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JFRMCブログ

レーシングマシンについての記事は「その他」にもあります。

ラバードの0W82の使い分け(2)

 世界選手権後のレースでは、

 日本GP(鈴鹿)は601に乗り優勝。
 スーパースプリント(富士)ヒート2は601に乗り優勝。

 下は日本GPのレース映像から切り出したもので、パワーバルブコントローラーから延びる2本のケーブルが見えます。


 テールカウルに1本線があります。


 なお、ライダースクラブ誌1986-11では「~予選ではYPVSなしで2分20秒493の1位、レースではYPVS装備で格闘戦に備えながら~」とあり、レースではYPVS(ヤマハ・パワー・バルブ・システム)エンジンが使用されたとしています。


 フジスピードウエイで行われたフジスーパースプリントは2ヒート制で、雨のヒート1でラバードがどちらのマシンに乗ったか確認できませんが、ドライになったヒート2で601に乗り優勝。

 高速コースのフジであれば無パワーバルブエンジン/602が適していたと思われますが、ヒート1は雨だったので601を選択し、ヒート2もそのまま601に乗ったようです。

 ヒート1とヒート2でマシンの変更がレギュレーションで認められなかったのかどうかは分りません。

(続く)



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ラバードの0W82の使い分け

 ラバードの2台のヤマハ0W82には、

YZR250-B-601 にパワーバルブエンジン
YZR250-B-602 に無パワーバルブエンジン

が搭載されていたと思われます。

 写真、映像から、1986年、ラバードがどちらのマシンを選んだかを見てみます。601のみ赤字にしています。」


 第1戦スペイン(ハラマ)でラバードは602で選択しましたが、1周目に転倒。ところが、0W82に乗る平選手が他者に追突される等の多重衝突事故が起きており赤旗中断。ラバードは601で再レースに臨み優勝。
 第2戦イタリア(モンツァ)は602に乗り、アントン・マング(ホンダNSR250)に僅差の2位。

 第3戦ドイツ(ニュルブルク)は601で優勝。
 第4戦オーストリア(ザルツブルク)は602で優勝
 第5戦ユーゴスラビア(リエカ)は602でリタイア。
 第6戦オランダ(アッセン)は602で優勝。

 第7戦ベルギー(スパ)は雨中のレース、601でリタイア。
 第8戦フランス(ポールリカール)は602で優勝。

 第9戦イギリス(シルバーストーン)は雨中のレース、601で2位。
 第10戦スエーデン(アンダーストープ)は602を選択、タイヤは前インターミディエイト、後カットスリックで、雨が上がった後のウエットでスタート。レース後半に雨が降り出しレース終了、優勝。
 第11戦サンマリノ(ミサノ)は602で転倒リタイア。平が優勝。

 ラバードが601を選択したのは、雨中のレース(ベルギー、イギリス)、ツィスティなコース(ドイツ)でした。加えてスペインで、レース中断後の再レースで601に乗っています。

 6回の優勝のうち601(パワーバルブ)によるものは2勝(スペイン、ドイツ)、602(無パワーバルブ)によるものが4勝(オーストリア、ユーゴスラビア、オランダ、スエーデン)です。

Carlos Lavado Yamaha YZR250 | With Phil Anysley | MCNewsの記述
He used this bike, which was fitted with power-valves, for wet weather races, winning two. His other bike, with no power-valves and used for dry races, had four wins.
の内、パワーバルブ、無パワーバルブの各々の優勝数そのものは正しいのですが、それ以外の記述は誤りです。パワーバルブエンジンによる2勝はウェットレースではなくドライレースで、無パワーバルブエンジンによる4勝のうち1勝(スエーデン)はウェットレースです。


(続く)



ラバードの0W82のパワーバルブの有無とフレーム番号

 レーシングマシンのフレーム番号は

〇通関時に必要だから打刻
〇マシンを管理するために打刻

するだけのもので、フレームを交換しても、新フレーム番号は旧フレーム番号を踏襲することもあります。

 ただ、あるGPにおいて、同一フレーム番号のマシンが2台存在することは考えにくく、レーシングチームではマシンをフレーム番号で区別して管理、様々なデータを記録するのが通例です。

 
一般市販車ではナンバープレートが目立つ場所にあり、1台1台登録番号が異なりますが、レースの現場で、あるライダーに与えられた2台(以上)のマシンのゼッケン番号は同じなので、ゼッケン番号では区別できません。プラクティスではどちらか1台に「T」が付けられ区別可能になることがありますが、「T」マシンもレースでは「T」マークは剥がされ、もう1台と区別できなくなります。
 その一方で、フレームに打刻された小さなフレーム番号を確認するのは面倒です。

 そこで、レーシングチームの方針として、2台(以上)のマシンを区別するためにフェアリング、ステアリングトップブリッジ等に何らかの印が付けられることがあります。

 
 1986年のラバードのマシンを観察すると、第1戦スペインを除きフェアリングの前ゼッケン、テールカウルに短い黒線があります。

1本線
  

2本線
 

Carlos Lavado (highsider.com) の写真をトリミングしています。

  また、プラクティス時にゼッケン数字の傍に「T」があるマシンは、確認できた範囲では全て「2本線」でした。

 考えられる1本線・2本線とフレーム番号の関係は

YZR250-B-601→1本線/YZR250-B-602→2本線

YZR250-B-601→2本線/YZR250-B-602→1本線

のどちらかですが、前者の可能性が高いでしょう。後者ですと、チーム内でマシンの取り違えを起こす可能性が高まります。

 さて、ライダースクラブ誌1986-11のラバードのインタビュー記事でラバードは
パワーバルブエンジンと無パワーバルブエンジンの使い分けについて次のように語っており、ラバードがパワーバルブエンジン搭載車と無パワーバルブエンジン搭載車の2台をプラクティスで乗り比べていました。

「私のYZRは1台にはYPVSがつき、1台にはついてなかった。プラクティスで2台を交互に乗り込んで、そのサーキットに合った、タイムの良い方のマシンで走っていた」

 世界GP及び世界GP後の日本GP(鈴鹿)とスーパースプリント(富士)の写真、映像から、車体とエンジンのパワーバルブの有無を調べたところ、確認できた範囲では

1本線の0W82(おそらく601)
 パワーバルブエンジン

2本線の0W82(おそらく602) 無パワーバルブエンジン

でした。例えば、上に示した前ゼッケン「1本線」の写真はオランダGPプラクティス時のものですが(再掲)、

前ブレーキレバーの前方にパワーバルブコントローラーのプーリーから伸びる2本のケーブルが写っています。

 しかし、前回紹介した現存する602はパワーバルブで、私がかつて確認した601は無パワーバルブでした。

考えられることは
1 スーパースプリントの後、エンジンを積み替えた。

あるいは

2 実は1本線:602、2本線:601である。

 確たる証拠はありませんが、私は1の可能性が高いと思います。

(続く)



ホンダ「CB」とカワサキ「Z」の由来

こちらでは
車名の由来に「へぇ!」と驚く? 「ホンダCB」&「カワサキZ」トリビア的事実 | モーサイ (mc-web.jp)
 
「1957年、ホンダ初の2気筒エンジンを積んだドリームC70がデビューした。当時の国産250ccクラスとしては圧倒的な18馬力/7400回転の最高出力を発生。この125cc版がベンリィC90で、59年には改良版であるC92の登場となった」
「この派生モデルが対米輸出仕様CA92で、さらに高性能スポーツモデルを発売するにあたり、“CAの次だからCB”ということで、ベンリィCB92スーパースポーツが誕生したと言われている。これがCBの由来だと考えて間違いないだろう」
 と書かれています。


 しかし、
諸説あるホンダ"CB"の語源 (bike-lineage.org)を読むと、CLUBMANとしか考えられません。この記事でホンダの原田義郎さんの証言(オートバイ誌1962-11)も紹介されています。そもそも「CA」の「A」が「アメリカ」を指し、「CS」の「S」が「スポーツ」を指すのに、「B」に意味がないというのはおかしいと思います。そして、1958年に第1回モーターサイクルクラブマンレースが開催されたという時代背景も考慮しなくてはなりません。

 私自身は2006年4月29日にHondaウエルカムプラザ青山で行われたイベントで、原田義郎さんが「CBはCLUBMAN」と語ったのを聞きました。
 イベントの様子。



 一方、カワサキ「Z」は先の
車名の由来に「へぇ!」と驚く? 「ホンダCB」&「カワサキZ」トリビア的事実 | モーサイ (mc-web.jp)
では、「究極」だそうです。

 私が2016年に、開発責任者だった大槻幸雄さんに直接お聞きしたところでは「Z旗のZ。ホンダCB750に勝てる必勝マシンの意味」でした。
  カワサキとして公式にアナウンスしにくいかもしれませんね。



1986年型0W82のフレーム番号

 前回紹介したフレーム番号YZR250-B-602の他、次のフレーム番号の0W82を見たことがあります。

YZR250-B-601 無パワーバルブエンジン


YZR250-B-605 パワーバルブエンジン

   ゼッケン31のマルボロカラーは平忠彦選手のもの。

 1986年、世界GPで0W82を与えられたラバード、ヴィマー、平の1985年以前の世界GPでの実績、そして上に示したフレーム番号等から、3人に与えられた0W82のフレーム番号は次の通りだったと推定します。


YZR250-B-601   ラバード
YZR250-B-602 ラバード
YZR250-B-603 ヴィマー
YZR250-B-604 ヴィマー
YZR250-B-605 平
YZR250-B-606 平


 0W82は全日本選手権でも走り、長谷川嘉久、片山信二がシーズン当初から、終盤には奥村裕が加わり(復帰し)3人体制になります。そして片山選手がタイトルを手にしました。
 おそらく、

YZR250-B-607   YZR250-B-608 YZR250-B-609

 が国内テスト・全日本選手権用マシンに割り振られたフレーム番号だと思います。

(続く)

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