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JFRMCブログ

レーシングマシンについての記事は「その他」にもあります。

ちょうげい(潜水艦)

 
(クリックしてください)


 今日、神戸港で観光船に乗ったら近くを潜水艦が浮上航行していました。
 艦番号517・ちょうげいです。昨年10月に進水し、現在は試験中です。期待して観光船に乗ったのではありませんが、幸運でした。

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1980年型カワサキKR1000


 1980年鈴鹿8時間(7月27日)で2位になったグレッグ・ハンスフォード/エディー・ローソンのKR1000です。公式予選は金曜日、土曜日に行われましたが、これは土曜日午前に撮影したもの(午後の4時間耐久の時は雨)。川崎重工業明石工場の作業服姿のメカニックがいい味を出しています。


 レースではスズキGS1000R(XR69)のグレーム・クロスビー/ウェス・クーリーと優勝を争いましたが、惜しくも40秒差で2位でした。


 レースでは夕方6時25分頃にローソンがピットイン、その時、クロスビーがピット前ストレートを通過、この時点でクロスビーが1位になったのですが、クロスビーがピット側を見て何回か頷いだようでした。
 クロスビーのペースは衰えず、ローソンから交代したハンスフォードとの差を広げていきます。そして6時45分頃にクロスビーがピットイン、燃料補給しマシン横に立つクーリーに代わるかと思ったら、そのままクロスビーがピットアウト、1位を保ったままコースに戻ったのです。
 クロスビーのペースは依然として衰えず、縮まったハンスフォードとの差を再び広げますが、7時10分頃にはさすがにペースダウン、ハンスフォードとの差を保ったまま7時31分にチェッカーを受けたのです。
 カワサキにとって、クロスビーの超人的奮闘に敗れたようなレースでした。


 ところで、この年のカワサキKR1000、スズキGS1000R、ホンダRS1000の排気音は特徴があり、極端に表現すると

カワサキ バリバリバリ・・・
スズキ  パーン
ホンダ  ギュルー

といった感じでした。あれから45年ですが、排気音、そしてレース終盤の光景は鮮明です。


 

1980年日本GP

1980年日本GP国際A750/350の写真をミヒャエルさんが公開しています。写真説明に少し誤りがありますが、全日本時代のこういう写真は貴重です。


https://ameblo.jp/mrhpkawasaki750h2/entry-12515886199.html

https://ameblo.jp/mrhpkawasaki750h2/entry-12515886206.html

https://ameblo.jp/mrhpkawasaki750h2/entry-12515886155.html?frm=theme

https://ameblo.jp/mrhpkawasaki750h2/entry-12515886231.html?frm=theme


https://ameblo.jp/mrhpkawasaki750h2/entry-12515886166.html?frm=theme

 
この日本GP、私が見ていた場所は次のとおりです。

13日土曜日
 フリープラクティス ピット上
 公式予選 逆バンクを出たところ
14日日曜日
 レース グランドスタンド(ミヒャエルさんとほぼ同じ場所?)

 1980年といえば45年前、大昔のことですが、この年の光景は(断片的ですが)記憶に残っています。




雑誌の発売日

 RACERS Volume 76の13頁に次の記述があります。

「当時は~WGPの情報などは、開催されてから少なくとも2、3ケ月ほど遅れて発売される雑誌の紹介記事を見るだけだった」

 この記事を書いたのは関谷氏ですが、以前、鈴鹿サーキットのイベントでRACERSの今井氏も「2~3ケ月」と語っていた記憶です。

 1980年500㏄の8戦の開催日とライダースクラブ発売日と時間差(日)は次のとおりです。

ですから「1~2ケ月遅れ」ですね。

 ひょっとしたら、2氏とも(例えば)ライダースクラブ8月号は昔も今も8月1日発売ではなく6月27日発売であることを知らないのかもしれません。

 ライダースクラブ1980-8には「昭和55年8月1日発行」と書いてありますが、これは出版界の先付け慣習によるものです。

  ところで、当時、レースファンが世界GPの結果を早く知る方法・・・

1 英字新聞をチェックする。日本の新聞では全く記事になりませんが、英字新聞ですと記事になることがあった。
2 一部のバイク用品店が速報を掲示していた。
3 テレホンサービス

 2については1984年にはありました。3については1988年頃にはあったという記憶です。





 




1980年国際A級750㏄チャンピオン

公開校正 RACERS Vol.76 TZ500 の末尾に次の記事を追加しました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

参考3 1980年国際A級750㏄のチャンピオン
 最終的に鈴木修がチャンピオンと決定されるまで混乱があった。
(1) 1980年日本GP直後に1980年国際A級750㏄チャンピオンは鈴木修と非公式に発表された。
  下はライディング1980-9に掲載された日本GP直前のランキング表。〇が付けられた得点は有効得点(ベスト5戦分)に加算されないもの。
(クリック)
 これに最終戦日本GPの得点を加算すると鈴木がチャンピオンになる。
 
(2) 上表の第4戦鈴鹿の水谷の得点が10(3位)、毛利の得点が6(5位)だが、2位の河崎裕之のスズキRGB500(XR27)はファクトリーマシンでありMFJ非公認車両であるにもかかわらず得点対象としたことによる。まず、これを除外する(毛利、水谷の得点が加算)。そして、日本GP国際A級は国際格式(実際はMFJライセンス保有者のみが参加)であるため、世界GP等と同様にファクトリーマシン(MFJ未公認車両)も得点対象とする。
 この結果、毛利56点、鈴木55点となり、毛利がチャンピオンに内定する。
 
(3) 市販レーサーであるスズキRG500は公認車両と認識されていたが、MFJロードレース委員会において、スズキからの公認申請のない非公認車両であることが問題になる。このため、第7戦筑波での得点対象者の1位は酒井清孝(市販RG500)ではなく鈴木になる。また、このレースで水谷は転倒したが、再スタート、TZ350勢の後でフィニッシュしたのだが、750ccクラス3位と認められ10点が加算される。この結果、水谷がチャンピオンとして12月2日に電話通知される。
 
(4) MFJ競技規則では出場者数によって得点が上位何位まで与えられるかが決まるが、公認車両による出場者数から酒井ら市販RG500出場者が減算されたことにより第7戦の水谷の10点等、下位の得点が抹消される。
 (2)の下線部はMFJ競技規則に反するとして、得点対象、出場者数算定から除外される。
 これらの結果、12月4日、鈴木がチャンピオンと決定(最終ランキング表)。

参考文献 ライダースクラブ1981-1、1981-2
 
  
 下はライディング1980-5に掲載されたTZ500の公認公示で、国内出荷台数25台とあるが、この25台が公認の基準。実際には25台も出荷されなかったが、「注文があれば出荷します」という前提である。スズキがRG500の公認申請を行わなかったのは「25台」を厳密に解釈したためと思われる。
 「半乾燥重量138㎏」とあるが、一般市販車の公認公示で「半乾燥重量」とされたものが実は乾燥重量だったので、これも「乾燥重量」の誤りと思われる。

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