レーシングマシンについての記事は「その他」にもあります。
次にスイングアームのプッシュロッド接続箇所付近。
A型
B型(左側) B型右側)
A型にはプッシュロッド接続箇所の後側に穴がありますが、B型にはありません。
そして、スイングアームの縦パイプとプッシュロッド接続箇所の位置関係が異なり、A型の縦パイプ位置が少し後です。
ただ、この違いは左スイングアームだけです。右スイングアームではA型もB型も縦パイプの位置はほぼ同じです。
これは500㏄第6戦フィンランドでのマモラのXR34M。
後サスペンションのロッカーアームピボットの前のパイプ、フェアリングステーの位置からフレームはA型と分りますし、左スイングアームの縦パイプ位置はA型と同じです。
しかし、右スイングアームを拡大すると縦パイプの位置がB型と同じことが分かります。
つまり、A型スイングアームは左右非対称で縦パイプの位置が左右で異なり、右スイングアームではB型と同じ位置で、左スイングアームではB型より後側にあるのです。
さて、XR34Mが初登場した第2戦スペインでのマモラのXR34M。フェアリングステーの位置からするとフレームはA型です。
スイングアームはA型です。
同じく第2戦でのロッシとXR34M。
映りが悪く、サスペンションのロッカーアームピボット付近はよくわかりませんが、フェアリングステーの位置からするとフレームはA型です。
スイングアーム取付部付近。
縦パイプ位置はB型と同じですが、前述のようにA型スイングアームは左右非対称なので不思議ではありません。
次に500㏄第4戦オランダのスタート時のマモラのXR34M。
フレームはA型で、スイングアームの縦パイプ位置はB型と同じです。
(続く)
XR34Mは1980年第2戦スペインで登場しましたが、下は第3戦フランスGPでのマルコ・ルッキネリのXR34M。これを仮にA型としましょう。
そして、これはシーズン後に雑誌の取材に供されたXR34M。これを仮にB型とします。
後サスペンションのロッカーアームピボット付近を拡大すると、
A型
B型
ピボットから前に伸びるパイプがBにはありません。MOTOCOURSE 1980-81でイギリスGPで登場したとされるフレームに関する記述のとおりです。
また、ロッカーアーム、クッションユニットも異なります。
次にバックボーン部。
A型
B型
略図で示すと
A型
B型
ステアリングダンパーが取り付けられるパイプとシートレールパイプの位置関係が異なり、B型ではバックボーンパイプ前後でほぼ同じなのに対して、A型では段があります。
また、略図上で白丸で示すフェアリングステー取付部の位置が異なります。
(続く)
XR34は1980年型スズキRGB500の機種記号で、XR34Mはフルフローターサスペンション車です。
私が
XR34 SUZUKI (ganriki.net)
を書いたのは2003年7月です。もう18年以上経ったのですね。
この記事の中でXR34M1とXR34M2の区別について触れていますが、現存するXR34Mに関する他サイトの記事では私の解釈とは逆の説明になっています。
Q&A with Top Fuel Motorcycle Champion Ian King | Dragbike.com
にあるイアン・キング所有のXR34はXR34M2とされています。
こちらのXR34MもXR34M2とされています。
(20+) モトサイクレットサワダ - 投稿 | Facebook
さて、XR34M1とXR34M2という名称を(おそらく)世界で初めて記述したTEAM SUZUKI by Ray Battersby, Osprey 1982/Parker House 2008の234頁のストリップ写真のマシンはXR34M2とされています。
私にはこれらのマシンは何れもXR34M1に見えます。
そしてこちらのXR34はXR34M1とされていますが、私にはXR34M2に見えます。
British GP and Senior TT winning XR34 Suzuki | MCNews
そこで
XR34 SUZUKI (ganriki.net)
を補足する意味でXR34M1とXR34M2の区別について詳しく触れます。
まず、TEAM SUZUKIの記述を紹介します。
The first monoshock Suzuki was the XR34M1, first raced in Spain but quickly superseded by the later XR34M2.
では、XR34M2はいつ登場したのでしょうか?
MOTOCOURSE 1980-81では、500㏄第2戦スペインで登場したモノショックのフレームとは別の新型のモノショックのフレームがイギリスGPで登場したことが書かれています。
He(注 Mamola) had a new machine for Silverstone~. The new frame for his RG500 Suzuki was slightly lighter as it had two less tubes supporting the rocker arm pivot. More importantly, it had a slightly revised leverage ratio endowed the rear suspension with better rising rate characteristics.
これらの記述からすると、イギリスGPで登場したのがXR34M2と考えられます。
(続く)
ヤマハのメカニック(だった)斎藤静生さんへの取材だそうです。
YOSHIMURA NobuyaさんはTwitterを使っています 「@FeliceAki それです。藤原選手のYZR500押してる御大の写真を見て、そういば斎藤さん「初の海外レースは本橋さんのRD05A担当だった」と仰しゃってたな…と思って、う~んと前にもらったメモを読み返したら『1971年シンガポールGPにて長谷川R、本橋R参戦:海外レース初出張』と書いてあったというわけです。」 / Twitter
ホンダは1967年を最後に世界GPから撤退しましたし、ヤマハもRD05Aを世界GPで走らせたのは1968年が最後です。既に1970年から250㏄世界GPが2気筒・6段変速に制限されることが決まっており、RD05Aの開発は遅くとも1968年シーズン終了時点で終了していたはずです。
RD05Aは1969年4月のシンガポールGPを走っていますが、その後、1971年シンガポールGPまでレースを走らなかったとするなら、1971年シンガポールGPまで2年間もブランクがあったことになります。
1969~70年の2シーズン、空冷2気筒市販レーサーTR2(350cc)・TD2(250cc)が十分な実績を示していたにも関わらず、2年間、レースはもちろんヤマハテストコースを走ることがなかったであろうRD05Aをメンテナンスして1971年シンガポールGPのために走らせる必要性があったのでしょうか?RD05Aの出力がTR2を上回るとはいえ。
それとも2年間、RD05Aのメンテナンスとテストを継続していたのでしょうか? 何のために?
RACERS Volume 02(2010三栄書房)では斉藤さんについて次のように書かれています。
「入社3年目の’67年から研究2課に所属し、RD05A、RA97を皮切りに、YZR500/250の実験と実戦の両方でメカニックを務め~」
1971年シンガポールGPが斉藤さんの初海外出張とするなら、研究2課所属5年目ということになりますが、すこし遅すぎるように思います。
こちらはシンガポールのナショナルアーカイブにアップされている1971年シンガーポールGの写真
Track photographers at the Singapore Grand Prix 1971 at … (nas.gov.sg)
Start of the motorcycle race during the Singapore Grand Prix … (nas.gov.sg)
ゼッケン10は優勝したジェフ・ペリー(スズキTR500(XR05))。
ゼッケン20はTR2です。空冷冷却フィンが見えます。
Motorcyclists preparing to ride their motorcycles before the … (nas.gov.sg)
ゼッケン77もTR2です。
A motorcyclist preparing to ride his motorcycle before the … (nas.gov.sg)
ゼッケン105の大きな写真はないようですが、これもTR2のように見えます。
これらの写真のレースは、TR500が走っていることからオープンクラスのようですが、これとは別に250㏄クラスでRD05Aが走ったのでしょうか?TD2が1970年250cc世界GPチャンピオンマシンになった翌年に、なぜRD05Aを走らせる必要がある?
これらのことから「1971年シンガポールGP」のメモは誤りの可能性が十分あると思います。
さて、
RD05A YAMAHA (ganriki.net)
では、1968、1969年シンガポールGPのことについて触れていなかったので、これを加筆しました。
また、現存する1968年型RD05Aを「1967年製作」とするネット記事、雑誌記事がありますので、これについての私の意見も加筆しています。