1987-88の全日本TT-F3特集、特にホンダ対ヤマハに焦点を当てています。
私は世界GP中心としたレースファンですので、当時の全日本TT-F3について少し忘れかけていました。ですから、今回の特集は非常に興味深く読むことができました。また、前号のヨシムラ・スズキとは異なり、ホンダ、ヤマハからの技術情報の提供もある程度ありましたので、嬉しかったです。
RACERSのブログ
http://racers.cocolog-nifty.com/blog/2014/09/vol29-e987.html
では辛口のコメントが多いようですが、私は80点程度の評価です。
とはいっても少し気になる記述も。
79頁 「'70年代終盤に3年連続で世界耐久選手権を制覇した”不沈艦隊”RCB」
世界耐久選手権が始まったのは1980年。
81頁 「(RCB400について)規則でフレーム形式は変更不可なので」
こんなレギュレーションあったか? FZ750(クレードル)→FZR750(ツインチューブ)の変更のように、レーシングマシンとしての基本規定さえ満たせば、TT-フォーミュラの車体は自由だったはず。ただ、何年かは忘れたが、ノービス(国内A)TT-F3では市販車と異なるフレームへの交換が禁止された記憶。ライター氏はこのノービスクラスのレギュレーションを誤って解釈し、さらに国際Aに適用されると勘違いしたのでしょうか。
82頁 「さて(RCB400)NX0の燃料タンクもラバー製ガスパックである」
パック(pack)ではなくバッグ(bag)。ゴム製燃料タンク、あるいはゴム製バッグとした方がよい。男性の股間にぶら下っているのがbag(俗語)です。
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当時の全日本TT-F3のレギュレーションは、野田さんのご記憶の通りだと思います。国際A級はフレームも含めて改造範囲はかなり広く、ジュニア・ノービスでは狭められておりました。
これがジュニア・ノービスのレギュレーションで一本化されたるのは確か1989年からで、それを睨んでホンダ・ヤマハは1988限りでF3からワークスの手を引きました。
1988の全日本F3が白熱したものになったのも、その辺の事情があったと思われます。