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レーシングマシンについての記事は「その他」にもあります。

Clypseコース

マン島TTといえばマウンテンコースが有名ですが、1950年代、125㏄、250㏄、サイドカーでクリップスコースが使用されました。125㏄、サイドカーが1954~1959、250㏄が1955~1959です。ですから1959年のホンダのマン島TT初出場はクリップスコース最後の年でした。

 その時の鈴木淳三のこの写真がどの地点で撮影されたのか特定しました。


現在の同地点。歩道の縁石の塗装が消えていますが、それ以外は基本的に昔のまま。


この地点はコース図の赤丸の箇所です。
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得点が同点の場合の扱い(3月23、25日追記)

1967年の500㏄クラスはアゴスチーニとヘイルウッドが有効得点46点で同点、優勝回数も5回で同じですが、アゴスチーニがチャンピオンになりました。このことについて「ホンダWGP参戦60周年 挑戦と勝利の軌跡」48頁では「~同点。優勝回数も同じ(5勝)だったが、総合ポイントで6点負け~」とあり、有効得点が同点で優勝回数も同じなら、全レースで挙げたポイント全ての合計点でランキングが決まるとされています。

 有効得点が同点の場合は優勝回数で決まるとされる前は、有効得点の算定対象得点の次の得点で決まっていました。次例で説明します。

・レース数11で有効得点はベスト6戦の成績を算定
・Aライダーの戦績が、1位4回、2位2回、3位2回だったとすると有効得点は8×4+6×2=44点
・Bライダーの戦績が、1位4回、2位2回、4位5回だったとすると有効得点は8×4+6×2=44点
(1位から6位までの各得点は8、6、4、3、2、1

 この場合、有効得点に算入した「優勝4回、2位2回」の次の戦績、つまりAライダーの4点(3位)、Bライダーの3点(4位)が比較されてAライダーがチャンピオンということになります。総合得点はAライダー52点、Bライダー59点ですが。
 そして、これが優勝回数で決まるようにレギュレーションが改訂されたのです。レギュレーションが改訂されていきなり総合得点が出てくることが不自然です。改訂前、改訂後の流れからすると、優勝回数が同じなら「2位の回数」で決まるのが自然です。

 「ホンダWGP参戦60周年 挑戦と勝利の軌跡」のライター氏がどんな資料を読んで「~総合ポイントで6点負け~」と書いたのか知りたいところです。

 これは想像ですが、

〇レギュレーションでは得点の算定法が記述されているだけであって、日本語の「有効」に相当する言葉は使われていない。
「総合得点」という言葉から「総合」された得点に意味があるように読めるが、本来は「単純合計得点」とすべきもの。ランキング表を作成するときに本来の得点(有効得点)だけでなく、単純合計した得点が記載されることがあるだけ。
〇1967年500㏄クラスの場合、優勝回数が同じで単純合計点でアゴスチーニが上位なので、単純合計点で決まったとライター氏が勘違いした。

 なお、1969年のサイドカー世界選手権のランキングを見ると、Schauzu、Linnarzの有効得点は38点と同点で、総合得点はSchauzu38点(有効得点と同じ)、Linnarz50点でしたが、2位の回数(2対1)でSchauzuが上位になっています。

(3月23日追記)
 50 YEARS OF MOTO GRAND PRIX(Hazleton Publishing 1999)では、"Both had won five rounds so second places came into play"とされています。Bothはもちろんアゴスチーニとヘイルウッドです。

(3月25日追記)
 こちらも「総得点」派の記事です。
https://lrnc.cc/_ct/17153034



グレッグニーバー

昨日、クレッグニーバーがグレッグニーバーと表記された例を紹介しましたが、ネット上にもそんな例がいくつかありました。あえて出典は示しませんがこんな感じです。

グレッグニーバーからの立ち上がり(グレッグニーというバーがある場所のコーナー。皆、バーでお酒を飲みながら観戦して~」

 Creg-ny-BaaのCをGと勘違いするだけでなく、baaをbarと勘違いしています。カタナカ表記しか見ていないのか、バー(飲み屋)をbaaだと思っているのかな。

 マン島マウンテンコースのあちこちに地点名がありますが、マン島語表記のものもいくつかあります。Creg-ny-Baa 以外にもCronk-y-Voddy、 Cronk-ny-Monaがあります。他にあったかな?

 ところで今年のマン島TTレースは中止になりました。




ホンダWGP参戦60周年 挑戦と勝利の軌跡(11)


59頁上の写真で「~レッグニーバーを行く」とあります。こんな地名は知らないのですが、多分、Creg-ny-Baa クレッグニーバーの誤りでしょう。では、この写真はクレッグニーバーなのでしょうか? クレッグニーバーの地図です。

 
 通常のマウンテンコースが赤矢印、この年の125㏄クラスに用いられたクリップスコースが青矢印です。で、交差点にレストランがあります。

現状は

File:IOM Creg-ny-Baa pub.jpg

 なお、クリップスコースでしたら写真右側から(現在なら)建物の左側を右に曲がることになります。写真の手前側に建物はありませんから、59頁の写真は撮影不可能ということになります。ただ、かつては建物の右側に道があった可能性もあります。その前提で話を進めます。

 このクリーム色の建物、かつては Keppel Hotel でした。1936年(リンク)と比べると増築されているものの、建物の右側は昔のままだということがわかります。59頁の写真に写る建物とは似ても似つかない形です。

 59頁の写真ですが、同じ写真がこちらにあります。
http://sutobai.com/blog/9128/最新号にて大変失礼な誤字。訂正しお詫び申し上
 そして、別の撮影地点から写したものがこちらで、左側歩道の奥の壁が写っています。
http://www.artprintsforpleasure.com/motorsport-tt-race/fastest-member-japanese-team-taniguchi-11213828.html (観客が少ないので公式練習時でしょう)

 この地点はパークフィールドコーナーと思われます。現在のパークフィールドはこちら。右の建物、左の(青の自動車の奥の)壁に注目してください。左側から進入し写真撮影者の方向に回る右コーナーです。


 














CB750FOUR その真実 -ホンダを変えた二輪作りの記録ー

 昨日、本屋で見かけて購入しました。3月11日発売だそうです。

 この本、「監修 松田 稔」となっていますが、実質的にはホンダの技術者だった松田稔さんが書いた本です。私はCB750について詳しく調べたことはないので、マニアの方々からすれば見当違いの感想になるかもしれませんが・・・

 一般的にこのような本はライターさんが技術者に取材して書くことが多いのですが、どうしてもライターさんの理解不足のせいなのか、脚色が入るのかわかりませんが、事実と異なることが書かれ、それが流布されてしまうこと多いように思います。この本では開発に大きく関わった、そしてそのバイクを愛する技術者が自ら確認しながら書いた記事ばかりで、初めて知ることが多くありました。

 ところで、ホンダのウェブサイトの記事の誤りも指摘され「聞きかじりの情報を紡いだものだと思われるが、これをチェックできる人材もいなくなってしまったのかと、時の流れを少々寂しく思う限りだ」(48頁)と書かれています。
 こういったウェブサイトの記事はライターさんに外注されているのではと思います。ただ、ホンダの現役技術者が「語り継ぎたいこと」(ウェブサイトの記事のタイトル)に関心がないのか、ウェブサイトの記事を現役技術者がチェックするような社内体制になってないのか、あるいは現役技術者がおかしな記事であることに気が付かないレベルなのかということなのでしょう。

 48頁のような記述を掲載する本を出版した心意気に敬意を表します。

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