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レーシングマシンについての記事は「その他」にもあります。

1986年型0W82のフレーム番号

 前回紹介したフレーム番号YZR250-B-602の他、次のフレーム番号の0W82を見たことがあります。

YZR250-B-601 無パワーバルブエンジン


YZR250-B-605 パワーバルブエンジン

   ゼッケン31のマルボロカラーは平忠彦選手のもの。

 1986年、世界GPで0W82を与えられたラバード、ヴィマー、平の1985年以前の世界GPでの実績、そして上に示したフレーム番号等から、3人に与えられた0W82のフレーム番号は次の通りだったと推定します。


YZR250-B-601   ラバード
YZR250-B-602 ラバード
YZR250-B-603 ヴィマー
YZR250-B-604 ヴィマー
YZR250-B-605 平
YZR250-B-606 平


 0W82は全日本選手権でも走り、長谷川嘉久、片山信二がシーズン当初から、終盤には奥村裕が加わり(復帰し)3人体制になります。そして片山選手がタイトルを手にしました。
 おそらく、

YZR250-B-607   YZR250-B-608 YZR250-B-609

 が国内テスト・全日本選手権用マシンに割り振られたフレーム番号だと思います。

(続く)
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ヤマハ0W82(1985-86年型YZR250)

 ヤマハは1973年、1975年に250ccファクトリーマシン0W17を走らせましたが、1976年以降、市販レーサーTZ250、あるいはTZ250エンジン搭載車が250cc世界選手権を走るヤマハ車でした。そして、1982~84年はヤマハ車に乗るライダーがタイトルを手にしました。

 しかし、1985年、ホンダが世界選手権250ccクラスにファクトリーマシンRS250RW(NSR250)を登場させ、フレディー・スペンサーが第9戦までに7勝を挙げるようになると、ヤマハ市販レーサーベースのマシンではホンダに対抗することはできなくなってしまったのです。

 そして、第10戦イギリスで待望の250ccファクトリーマシン・0W82が登場、カルロス・ラバードに与えられました。 

 これは0W82の1986年シーズン前公開写真です。エンジンは0W81・500㏄V型4気筒のエンジンの右側半分のような250cc2軸60度V型2気筒で、後気筒は後方排気でテールカウル内にサイレンサーがあります。


 ラバードは第11戦スエーデンでも0W82に乗りましたが、この2GPでは優勝できず、最終戦サンマリノではTZ250に乗り優勝しました※。


 そして1986年、世界GPでヤマハはラバード、マーティン・ヴィマー、平忠彦の3人に0W82を与え、ラバードが6勝を挙げタイトルを手にし、平も最終戦サンマリノで優勝しました。

 この頃、ヤマハの2ストロークレーシングエンジンといえばパワーバルブ(YPVS:ヤマハ・パワー・バルブ・システム)が装着されるのが当然だったのですが、1986年型0W82にはパワーバルブの無い仕様もありました。

 上に示したシーズン前公開写真のマシンのエンジンは、無パワーバルブ仕様です。

 もちろん、実戦ではパワーバルブ仕様も登場しましたが、ラバードがレース毎にパワーバルブエンジンと無パワーバルブエンジンを使い分けしていたことが当時から知られていました。

 
 現存するYZR250-B-602(フレーム番号)です。
Carlos Lavado Yamaha YZR250 | With Phil Anysley | MCNews

 このエンジンはパワーバルブ仕様ですが、ラバードの無パワーバルブエンジンとの使い分けについて

He used this bike, which was fitted with power-valves, for wet weather races, winning two. His other bike, with no power-valves and used for dry races, had four wins.

 と書かれています。
 1986年、ラバードが優勝したのはスペイン、ドイツ、オーストリア、ユーゴスラビア、オランダ、スエーデンで、ウエットレースだったのはスエーデンだけです。
 他のウエットレースはベルギー、イギリスで、ベルギーではリタイア、イギリスでは2位でした。

 ですから、上の記述は誤りです。また、ウェットレースだったスエーデンでは無パワーバルブエンジンが使用されたものと考えています。
 ただ、

パワーバルブエンジン:2勝
無パワーバルブエンジン:4勝

に関しては、そのとおりだと考えます。
・・・・・・・・・・・

ヤマハ世界GP500勝記念サイト

Movistar Yamaha MotoGP |Bikes
では0W82の優勝回数を「8」、優勝年を「1985、1986」としています。これは1986年の0W82の7勝に加えて、1985年のサンマリノGPをカウントしたものです。

 誰が編纂したのか知りませんが、当時のヤマハ自身の記録どころか雑誌や年鑑の記事を調べることなく、「0W82は1985年イギリスグランプリで登場したのだから、それ以降の戦績は全て0W82によるもの」と決めつけて数字を「創造」したのでしょう。この程度の方が編纂していますので、他にもかなり誤りがあります。

 これは1985年最終戦サンマリノの映像です。


 2分40秒あたりから見ると、ラバードのマシン下側左右に排気サイレンサーが見え、テールカウルにサイレンサーが見えないので、明らかにTZ250( 直列2気筒)と分ります。ただし、1985年型TZ250はスチールパイプフレームですが、ラバードが乗ったのはアルミ・ツインチューブフレームのTZ250プロトタイプです。

(続く)




現存するカワサキKR250エンジン



 シリンダー/シリンダーヘッドは前後別体
 シリンダー鋳込み数字は「125CC」
 スタッド前後ピッチ比は1.4


 からすると、1980-81年型です。
 注目すべきはシリンダーヘッド本体の冷却水出口に装着された連結パイプで、サーモスタットハウジングが設けられており、上に冷却水主出口、(向かって)左にバイパスがあります。


 なお、このエンジンにはエンジン番号がありません。ですから、世界GPの現場に持ち込まれなかったのではないかと思います。

 下は1980年フィンランドGPで撮影されたバリントンのKR250(既出)。上写真と撮影の方向が異なるので分りにくいですが、シリンダーヘッド左側(写真奥側)にサーモスタッドハウジングはなく、接続するホースの向きも上写真と異なっています。


 これはバルデの1982年型KR250(既出)で、サーモスタットハウジングはありません。


 1979年以前、KR250エンジンのシリンダー/シリンダーヘッドは2気筒一体で、シリンダーヘッドにはサーモスタットハウジングが設けられており、サーモスタットも装着されていました。
 1980年型になりシリンダー/シリンダーヘッドが2気筒別体になったのですが、最初の写真のようにサーモスタット装着型もあったのです。

 ただ、このタイプの連結パイプが実戦で使用されたかどうかは疑問です。

 「水冷」の目的は「水温を一定に保つ」ことではなく「エンジンの温度を下げる」です。サーモスタットを装着し(バイパス経路があったとしても)エンジン内の水の流れを抑制すれば、例え水温を一定に保ったとしてもエンジンの温度が高くなります。特に高温部のシリンダーヘッド、シリンダー排気ポート周辺が。

 当時、2ストローク500cc4気筒レーサーではサーモスタットを設けないのが常識になっていたのは当たり前のことです。





Hervé GuilleuxのKR250

 1982年を最後にカワサキによる2ストロークロードレース活動は終わりますが、海外に残されたKR250/KR350の活躍は続きます。
 よく知られているのは、1983年のHervé GuilleuxとKR250で、スペインGPで優勝、ランキング4位となりました。この1983年250ccスペインGPがカワサキにとって最後のGP優勝です。

 オランダGPでのGuilleuxのKR250です。

 assen 1983 - YouTube から切り取ったものです。2分あたりから見てください。

 エンジンは1980-81年型と1982年型の区別ができませんが、後スイングアームが1982年型ですので、エンジンも1982年型なのでしょう。
 
 Guilleuxのマシンは元バルデのマシンといわれますが、そのとおりで、バルデが1982年に用いたKR250そのものだと考えます。





カワサキKR350が世界GP500ccに

  1982年頃、あるバイク販売店でレースビデオを映していて、その中に1982年500ccアルゼンチンGPのビデオがありました。ビデオ作品ではなく現地でテレビ放送を録画したもので、もちろん言語はスペイン語。

 店頭でビデオを見て気が付いたのは、KR350に乗ったマングがピットインする様子。アルゼンチンGPでは250㏄クラスはなかったので、マングは350ccに加えて余力で500ccにも出場したようです。

  レースの一部の映像がyoutubeにあります。映像は上の映像と同じでコメンタリーは英語です。


 5分25秒あたりから、ピットインするマングが写っています。


 スイングアームは新型のようです。

 MOTORCOURSE1982-83で記載されている予選結果は上位だけで、マングの名前はありませんから、あまりいいタイムではなかったのでしょう。

 さて、KR350のボア×ストロークは64×54.4mmあるいは64×54.39mmとされています。
 レギュレーションでは排気量を円周率3.1416で計算することになっていたはずですから、
 64×54.4→350.01cc
 64×54.39→349.95cc
になります。64mmといっても、64.00mmではなく63.97mm程度なのでしょう。

 例えばボアを64.10mmに拡げれば351.1ccになり、500㏄クラスに出場できます。

  当時のカワサキの競技用モデルシリンダーは、ELEX(線爆溶射)シリンダーだと思いますが、この「KR350」は


1 ELEXシリンダーのままボアを僅かに拡大
2 数mmボアを拡大しメッキシリンダーに変更(ドイツ等でELEX加工は困難?)
3 (カワサキとは関係なく)オリジナルシリンダーを製作

したのでしょうか。


 もう一つの可能性としては「350㏄のままだった」があります。レギュレーション違反ですが、他チームから抗議されなければ排気量測定されることはあまりないため、違反は見過ごされることが大半ですし、発覚したとしても(排気量超過と異なり)悪質ではないと見なされ大きな処分は受けなかった事例があった記憶です。


   ところで、Mangのカタカナ表記は「マンク」とされることがほとんどですが、私は「マング」としています。こちらのサイトを参考にしました。
ドイツ語のカタカナ表記 (fc2.com)

 リンク先でも書かれていますが、ドイツは方言による読みの差が大きいようですので、マンクが間違いとは言い切れないのですが、標準的にはマングだと思われます。

 ドイツ語ナレーションの動画ではMangのgが聞き取れないことが大半ですが、発音のきれいな方(アナウンサー?)の発音を聞きますとgが濁って聞こえます。

 そういえば何とかリンクというサーキットがありますね。リンクはドイツ語のRingのことだそうです。




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