました。

 1961年、世界GPでホンダ125㏄、250㏄に乗り優勝した外国人ライダーはトム・フィリス、ジム・レッドマン、ルイジ・タベリ、マイク・ヘイルウッド、ボブ・マッキンタイヤ(250㏄だけ乗る )ですが、これら以外にも特定のレースで外国人ライダーがホンダに乗りました。

 思いつくのは、ジョン・ハートル、ヤン・ヒューベルツ、ディッキー・カーター、Pierrot Vervroegenです。

 ハートルは有名なライダーですし、ヒューベルツは1960年オランダGP250㏄でホンダに乗った実績がありました。

 一方、Pierrot Vervroegen(ベルギー)はベルギーGP125㏄が初GPのようです。そして、250㏄で乗ったのはRC161(1960年型)でした。ですから125㏄で乗ったのはRC143E/RC143Fではないかと思われます。

 そして、ディッキー・カーター(エントリーリストではG.G.CARTERになっているので、ディッキーは誤りの可能性がある)はアルスターGP125㏄に出場し1周遅れの12位でした。ゼッケン28がカーターです。 (20+) Facebook

 車体は一見してRC144Fと分ります。そしてフェアリングの奥に見える排気管からするとエンジンはRC144E(シリンダーが10度前傾)ではなく2RC143E(35度前傾)またはRC143E(35度前傾)のようです。




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