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レーシングマシンについての記事は「その他」にもあります。

ヤマハ0W54(1981年型YZR500)(4)

 MOTOCOURSE 1981-82からすると、実戦で用いられたヤマハ0W54には3種のフレームがあったことになります。写真から区別できるのは次の3種です。

1  日本GPで登場したフレーム
 これは日本GPでの金谷秀夫のマシン。レースが4月19日、500㏄第1戦オーストリアGPの1週間前で、これが実戦初登場です。これと同じタイプがオーストリアGPを走ったようです。これをA型とします。

 
 これはシーズン前公表写真で、A型はこのフレームとは若干異なります。単なる個体差なのかどうかはわかりません。


2 一部に補強の入ったもの
 これはバリー・シーンのマシン(レース名不明)で、シーズン前公表写真のマシンに似ていますが、矢印箇所に補強が入っています。これをB型とします。


3 フレームの一部分の形が異なるもの
 これは500㏄第6戦オランダGPプラクティス時のロバーツの2台のマシン。手前のマシンはA型によく似ていますが、これがオランダGPレース本番でスタート位置に付きました(スタートできず)。
 そして、
奥のマシンの矢印の部分のパイプが、他のマシンと異なり路面とほぼ平行になっています。これをC型とします。


 写真はここには載せませんが、C型には他のフレームにあるバックボーン部の溶接跡(下はシーズン前公表写真の該当部)がありませんし、他にも差異があります。
 

 C型はオランダGP以降で確認できること等からオランダGPで登場したフレームと思われます。

 問題はB型と3の手前のマシンです。次の二通りに解釈してみました。
(1)3の手前はA型で、B型は500㏄第4戦フランスGPで登場した新型フレーム
(2)3の手前がフランスGPで登場したフレームで、これが本来のB型。2のフレームはB型の改修型(補強型)

 現時点では後者ではないかと思います。

 参考までオランダGPレース本番でのロバーツのマシン。2のような補強がないこと、矢印部分の対路面角度と、矢印が指す部分に補強のパイプがないことに注目。


 そして、イギリスGPプラクティス時の高井幾次郎のC型フレーム。矢印部分のパイプの対路面角度、太さがわかります。


 なお、これらの解釈はMOTOCOURSEの記述が正しいという前提です。
 また、オランダGPの2台の写真のうち、C型マシンの前フォークについては後で書きます。
(続く)
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ヤマハ0W54(1981年型YZR500)(3)

 ヤマハ0W54のフレーム等についての書籍等の記述をまとめました。

1 MOTOCOURSE1981-82(Hazleton Publishing 1981)
500㏄第4戦フランス ”Yamaha had produced two new bikes, one for Roberts, and one for Sheene. Basically very shimilar to that used by Kenny for the first three Grands Prix, the engines were mounted a little lower in the frames”

500cc第5戦ユーゴスラビア "Although using the second frame developed  for the discvalve machine, Kenny Roberts was still certain that the engine was placed too high in the frame which overwokred both the susupension and and the tyres.」

500㏄第6戦オランダ "Barry Sheene and Kenny Roberts also had something new for Assen in the form of new frames for their square fours that mounted the engine lower in answer to some o their criticisms about the machines' handling characteristics."

2 ライダースクラブ誌(枻出版社)
1981-9 オランダ「足廻りの改良を主たる新フレームをケニーのために持ち込む」
1981-10 ベルギー「予選2番手は、スクエア4のYZRをようやくスペアマシンまで揃えてもらったB・シーン~」

3 MOTORCYCLE RACING '81(枻出版社1982)
ユーゴスラビア「フレームを改良したマシンをユーゴに持ち込んだ。しかし、ケニーによればまだエンジン位置が高すぎ、サスペンションとタイヤの両方にオーバーワークを強いると指摘する」
オランダ「主に足廻りの改良を施したニューフレームYZRをケニーに託す」

4 RACERS Volumu19 RGΓ 500㏄タイトル奪還の使者(三栄書房)
 
22頁「ユーゴスラビアGPにヤマハはエンジン搭載位置を下げたニューフレームを投入してきた」


 MOTOCOURSEの記述を主にストーリーをまとめると、
(1) 第4戦フランスで新型フレームのマシンが2台登場、1台がロバーツ、1台がシーンに与えられた。シーンがシーズン当初0W53(並列4気筒)に乗り、第4戦フランスGPから0W54を与えられたことはよく知られているが、フランスGPでシーンに与えられた0W54はこの新型フレーム1台のみ。
(2) MOTOCOURSEの第5戦ユーゴスラビアの記述は(1)で登場したマシンについてのもの。ユーゴスラビアで登場したとは書いていない。
(3) 第6戦オランダでさらに新新型フレームが登場。この頃にはシーンも2台体制になっていた。

 MTORCYCLE RACINGのユーゴスラビアGPの記述は、MOTOCOURSE(あるいはその出典)を訳したものと思われます。ただ、フランスGPでのフレームの記述がないために、新型がユーゴスラビアで登場したかのような記事になってしまったようです。あるいは出典のフランスGPの記事を読まなかったのかもしれません。RACERSの記事もこのMOTORCYCLE RACINGの記述を参考にしたものではないでしょうか。
(続く)




ヤマハ0W54(1981年型YZR500)(2)

  81シーズン前にヤマハが公開した0W54の写真です。


 81年にライバルとなったスズキXR35(RGΓ500)はもちろん、1980年型のXR34と比べてもエンジンが大柄な印象を受けます。前後シリンダー間にも隙間があります。シリンダー前の可変排気ポート高機構(ヤマハ・パワー・バルブ・システム=YPVS)作動部を避けるためラジエータは凹を180度ひっくり返したような形で、前面面積は従前より減少しています。厚みは従前より増しているようですが、それでも実戦では冷却能力不足になったようです。

 パワーバルブはスライド式です。ドラム式(鼓式)ですと、シリンダーを貫通するスタッドボルトでシリンダー・シリンダーヘッドをクランクケースに組み付けることはできないので、いわゆる分離締めになりますが、スクエア4気筒の場合、分離締めでは4つのシリンダーのスクエア中央部の4つのナットを締めることが困難なために、性能比較以前に必然的にスライド式になります。
 パワーバルブのサーボモーターは、従前は回転計横に置かれていましたが、クラッチの上あたりにあります。

 フレームのダウンチューブの上側が2か所(クラッチの下)凹んでいますが、変速機ギアクラスターを取り出すときにカバーのボルトを緩めるための逃げです。スズキXR40(82年型RGΓ500)の一部のフレームでも例があります。

 前フォークはフォーク頂部にエアバルブが装着されています。YZR500では78年にセコットのマシンで試みられ、80年から本格的に装着されるようになりました。ボトムケースは前側にリザーボアーがある新型です。
 後サスペンションは、サスペンションアームがクッションユニットに直接繋がるのではなく、ロッド・レバーを介しているはずですが、この写真ではわかりません。

 前後18インチホイール(モーリス製)でタイヤはグッドイヤーです。

 このフレームによく似たフレームのマシンが81年500㏄第1戦オーストリアGPで用いられたようです。そして、シーズン中、少なくとも2種類の改良型フレームが投入されました。
(続く)



ヤマハ0W54(1981年型YZR500)

 ヤマハは1973年から2ストローク並列4気筒マシンで500㏄世界選手権に本格参戦していました。吸気方式は1976年まではピストン・リードバルブ、1977年からはピストンバルブでした。一方、スズキは1974年から2ストローク・スクエア4気筒でロータリーディスクバルブ吸気でした。
 
 ヤマハは1960年代に125/250㏄クラスにロータリーディスクバルブ吸気2軸クランクV型4気筒レーサーを走らせていたにも関わらず、スズキの二番煎じの印象を与えるスクエア4気筒をなぜ開発したのでしょうか?

 それは振動の問題だと思います。2軸クランクVで2軸とも同方向回転の場合、1982年に登場した0W61のようにV角を40度とするなら、点火間隔を140→40→140→40度にすれば1次慣性力を釣り合わせることができるのですが、トルク変動する軸同士をギアで繋げる場合は2軸間で2気筒ずつ同時点火にする必要があり(参考頁)、1次慣性力を偶力が生じないように釣り合わせることはできません。その対策に時間を要することが懸念されたのではないでしょうか?

 もちろん、十分な時間があればスクエア4気筒を開発する理由は少なくなります。しかし、
79年のチャンピオンマシン0W45をベースにした市販レーサーTZ500を1980年に登場させたのは、その頃はヤマハとしては並列4気筒レイアウトに自信があったからだと思いますが、1980年シーズン後半には並列4気筒でスズキの攻勢に対応することは無理になっていたという切迫した状況が、ヤマハにV型4気筒の前にスクエア4気筒を開発させた理由ではないかと考えます。
(続く)

資料

 連休中、どこにも行かず、今のところバイクにも乗らず・・・というか腰を痛めているので、バイクの整備もつらく・・・「積ん読く」(つんどく)状態だった本を読み返したりしています。


 これは2007年に本棚を整理した時のものですが、この本棚と左端に少し写っている棚はもちろん、一杯になっています。床が心配なので、他にも分散させていますが、バイク本だけで250冊ぐらい、それ以外の本を加えると400冊ぐらいでしょうか。雑誌はたぶん、1500冊ぐらいあると思います。その内、300冊ぐらいはスクラップ(必要な頁だけ残した)になっていますが。

 私が亡くなったらどうするか、そろそろ考えておかないといけない年齢かな。ちょっと早いかもしれませんが、その時になってゴミにならないようにだけはしたいので。

 

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