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JFRMCブログ

レーシングマシンについての記事は「その他」にもあります。

並列4気筒エンジンの動力の取り出し方

 RACERS Volume 48の11頁に次のように書かれている。「並列4気筒で問題となるエンジン幅をできるだけ狭くするために~2軸クランクのエンジンは別として、1軸の場合は逆回転にするのがヤマハらしいこだわりの一つ~81年型以降、並列2気筒最終型(略)までのTZ250もそうだし、YZR-M1も誕生以来ずっと逆回転クランクである。ヤマハらしいこだわりといえよう」

 ライター氏は2ストローク並列4気筒で動力を取り出すとしたら、必然的にクランクシャフトを逆回転にせざるを得ないことを理解せずに「逆回転させることがヤマハらしいこだわり」としているように読めてしまう。

 そこで、2ストローク並列4気筒エンジンンの動力取出方法について考えてみる。大前提として、
 
〇4ストロークエンジンのクランクシャフトは「ローラー(又はボール)ベアリング+組立クランクシャフト」と「プレーンベアリング+一体クランクシャフト」から選べるが、2ストロークエンジンでは「ローラー(又はボール)ベアリング+組立クランクシャフト」しか選択できない。組立クランクシャフトは一体クランクシャフトよりクランクシャフトの捻じれ、撓みに弱い。
〇2ストロークエンジンはシリンダー横に掃気ポートがあるため、並列エンジンの場合、同排気量・同気筒数の4ストロークよりボアピッチが長く、クランクシャフト長も長くなる。
 〇したがって、2ストローク並列エンジンのクランクシャフトは同気筒数の4ストローク並列4気筒よりクランクシャフトの捻じれ、撓みに弱くなる。
 

 さて、2ストローク並列4気筒で動力を取り出す場所は、クランク端、3-4(または1-2)気筒間、クランク中央部(2-3気筒間)の3通りになる。まずジャックシャフト(動力取出シャフト、プライマリーシャフト)を設けない前提で得失を考えてみる。

(1)クランク端
〇クラッチはさらに外側に突き出ることになり、エンジン/変速機の幅が広くなる。
〇ギアボックス部分が右に寄る。場合によってはチェーンラインまで変速機出力軸を伸ばす必要があり、間延びした設計になる。
〇クランクシャフト長が長くなり、クランクシャフトが捻じれ、撓みに弱い。

 下写真は4気筒ではなく750㏄空冷3気筒のカワサキH2Rのエンジンだが、変速機出力軸が伸ばされていること、(写真では外されている)クラッチが右側に突き出ることが分かる。
 

(2)3-4気筒間

〇2ストロークエンジンでは各クランクの空間は独立している必要があり、4ストロークエンジンのようにクランクウェブをギアにすることはできず、独立したギアを設ける必要がある。したがって、1-2気筒と3-4気筒のボアピッチは同じにはならないため(同じにするためには1-2気筒間を無駄に長くする必要がある)、1次慣性力は完全には釣り合わず偶力が少し残る。
 〇動力取出ギアの左側は「並列3気筒」であり、4ストロークならともかく、2ストロークとしてはクランクシャフト長が長い。
 
 下写真は750㏄水冷並列3気筒のスズキXR11(TR750)で2-3気筒間からギアで動力を取り出しており、1-2気筒間とボアピッチが異なることが分る。


続く
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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デスモドロミック

ニューマチックバルブスプリングという記事を2008年7月に公開し、デスモのフリクション(摩擦損失)についても記述していました。

ドゥカティジャパンから架空V8エンジンについての計算結果が公表されていましたので、その内容を末尾の「補足3」に加筆しました。

デスモの摩擦損失が高回転でバルブスプリングエンジンより大きくなることは、技術者が「その気になって考えれば」分ることだと思います。

「どんな高度な理論も基本的な理論の上に成り立っている」
「どんな理論(高度であれ基本であれ)も前提条件があって成り立っている」
「その気になって見なければ大事なことは見えてこない」

仕事をする上での私の教訓です。

下町レーシングマシン(二輪)

某国チーム
「いいエンジンが手に入ったけれど車体をどうしようか」

ある下町工場
「サスペンション、ブレーキ等はいいものを提供してもらえるし、フェアリングも四輪経験豊富な某社が風洞実験をもとに空気抵抗の少ないものを製作してくれるのだから、あとはフレーム等を製作すればレーシングマシンになる。」
「バイクのフレームぐらい誰でも造れる。工作技術ならうちは世界一。いいフレームが作れるはず。」
「テストライダーはいないけど工作技術世界一だから必要ないよね。」

某国チーム
「実績はないマシンだけど、信頼の「日本製」だからタダで提供してくれるのならいいよ」

下町工場
「感動物語でスポンサーも付いたし、協力工場を泣かせたから安く作れたし、いいや。」

某国チーム
「なんて出来だ。ハンドリングは悪いし、振られるし。何とか上位に入ったが。」
「おまけに1月のレースでは車体の基準違反を指摘されるし」
「ライダーが乗るのをいやがっているし、マシンはのろいし、今後、好成績を上げる見込みはないし、次のレースは某社の市販レーサーを購入しエンジンを積み替える。」

下町工場
「次のレースまでには基準に適合させる。」
「これまでのレースで上位に入っているのだから車体の性能はいいはず。」
「レースにうちのフレームを使用しないなら違約金払え。」

某国チーム
「基準に適合する保証のないマシンなんか使えるか。」
「こっちで用意したエンジンがいいから直線は早いけど、コーナーはのろい」
「ハンドリング最悪で、ライダーの頑張りで何とか上位に入ったのに、性能はいいなんてふざけているのか。」
「バイクのことを何も知らないくせに。」
「訴えるなら訴えてみろ。未完成なものを押し付けやがって。こっちが契約違反で訴えたい気分だ。」



RACERS Volum 48(12)

公開公正で触れようとしていますが、その前にこちらでもう一つだけ書きます。

 27頁に次のように書かれています。
「ケニー・ロバーツのスタイルに影響を与えたのは、’73年カリフォルニアのオンタリオで見たヤーノ・サーリネンだった」

 当時のシーズンを知る人なら、デイトナがアメリカのロード第1戦(3月)でオンタリオは秋開催だったことを記憶しているだろう。サーリネンは1973年5月のイタリアGPで事故死しているのだから、サーリネンが走ったのは1973年の秋のオンタリオのレースではない。となると、サーリネンが1973年にオンタリオを走ったのはレース以外ということになる。その場面にロバーツもいたの?

 サーリネンが1973年にオンタリオを走ったという記事は、Wikipedia
https://en.wikipedia.org/wiki/Jarno_Saarinen
にもありますが、これは誤りで1972年が正解で、当時の雑誌でも確認できます。サーリネンはレースウィークの水曜日に転倒したとのこと。

Champion Spark Plug (ontario) Motorcycle Classic | Cycle World | JAN 1973


Wikipediaに頼るのはやめましょう。





RACERS Volume 49

1970~1980年頃の二輪誌はロードレースだけではなくモトクロスも取り上げてくれていましたので、それなりに詳しくなりました。RACERS に間違いを指摘できるほどではありませんので、懐かしく読ませせてもらいました。今回、登場した池田勝氏(ライダー→メカニック)ですが、1973年にセニアクラスに昇格した記憶です。当時はこのような社員ライダーも多く、このような方々がマシンの開発を支えていました。

 ところで、スズキの競技マシンといえば「XR●●」という機種記号が知られていますが、今号には記述がありませんね。スズキの125㏄モトクロッサーの機種記号としては
XR03
     30
     33
     37
ぐらいが私のリストにあります。

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