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レーシングマシンについての記事は「その他」にもあります。

1986年型ホンダNSR250(NV1B)の排気管(2)

   さて、世界選手権では、第8戦フランス(7月20日)で各ライダーのマシンが一斉に新型排気管になります。

 第7戦ベルギーGPプラクティス、レースの映像。

 以下の写真はこの映像から切り取ったもので、各マシンともフェアリングから出る下側排気管(車体右側)が短く「とぐろ」型と分ります。

アントン・マング


アルフォンシト・ポンス


ジャン・フランソワ・バルデ



ドミニク・サロン


ファウスト・リッチ


ヴィルジニオ・フェラーリ



 そして、第8戦フランスGPの映像。

 以下の写真はこの動画から切り取ったもので、下側排気管(車体右側)が後方に長く伸びています。

マング


ポンス



サロン


 当時の世界GPスケジュールを確認すると

第1戦スペイン(5月4日)、第2戦イタリア(5月18日)、第3戦ドイツ(5月25日)~第6戦オランダ(6月28日)、第7戦ベルギー(7月6日)、第8戦フランス(7月20日)

です。


 この第2戦イタリアGPがホンダにとって転換点だったようです。このレース、マングとラバードが激しいレースを繰り広げ、僅差でマングが勝ったのですが、直線が長いモンツァでヤマハ0W82がNSR250と対等に戦ったのです。


  新型排気管の開発がいつ頃始まったのかは分かりませんが、このイタリアGPの結果が、ホンダにNSR250の最高出力向上を急がせることになったと思います。そして、イタリアGPの1週間後の全日本第6戦菅生で新型排気管が姿を現しました。

 その後も何回かの仕様変更とテストが行われ、初登場(菅生)から2か月後の第8戦フランスGPで投入されました。
 おそらく、第7戦ベルギーと第8戦フランスの間の2週間に新型排気管がGPライダーによってテストされたのでしょう。



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1986年型ホンダNSR250(NV1B)の排気管

 1986年、ヤマハ0W82のライバルとなったホンダNSR250(NV1B)についても触れます。

 シーズン前公表写真。


 エンジンは1軸クランク90度V型2気筒で、2気筒とも前方排気です。1985年型RS250RW(NSR250/NV1A)と同様、下気筒排気管がエンジン下でとぐろを巻いた後に右スイングアーム横に伸びます。

 マスの集中化、空気抵抗の低減に効果があったでしょうし、何より排気管の膨張室のスイングアームへの干渉を避けることができます。

 しかし、このような曲げが大きい排気管は、とぐろを巻かず伸ばす排気管に較べエンジン性能上はマイナスで、
1986年にヤマハが純ファクトリーマシン0W82を本格的に走らせるようになると、この「とぐろ」排気管も見直されました。 

 シーズン終盤、国内で雑誌取材に供された
-/NSR250F-6811(エンジン番号不明)



 下排気管がとぐろを巻かず、後方に伸びています。
 下はエンジン下側から見た写真で、上が進行方向です。

 左上のプラグキャップがあるのが下気筒のシリンダーヘッドで、このシリンダーの排気口は上排気管に隠れていますが、下気筒の排気管はエンジン下右寄り(写真左側)から左寄り(写真右側)になり、(写真には写ってませんが)再び右寄りになり、右スイングアーム辺りに顔を出します。

 この形態の排気管は世界GPで登場する前に全日本選手権で姿を見せました。

 全日本第5戦筑波(5月11日)車検時の清水雅広のNSR250。
 860511_250_04nsrsimizu.jpg - scan19xx (seesaa.net)
  この時点では「とぐろ」排気管です。

 同じく車検時の山本隆義のNSR250。
860511_250_05yamamoto_nsr.jpg - scan19xx (seesaa.net)
 分りにくいですが「とぐろ」排気管です。

 そして、新型排気管が全日本第6戦菅生(5月24日)で姿を見せます。ライダースクラブ1986-8の記述。
「清水のNSRには直線的にテールパイプが取り出された新型エキゾーストが装着されていた。もう1台のNSRは西川原尚に与えられ、こちらは従来型」

  この動画から切り取った清水のNSRの画像。

   また、44秒あたりのスタート直前のシーンで西川原(ゼッケン8)のNSR250が写っていますが、下側排気管が短いので「とぐろ」と分ります。


 第7戦鈴鹿では250ccクラスはなく、全日本第8戦筑波(6月22日)では清水選手以外のNSR250も新型排気管になります。ライダースクラブ1986-9の記述。
「ホンダは、菅生で清水雅広が使った若干高速型のエキゾーストを西川原尚にも与えた」

 この動画から切り取った清水のNSRの画像。

 排気管の膨張室からテールパイプへの接続部が滑らかになったように見えます。

(続く)





情熱のロードレース RACING SOUNDS Vol.1 1985年鈴鹿8耐

 昨日発売でしたが、今日、買いました。

情熱のロードレース Vol.1 | 八重洲出版 公式サイト (yaesu-net.co.jp)

 三栄書房のRACERSと異なり、当時の関係者のインタビュー記事が中心です。私にとっては「買い」でしたので、今後の展開が楽しみです。


 編集長の川上さんは、サイクルサウンズ誌(山海堂)での記憶がある方で、RACING SOUNDSは、サイクルサウンズ誌での何かの連載記事か、別冊か何かの標題だったような気がします。



現存する0W82

-/YZR250-B-601(エンジン番号不明)


 フジモーターミュージアムに展示されていた無パワーバルブ仕様の0W82。

 1986年シーズン終了後、「ヤマハ チャンピオンシップ カーニバル」(池袋)で展示された0W82と同じ個体のようです。
ヤマハYZR250・YZF750 チャンピオンシップ・カーニバル(池袋): scan19xx (seesaa.net)

 私がこのマシンを見たのは33年前で、その数年後にフジモーターミュージアムが閉館してからの消息はわかりません。ヤマハの倉庫に現存しているとは思いますが。


-/YZR250-B-602(エンジン番号不明)
 
 パワーバルブ仕様。

Carlos Lavado Yamaha YZR250 | With Phil Anysley | MCNews

 ウォーミングアップの動画。


 602のものとされる燃料タンクがオークションに出品されたことがありました。
JFRMCブログ ヤマハ 0W82(1986YZR250)のタンク?出品 (tou3.com)


YZR250 E 605/YZR250-B-605
 コミュニケーションプラザに展示されているパワーバルブ仕様の0W82。フレーム番号からすると平選手のマシンになります。「ヤマハ チャンピオンシップ カーニバル」で展示されたマシンとは、フェアリングのスポンサーステッカーの位置が少し異なりますし、排気管も微妙に違うようです。

 この605/605が1986年250cc世界GP最終戦サンマリノGPで優勝したマシンかどうかは外観では判然としませんが、優勝マシンであって欲しいと願っています。

 



 ヤマハ・コミュニケーションプラザでの整備の様子。
Yamaha Communication Plaza | Facebook




YZR250-B-602

Carlos Lavado Yamaha YZR250 | With Phil Anysley | MCNews
 のYZR250-B-602ですが、フレーム右側のこの部分が溶接で付加されています。



 下のシーズン前公開写真と比較すれば違いが明白です。



 そして、実戦の写真、映像で確認できた限りでは、ラバード、ヴィマー、平の0W82はいずれもシーズン前公開写真と同じでした。

 ラバードの601は、日本GP及びフジスーパースプリントでもシーズン前公開写真と同じでしたし、私が1988年に見た601も同様です。

 602は第6戦オランダではシーズン前公開写真と同じでしたが、第7戦~第10戦では不明です。第11戦(最終戦)サンマリノの不明瞭な映像からはシーズン前公会写真と同じように見えます。

 現存する602の溶接跡は、世界GP後のテストのため、あるいはヤマハの手を離れた後の補修のため、いずれかによるものだと思います。




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