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JFRMCブログ

レーシングマシンについての記事は「その他」にもあります。

ヤマハ0W16/17はTZ350/TZ250がベース?

 ヤマハGP参戦50周年記念サイトでは、1973年の0W17について「新型市販レーサーTZ250をベースとするYZR250(0W17)」としています。
コラムvol.11 - レース情報 | ヤマハ発動機 (yamaha-motor.com)

 同趣旨の雑誌等記事もあります。

一方、
1975年 YZR350(0W16) - コミュニケーションプラザ | ヤマハ発動機 (yamaha-motor.com)
では、0W16を「市販レーサーTR-3を水冷化したYZ634から進化し、1973年ダッチTTで0W16としてデビュー」
とし、「進化」と表現しています。


「TZ250をベース」ですと、私は

〇TZ250の主要パーツに追加工を施したマシン

あるいは

〇TZ250のシリンダー/シリンダーヘッド等をファクトリー仕様のものに交換したマシン

という印象を受けます。

 さて、Yamaha Racing Motorcycles: All Factory and Production Road-Racing Two-Strokes from 1955 to 1993 by Colin MacKellar, The Crowood Press  

 では次のように書かれており、0W16/0W17はTZ250とは全く別のマシンということになっています。
「OW16 was a magnesium special」
「engine running backward, and an extra jackshaft driven from centre of crankshaft」

 1973-75年のTZエンジンにマグネシウム合金部品はなく、クランクシャフトは前方回転でジャックシャフトはなく、動力取出はクランクシャフト右端です。
 本書の記述が正しいなら、確かに0W16/0W17はTZとは別物ですね。

 なお、本書では0W16:250㏄、0W17:350㏄としており、これはもちろん誤りです。上の文の「OW16 was~」はYZR250についての記述です。

 実際はどうだったのでしょうか?
(続く)


 
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スズキXR34M1

XR34 SUZUKI (ganriki.net)
で、「某所に置かれている」としてたXR34M1(1980年型RGB500の内の1機種)ですが、現在は浅間記念館に展示されており、展示リストに「RGB500」とあります。
浅間記念館(二輪車展示館) 長野原町営浅間園 (asamaen.tsumagoi.gunma.jp)

 個人の訪問記録
#浅間記念館 - Twitter検索 / Twitter
に写真があります。

 XR3400、XR3402H、XR3403H、XR34M1、XR34M2の区分はこちら。私見ですが。
XR34 SUZUKI (ganriki.net)






ヤマハ0W16/0W17(1973-75年型YZR350/YZR250)

 表題は1973-75年のヤマハ350/250cc2ストローク並列2気筒のファクトリーマシンで

0W16 350㏄
0W17 250cc

です。「0W〇〇」はヤマハ社内の計画記号であり、かつ機種記号です。
1973年に登場した700㏄/500㏄4気筒の計画記号が0W19で、機種記号が0W19(700㏄)、0W20(500㏄)だったのと同様、この2機種も計画記号は0W16だったのでしょう。

 0W16/0W17の3年間の勝利数は次のとおりです。

 
1973年
0W17  3勝(ヤーノ・サーリネン)、2勝(Teuvo Länsivuori)
0W16  2勝(Teuvo Länsivuori)
 
1974年 
0W17 参戦せず
0W16 5勝(ジャコモ・アゴスチーニ)、1勝(Teuvo Länsivuori)
 
1975年
0W17 2勝(ジョニー・セコット)
0W16 1勝(アゴスチーニ)、1勝(金谷秀夫)
 しかし、0W16/0W17いずれも、ヤマハのウェブサイトで語られる歴史では影が薄い存在です。

 ヤマハGP500勝記念サイトでは0W17(250cc)は影も形もありません。
Movistar Yamaha MotoGP |Bikes

 0W16(350cc)は1974年にだけ6勝を挙げたことになっていますし、マシンの写真は1979年型TZ350です。
Movistar Yamaha MotoGP |Bikes

  また、ヤマハGP参戦50年記念サイトの記事
年代別一覧(1970~1979年) - レース情報 | ヤマハ発動機 (yamaha-motor.com)
 で登場するのは、1974 年の頁
1974年 - レース情報 | ヤマハ発動機 (yamaha-motor.com)
で「500ccクラスに加え350ccクラスにもエントリーしたG・アゴスチーニはYZR350(0W16)を駆り、全10大会中で5勝を飾りチャンピオンを獲得した」とあるだけで、1973、1975年の頁には何の記述もありません。

 あまりにも扱いが軽いですね。

 
 一方、コミュニケーションプラザに展示されている0W16の説明書き
1975年 YZR350(0W16) - コミュニケーションプラザ | ヤマハ発動機 (yamaha-motor.com)
では「1973年ダッチTTで0W16としてデビュー~1974年ジャコモ・アゴスチーニ、1975年ジョニー・チェコットのチャンピオン獲得に貢献した」

とあります。「ダッチTT」は正しいのですが、「1975年ジョニー・チェコット」は誤りです。0W16の戦績の過大評価ですね。1975年、セコットは250㏄クラスでは0W17に乗りましたが、350ccクラスでは0W16ではなくTZ350に乗りました。

 なお、コミュニケーションプラザに展示されている0W16は1975年型ですが、当時製作されたものではなく、21世紀になって海外で製作されたレプリカです。

(続く)




ダンロップ TT100

  いうまでなく、ダンロップの二輪用タイヤの銘柄名です。この名前の由来について、ダンロップ二輪のウエブサイト
バイクのタイヤならDUNLOP (dunlop-motorcycletyres.com)

からリンクする
ルックスも乗り味もネオクラシックモデルに最適な、ダンロップTT100GP/TT100GPラジアル 特集記事&最新情報|バイクブロス (bikebros.co.jp)

に次のように書かれています。

ダンロップがTT100の前身となるK81を発売したのは、1968年のこと。そしてK81を履くトライアンフ・スラクストンボンネビルで、1969年にマン島TTに参戦したマルコム・アップヒルは、750ccプロダクションクラスで史上初の平均ラップ100mph≒160km/hオーバー、100.37mphを記録し、劇的な優勝を達成したのである。この戦果を記念して、当時のダンロップはK81の製品名をTT100に変更。」

 100mph=160.93km/h≒161km/hということはさておき、K81がTT100に名称変更したように書かれています。

Wikipediaでは
TT100 (motorcycle tyre) - Wikipedia


The Dunlop K81 TT100 is a motorcycle tyre~~~

Originally introduced in early 1968 as the Roadmaster K81 rear tyre by Dunlop Rubber Co. Ltd, the tyre was renamed "TT100" because it was the first production tyre to reach a lap speed of 100 mph over the Isle of Man TT race course when Malcolm Uphill rode his works Thruxton Bonneville to victory in 1969 with a fastest lap of 100.37 mph during the 750 cc class production race.

 「renamed」とありますが、上の文では「K81 TT100」となっています。

  1983年に私のバイクの後タイヤをTT100に交換したのですが、タイヤに「K81」と「TT100」の文字がありました。つまりK81→TT100に名称変更したのではなく、K81にTT100という名称が付加されただけです。

 現在のダンロップEUのウエブサイト
Dunlop TT100 Tyres | Dunlop

では、「4.10-18 59H TT K81 TT100」等、4サイズがラインナップされており、「K81 TT100」とされています。
 
 ではTT100GPは?

 知り合いが昨秋に国内タイヤ販売店で窓口購入したTT100GPにK81の文字はありませんでしたが、ネットでTT100GPの画像を検索すると、タイヤにK81とTT100の文字が見られるものがあります。
メルカリ - DUNLOP TT100GP 18inch 【メンテナンス】 (¥3,500) 中古や未使用のフリマ (mercari.com)

 一部を拡大すると

 「K81」が見えます。
 サイズ、時期、製造国によってTT100GPにK81の文字があるものとないものがあるのでしょうか?



1986年型ホンダNSR250(NV1B)の排気管(2)

   さて、世界選手権では、第8戦フランス(7月20日)で各ライダーのマシンが一斉に新型排気管になります。

 第7戦ベルギーGPプラクティス、レースの映像。

 以下の写真はこの映像から切り取ったもので、各マシンともフェアリングから出る下側排気管(車体右側)が短く「とぐろ」型と分ります。

アントン・マング


アルフォンシト・ポンス


ジャン・フランソワ・バルデ



ドミニク・サロン


ファウスト・リッチ


ヴィルジニオ・フェラーリ



 そして、第8戦フランスGPの映像。

 以下の写真はこの動画から切り取ったもので、下側排気管(車体右側)が後方に長く伸びています。

マング


ポンス



サロン


 当時の世界GPスケジュールを確認すると

第1戦スペイン(5月4日)、第2戦イタリア(5月18日)、第3戦ドイツ(5月25日)~第6戦オランダ(6月28日)、第7戦ベルギー(7月6日)、第8戦フランス(7月20日)

です。


 この第2戦イタリアGPがホンダにとって転換点だったようです。このレース、マングとラバードが激しいレースを繰り広げ、僅差でマングが勝ったのですが、直線が長いモンツァでヤマハ0W82がNSR250と対等に戦ったのです。


  新型排気管の開発がいつ頃始まったのかは分かりませんが、このイタリアGPの結果が、ホンダにNSR250の最高出力向上を急がせることになったと思います。そして、イタリアGPの1週間後の全日本第6戦菅生で新型排気管が姿を現しました。

 その後も何回かの仕様変更とテストが行われ、初登場(菅生)から2か月後の第8戦フランスGPで投入されました。
 おそらく、第7戦ベルギーと第8戦フランスの間の2週間に新型排気管がGPライダーによってテストされたのでしょう。



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