レーシングマシンについての記事は「その他」にもあります。
[
648]
[
647]
[
645]
[
644]
[
643]
[642]
[
641]
[
640]
[
639]
[
638]
[
637]
RACERS Volume 57(2020三栄書房)
この号の本題ではないですが、6頁。
「川崎航空機の社員だった藤井敏雄」
藤井敏雄はスズキの社員でしたが、1965年11月にスズキを退社し
1966-世界選手権レ-ス 本文-1 (iom1960.com)
1966年1月にカワサキと契約しています。川崎航空機社員であった期間はありません。カワサキとマシン貸与契約したことが「社員」という認識なのでしょうか。
カワサキOBさんからの「藤井敏雄くんの思い出」 (iom1960.com)
「この年、カワサキはエルンスト・デグナーとの契約を進めていたが~転倒して重傷を負い、契約は実現しなかった」
契約しました。契約金も支払われています。
カワサキのデグナーの思い出 - 雑感日記 (goo.ne.jp)
負傷により日本GPに出場できなかったことが、ライター氏の頭の中で「契約が実現しなかった」と変換されたようです。それとも1967年に向けての契約のことなのでしょうか。
「当時(注:1967年)のGP125にはヤマハのV4やスズキのスクエア4がおり」
スズキの125㏄スクエア4にはRS65、RS67がありますが、これらはレースに出場せず、1967年の大半は2気筒のRT67Ⅱ(グレアム)、RT67Ⅲ(片山)が走り、最終戦・日本GPでV型4気筒のRS67Ⅱが出場しました。
スズキ250㏄スクエア4が1963~65年に走ったことが、ライター氏には125㏄のことになったのでしょうか?
「’69はGP125で多気筒エンジンと多段ミッションが禁止され」
誤った記述がいつまでも伝播し続けている例ですね。2気筒・6段以下に制限されたのは1970年からです。
http://jfrmc.ganriki.net/zatu/nkkitou.htm
「11戦中8勝(中盤は6連勝)」
1969年、世界GPは12戦開催されましたが、アルスターGPで125㏄クラスは行われなかったので、「11戦」で正解ですが、「6連勝」は誤りです。
アルスターGPを挟んで125㏄クラスで7連勝しています。ライター氏はアルスターGPの125㏄の戦績がなかったので、アルスターGPで途切れて125㏄6連勝と勘違いしたのでしょう。
「これがカワサキのGP初優勝、初タイトルの記録である」
初優勝が1969年125ccドイツGPであることがどこにも書いていないのですが・・・
PR