レーシングマシンについての記事は「その他」にもあります。
1960年代に活躍したオランダ人ライダーで、ヤマハファクトリーマシンに初めて乗った外国人ライダーです。オランダ語ではgはhに近い発音のようですが、こちらでは「キース・ファン・ドンゲン」と表記しています。
Cees Van Dongen - レース情報 | ヤマハ発動機 (yamaha-motor.com)
下の動画(28秒から)では「ケース・ファン・ドンガン」と聞こえますので、日本語表記として「キース・ファン・ドンゲン」で問題ないと思います。
で、こちらの写真
https://global.yamaha-motor.com/jp/race/wgp-50th/race_archive/riders/cees_van_dongen/img/pic_photos_cees_van_dongen_01.jpg
で、ドンガンがヤマハRD56(250㏄2気筒)に乗っていますが、いつ撮影されたものか分りません。
ドンガンが1964年オランダGPのプラクティスで1964年型RD56に跨っている写真がありますが、上の写真の前フォークは1967-68年のRD05A(250㏄V型4気筒)のもの※のようです。ですからこの写真、1967年以降ではないかと思うのですが・・・
※カヤバ製。ただし、フィル・リード、ビル・アイビーはチェリアーニ製を選択した。
以前 JFRMCブログ 50㏄世界最速は117km/h?(4) (tou3.com)
で、下の画像で富士スピードウェイのストレートをCB125Rで走る伊藤真一のヘルメット高が近兼マシンに乗る近兼のヘルメット高より40cm高いと書きました。
それにも関わらず、15PSでバックミラー、方向指示器、ナンバープレート等を装着したCB125Rが124km/hで、(測定条件は異なるものの)公称14PSの近兼マシンの108km/hより早いのです。
私がよく例に出す1967年のスズキRK67(2ストローク水冷並列2気筒50㏄)は後車軸出力17.5PSで、竜洋テストコースで176km/hです。このマシンを近兼マシンを重ねると
ヘルメット高の差は260mm程度です。そして最低地上高はRK67の方が75mm程度高いこと、車体の全幅がRK67の方が小さい※ことから、両車の全面投影面積はほぼ同じではないかと思われます。
※capbolt on X: "ちゃんとしたスペック表が世にでたの地味に初めてか? https://t.co/HauccyaDcD" / X から、近兼マシンは全長:3.1m、全幅:0.58m。
RK67のハンドル幅は規則で45cm以上で、ほぼその数字と思われますので、フェアリングの幅は少し狭く、そのフェアリングに腕が収まっている。
次は1971年型クライドラー50㏄単気筒レーサー(1971年世界チャンピオンマシン)との比較。
クライドラーの全面投影面積は明らかにスズキRK67、近兼マシンより小さいですね。
なお、同一マシンの下写真でハンドルバーの先が伸ばされ曲がっていることが分りますが、これは実質的なハンドル幅(ライダーが握る部分)を規則より小さくしつつ規則を満足するために伸ばしたものですので、ライダーが握る部分の幅(車幅)は38cm程度でしょう。
なお、写真のクライドラーのライダーはあの「ヤルノ・サーリネン」で、特に身長が低い人ではありません。
2台を上下に並べると、
近兼マシンは1971年型クライドラーと比べると
〇前面投影面積が大きい
〇ライダー前の構造部前側が大きく開口している
〇ライダー後ろに長い「ドラッグシュート」を引っ張っている
ように思います。
何回も繰り返しますが、出来が悪くてもいいんです。それは自己責任ですから。
ただ、低レベルの数字をいかにも「世界最高、日本のものづくりを証明」みたいに語ることは、50㏄レーサー、50㏄速度挑戦車の関係者に対する侮辱であり、多くの日本の技術者を貶めるものだと思います。