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JFRMCブログ

レーシングマシンについての記事は「その他」にもあります。

Mat Oxleyの記事

1959年、ホンダチームはマン島に行って初めてクリップスコースが使われることを知ったって?

 で取り上げたMat Oxleyによる別の誤り記事です。
https://twitter.com/matoxley/status/1225337919096815616


Degner joined Suzuki at the end of 1961 & built them replica MZ engines for 125 & 50 GPs (he was a good engineer, as well as a rider).

スズキの中野広之氏によると、1962年世界GPに登場した50㏄単気筒、(2気筒に替わる)125㏄単気筒の原型は、デグナーが1961年11月に来日する前に完成していました。デグナーを買い被るにも程があります。

「(1961年)4月中旬過ぎから、概案設計にとりかかり、5月20日には、RT62Xエンジン(125cc単気筒56φ×50.5ロ-タリ-バルブ)の試作図が出図され、ベルギ-GP直後の7月4日には試作エンジンが完成し、ベンチテストを開始した。RT62Xは、その後改良されてRT62Yとなり、RT62Yは1962年の選手権レ-ス出場車RT62のベ-スとなったのである。」
http://www.iom1960.com/1961/1961-honbun.html

 50㏄単気筒は
「新エンジンの企画を始めたのは~1960年11月初旬である。機種名は「RM」、単気筒(41φ×38)・ロ-タリ-バルブ・5段ミッションで、性能目標を7PS/10000rpmにおいた。しかし、5.5PS位の性能しか得られず、目標の性能を確保出来たのは、やっと1961年9月末だった。」
http://www.iom1960.com/1962/1962-honbun.html

〇Degner took this photo while at Suzuki in the winter of 1961/1962.

 撮影者も撮影時期も誤り。TEAM SUZUKI by Ray Battersby, Osprey 1982/Parker House 2008によると、この写真はPerrisのもの。また、写っているエンジンは後方排気2気筒、クラッチがエンジン左にある等の特徴から、1963~64年のRT63、RT64、RT63改のいずれかであり、winter of 1961/1962はあり得ない。

〇Not sure the year of the 125 twin used in the 2020 team shoot, but could be the 1963 RT63~

 このマシンがRT63に見えるのなら、視力検査をお勧めする。元データはちゃんとRT67になっているのに。
https://www.suzuki-motogp.com/60-years.html


〇Anderson was fascinating. Changed racing ways with his more professional approach. On Suzuki's 14-speed 50~

 アンダーソンがスズキに乗ったのは1966年までで、14段変速のRK67が登場したのは1967年。

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ディーター・ブラウンは左シフト? 右シフト?

 前回紹介したブラウンのスズキ125㏄2気筒の写真について疑問を持たれた方がいらっしゃるかもしれません。というのはシフトペダルが車体右側にあるからです。

 今では「シフトペダル:車体左側、後ブレーキペダル:車体右側」が常識ですが、かつては

イギリス連邦諸国のライダー、イタリア人  
 シフトペダル:車体右側、後ブレーキペダル:車体左側

ドイツ人、日本人
 シフトペダル:車体左側、後ブレーキペダル:車体右側

でした。ディーター・ブラウンはドイツ人なのに「シフトペダルが右?」と疑問を持つのが当然です。でも、次の走行中写真ではクランクケース左のシフトシャフトに何も取り付けられていません。シフトペダルは車体右側にあるのです。
https://i.pinimg.com/originals/a8/b6/10/a8b61090ac3077ceca1f92e31a6d037d.jpg

 アンシャイトからこのマシンを入手したのなら、元々、左シトだったはずなのに、なぜ右シフトなのか疑問です。
 
 さて、ブラウンが1973年にヤマハTZ250に乗った2枚の写真では、右にシフトペダルがなく左にシフトペダルがあります。
https://www.nolan.it/en/riders/dieter-braun/53 
https://www.alamy.com/stock-photo-braun-dieter-221943-german-businessman-and-motorcycle-racer-at-a-race-48320271.html

 片山義美はコースによってシフトペダルの配置を左右使い分けていたということですが、ブラウンもそうだったのでしょうか? 

RT63-RT67Ⅲその2

部分公開しました。http://jfrmc.ganriki.net/rt63-rt67/rt66-rt67.htm


 今後、RT63改A、RT65、RT66、RT67Ⅱ/Ⅲの違いについて若干触れます。今回の記事で1966年のRT66にはアルミフレームとスチールフレームがあり、スチールフレームに2種類あったことがフレーム番号から推察されるとしていますが、そのあたりについても少し詳しく書きます。

 その上でディーター・ブラウン、Cees van Dongenが1969年以降に用いたマシンについても触れることにしていますが・・・こちらのブラウンのマシン(1971年の状態)はRT67Ⅱエンジン+RT66スチールフレームのように思えます。

https://knmvwegraces.wordpress.com/wegraces-deel-2/1971-sterglas-racing-dieter-braun-suzuki-125/

東京都の新型コロナウイルス感染者数

 東京都のHPと今日のニュースの感染者数で作成してみました。


横軸の数字は3月1日を1日目とする日数で縦軸が感染者数です。青線が日感染者数、茶線が7日間移動平均値です。土日祝日には縦線を入れ上に日を記入しています。

 土日に医療機関で診察を受ける人数が減ると考えられるため、その影響が感染者数に現れます。4~5月頃は、診察→PCR検査判定→集計・発表に2日要していたようですが、最近は1日です。
 明日の結果はなんとなく想像できるように思います。

 なお、東京都に関しては、緊急事態宣言は4月7日に発せられ、5月25日をもって解除されました。

スズキの手を離れた125㏄2気筒

 スズキ2ストロークによるGP優勝について整理していますが、各優勝毎のマシン名についても整理しています。ただ、1975年以降のマシンについては、以前はデタラメ記事が蔓延していましたが、最近はそうでもないようですし、1960年代については、元スズキの中野広之氏のhttp://www.iom1960.com/で整理されているので、新たな内容はありません。

 ただ、54勝のうちスズキの手を離れた125㏄2気筒が1969~71年に9勝しています。ディーター・ブラウンの5勝、Cees van Dongenの1勝、バリー・シーンの3勝です。これらのマシンがどんなマシンなのかについても触れておく必要があります。

  元スズキの中野広之氏のこちらの頁
http://www.iom1960.com/1968/1968-honbun.htmlでは、アンシャイトにRK67とRT67Ⅱが貸与されたとありますが、グレアムにもRT67Ⅱが貸与されました。
 また、アンシャイトの自伝「王座への道」(1969八重洲出版)によると、1966年、アンシャイトは50㏄のみの契約だったが、125㏄マシンも貸与されたということです。そして、アンシャイトは1967年にも66年型マシンを貸与され世界GPに2戦出場しています。スズキのGP撤退後もこのRT66がアンシャイトの手元に残りました。したがって、1968年シーズン開始時に、グレアムのRT67Ⅱ、アンシャイトのRT67ⅡとRT66の計3台がヨーロッパにあり、1969年以降この3台が他者の手に渡ったのです。

 そんなわけでhttp://jfrmc.ganriki.net/rt63-rt67/rt63-rt65.htmの続編も書きだしました。

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