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レーシングマシンについての記事は「その他」にもあります。

ハーレーダビッドソン250ccGPレーサー(7)


250/2C/2T/10150/2T2C/10160


 このマシン、フレームは1975年以前のものに似ていますが、排気管が消音器付なので1976年後半以降に用いられたもののようです。消音器付で用いられたのが世界選手権なのかどうかはわかりませんが。

 さて、ハーレーの250GPレーサー(RR250)は2ストローク水冷直列2気筒ピストンバルブ吸気ですから、ヤマハTZ250と同じです。ボア×ストロークはTZ250の54×54mmに対して56×50mmとされていますが、これがハーレーが1974~76年に250㏄クラスでヤマハに対して優位に立てた理由とは思えません。

 もちろん、同一メカニズムだったとしても性能差は出ますが、他に考えられることとしては

(1)変速機内部のギアレシオを複数選択でき、しかもカセットミッションで素早く交換できた。TZ250の1速と6速のギア比の比(1速/6速)は2.37もあり、どこのコースでもある程度、対応はできたでしょうが、逆に各コースに適したギア比を選べませんでした。

※金谷秀夫氏は著書の中で「私(金谷)の時代はストレートで最高速を出せるような最終減速比を選んだが、最近のライダーはストレートで伸び切らなくても鈴鹿のS字を2速で走りやすい最終減速比にするような最終減速比の選び方をする」というようなことを書いていました。TZでは鈴鹿でベストなギア比を選べないことを示しています。

(2)ヤマハは1973年にTD3、TZ250とは全く別のファクトリーマシン0W17を登場させましたが、1974年以降、250㏄クラスでのレース活動を縮小しました。
 1974年はファクトリーマシンは走らず、1975年はセコットに1974年の0W16(350㏄)ベースにした0W17を与え、Villaのタイトル獲得が濃厚になってから1975年型0W16(モノクロス)に0W17エンジンを搭載したマシンを与えましたが、時既に遅し。1976年以降、ヤマハ250㏄ファクトリーマシンは姿を見せませんでした。


(3)これ以外の市販レーサーTZ250に乗るライダーですが、現地の輸入元等の支援を受けるライダーはいましたが、何れも小規模なチームで、ハーレーの方がチーム体制が強力でレース毎のマシンセッティング等で優位に立っていた。

 ぐらいでしょうか。もちろん、ライダーのVillaが安定した走りができるライダーだったことを忘れてはなりません。

 Villaは1984年鈴鹿8時間耐久レースにドゥカティで出場しましたが、金曜日の車検の時に車検場に姿を見せ、その時にサインを頂戴したのが思い出です。そのVillaも2002年に故人になりました。
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