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レーシングマシンについての記事は「その他」にもあります。

グレッグ・ハンスフォードが乗ったカワサキKR750

1977 Kawasaki KR750 | As raced by Gregg Hansford | MCNews


https://www.mcnews.com.au/wp-content/uploads/2019/01/PA-KR750-013v3.jpg
からすると、エンジン番号/フレーム番号は

62E004/602F7605

のようです。フレーム番号中の「76」は76年型を示すのでしょう。

 こちらのKR750とはエンジン番号/フレーム番号の形式が異なります。
カワサキKR750 (ganriki.net)




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銅製の調理器具



朝食後吐き気に襲われた女性 残りものの味噌汁を飲んだせいかと思っていたら…原因は "鍋" にあった?! (msn.com)


記事中で
「食品衛生法では、銅を使った調理器具や食器などは、別の金属でメッキを施し、食品が銅と直接触れる事がないよう、規制されている。」

「銅鍋はメッキが施されたものを使ってください。」

とあります。

 食品衛生法に基づく規格基準では
「器具は,銅若しくは鉛又はこれらの合金が削り取られるおそれのある構造であつてはならない。」

「銅製又は銅合金製の器具及び容器包装は,その食品に接触する部分を全面スズメッキ又は銀メッキその他衛生上危害を生ずるおそれのない処置を施さなければならない。ただし,固有の光沢を有し,かつ,さびを有しないものは,この限りでない。」

とされていますので、条件付きで銅製調理器具の食品接触部分のメッキは必要ないことになります。

「銅鍋はメッキが施されたものを使ってください」というより

(1)銅鍋はメッキが施されたものを使い、メッキが傷まないように管理すること。例えばスチールたわしで洗わないことなどに気を付ける。

(2)食品接触部分に錫メッキが施されていない銅鍋を使用する際
〇銅鍋を洗う際にスチールたわし等を使うと、食品接触部分に傷が付きやすいので、柔らかいスポンジ等を使用すること。
 傷が付くと表面積が増え銅溶出量が増大しますし、傷から銅の細かい破片がはがれやすくなることが考えられます。

〇調理済食品を銅鍋内に保存しないこと。

ことが大事だと思います。

 これは素人の私見ですが、焼き物、炒め物ですと、熱伝導性のいい銅製調理器具であれば焼きむら等が生じにくいので、その価値が高いと思いますが、鍋料理ですと液体を加熱しますから銅鍋の価値はそれほどではないと思います。熱伝導性がいいので熱効率は高いとは思いますが。

ジャコモ・アゴスチーニ主演の映画

「汚れた英雄」の主演は草刈正雄ですが、吹替役の平忠彦が真の主演だと思う人は少なくないと思います。
 
 アゴスチーニは吹替役ではなく、アゴスチーニ自身が四輪ドライバー役で主演しています。

アゴスチーニについてはこちら。
ジャコモ・アゴスチーニ - Wikipedia



  映画の タイトルは「Formula 1 Nell'Inferno Del Grand Prix」(1970)です。23分40秒から少し二輪レースシーンがありますが、イギリスのサーキット(ブランズハッチ)での実レース映像です。

 この映画、1970年代半ばに日本語吹替版でテレビで見た記憶があります。日本でのタイトルは「Formula 1」ですが、さすがにタイトルまでは覚えていませんでした。

 アゴスチーニはこれ以外に「Amore Formula 2」にも主演しています。アゴスチーニのイタリアでの人気が分ろうというものです。





I fidanzati della morte

https://lrnc.cc/_ct/16798410

 のダストビンフェアリングを装着したジレラ500の写真を見て思い出したイタリア映画のタイトルです。英語のタイトルは「Engaged To Death」、日本で封切られた時のタイトルは「大爆走」です。
大爆走 (映画) - Wikipedia



 「こんな映画がある」という2~3行の記事をバイク雑誌(月刊オートバイ誌?)で読んでから数年後(1970年代後半)、新聞のテレビ欄でタイトルを発見して日本語吹き替え版を見た記憶。
  ストーリーは覚えていませんが、ダストビンフェアリング装着のジレラ、グッチの走行シーンが脳裏に残っています。



マン島マウンテンコースのオーバー・ザ・トン(2)

https://lrnc.cc/_ct/16798410
の続きです。

「~ホンダは、1965年のマン島TTでJ.レッドマンが350㏄、250ccの両クラスでオーバー・ザ・トンを達成」

 350㏄クラスの誤りは前回指摘しましたが、250㏄も誤りです。

 このレース、
ホンダ2RC165(4ストローク空冷並列6気筒)に乗るレッドマンはゼッケン2、ヤマハRD56(2ストローク空冷並列2気筒)に乗るフィル・リードがゼッケン5で、レッドマンがリードの20秒先にスタートします。

 そして、1周目、リードはレッドマンの4秒後にフィニッシュラインを通過、タイム上でリードはレッドマンを16秒上回る22分38.2秒(100.01mph)を記録、オーバー・ザ・トンを達成しました。

 2周目、リードはレッドマンとのコース上の差を詰め(タイム差を広げ)、コース半ばのバラフブリッジ(ジャンプ)を過ぎコース上のトップに立ちます。そしてそのままラムゼイから山岳地帯に入りますが、おおよそ28マイル地点でエンジン故障でリタイア。
 そして2周を終えたレッドマンはリードの1周目のタイムを1.2秒上回り、レッドマンもオーバー・ザ・トンを達成します。このタイムがこのレースの
最速ラップでした。

 というわけで250㏄初のラップ・オーバー・ザ・トン達成はフィル・リード(ヤマハ)です。原文には「初の」と書いてないから「1965年のマン島TTでJ.レッドマンが350cc、250ccの両クラスでオーバー・ザ・トンを達成」は誤りではないと言わないでくださいね。

 下の写真は何れもレース中のもの。
フィル・リード         

ジム・レッドマン
  
 500㏄クラスでの誤りといい、250㏄での誤りといい、ライター氏はレースの最速ラップ記録だけを見て「初のラップ・オーバー・ザ・トン」を判断したのでしょうか。

「その3年後の1968年度の大会では、水冷2ストロークV型4気筒125ccのRA31Aをフィル・リードとビル・アイビーに託したヤマハが125ccクラスでオーバー・ザ・トンを達成。1907年から欧州勢が半世紀の時間をかけて実現したオーバー・ザ・トンを、ヤマハはその約10年後に1/4の排気量で実現したことになります・・・」

 125㏄初のラップ・オーバー・ザ・トンは確かに1968年に達成されたのですが、達成したのはアイビーだけ(2周目)、リードは達成していません。そもそも、ラップ・オーバー・ザ・トンをマシンだけで評価することに違和感を覚えます。

 なお、マン島TTレースが始まったのは1907年ですが、マウンテンコースが初めて使用されたのは1911年なので、「マウンテンコースが初めて使用された1911年から欧州勢が」とした方がよいと思います。



 

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