忍者ブログ

JFRMCブログ

レーシングマシンについての記事は「その他」にもあります。

議論とは

石原良純&玉川徹氏が“放送事故レベル”の激論 再生エネルギーめぐり一触即発(東スポWeb) - Yahoo!ニュース

 こんなもの、議論でもなんでもありません。

ここ

無為な議論 (ganriki.net)

で書いたように、科学的な問題を議論するためには、

・用語の定義が明確であり、その定義の意味が理解されていること
・基本的な法則、原理が理解されていること
・データの計測方法の原理と、計測方法、計測条件の違いによって計測データが変わることが理解されていること

が必要なのですが、この前提がない議論は単なる罵り合いになります。

 玉川氏の「日経新聞を読めば、いろんな蓄電技術は載ってる!」の類、つまり「〇〇に書いてあった」は意見でもなんでもありません。そこに書いてあった技術、数字がどの程度のものなのかを判断できる科学のベースがなければ何の意味もないのです。

 マスコミに取り上げられた事柄が根拠になると思う人は、科学的な議論、そしてそれを土台にした政策的な議論ができません。そのような人の方が声が大きいのが残念ですが。
PR

Old-timer(オールド・タイマー) 2022年10月号

公開校正番外編です。

(1) 60頁、62頁のゼッケン6のマシンをホンダ2RC164(250㏄)としていますが、RC172(350㏄)の誤りです。60頁の写真を見れば、レッドマン+ホンダ以外に日本車が見当たらないので250㏄ではないと気が付きそうなものです。

 なお、レッドマンは1964年250㏄でゼッケン1でした。

(2) 61頁右下 スズキRV61(250㏄)となっていますが、RT61(125㏄)の誤りです。
各クラスのゼッケンは
    伊藤    増田
125   32      36
250       29       32

(3) 62頁右側上から2番目は1964年のヤマハRD56(250㏄)ということですが、1965年のヤマハRA97(125㏄)です。優勝したフィル・リードのマシンです。RD56とRA97では、フェアリングの形がかなり違います(私見)。


 このような記事を掲載していただいたことはありがたいのですが、ライター氏さんにおかれましては、下のサイトで確認いただけると幸いです。
日本モーターサイクルレースの夜明けMENU (iom1960.com)

NDロードスター標準サイズタイヤの重量

NDロードスターのタイヤ重量 (ganriki.net)

 以前、調べたことがあるので、記事にしました。
 父が6月に亡くなって以来、ちょっと私の調子が落ちたようです。バイクにも車にも乗りますが、仕事以外のことについて考え事をすることが減ったように思います。そんな訳で更新頻度が落ちています。

990S

 

 ロードスター990Sです。契約から納車まで4カ月前後というところです。

 ちょっと乗った印象としては
〇乗り心地がよい。いつもの荒れた路面で、96年型Sだとタイヤ・ホイールがドタバタしていましたが、990Sではドタバタ感が非常に少ない。
〇いつもの見通しのよいT字路で車体後内側が浮く感覚が96年型Sより弱い。
〇ブレーキのタッチがよい。ただ、96年型Sは最近の印象が残っているので、新車だったらどうなのか私には分りません。
〇いつもの坂道を6速で登ると、96年型Sでは5速へシフトすることが促されるが、990Sではそんなことはない。エンジン低回転のトルクが改善されているような印象で、平地60km/h・6速(1500rpm)からの加速も力強く感じる。

 エンジンについていうなら990Sのエンジン制御も見直されているとのことですが、数年前のマイナーチェンジで最高出力が131→132PSになったときのエンジン改良の効果かもしれませんね。

 試乗もせずに購入しましたが満足しています。

ヤマハ発動機の創業 ー 楽器工場の活用なのか?

スズキにヤマハ、かつてはホンダも…静岡はなぜバイク大国? (msn.com)
「楽器メーカーとして創業したヤマハが、バイクを手掛けるようになったのは1955年と、ホンダやスズキに比べると後発です。当初は、稼働の少なかった楽器工場の有効活用が目的であったとされています」

「スズキは織機の製造を、ヤマハは楽器の製造から派生しており、それぞれが行っていた既存の事業のノウハウが、バイクの製造へと役立てられたということのようです」

 誤りです
 
 日本楽器(ヤマハ)は木工加工技術を生かして木製プロペラを製造するようになり、さらには金属製プロペラを製造しました。そして、太平洋戦争末期、プロペラ製造施設を新設の佐久良工場に疎開させましたが、戦後、米軍管理下に置かれます。

 そして、その工作機械がヤマハに返還されたのですが、ピアノ等の製造に使えるものはなく、その活用法としてバイクの製造に乗り出すことになったのです。「楽器製造工場の活用」ではなく「プロペラ製造施設の活用」です。

 ヤマハ発動機のウエブサイト中の
やまももの木は知っている ヤマハ発動機創立時代のうらばなし | ヤマハ発動機 (yamaha-motor.com)
では次のように書かれています。

「プロペラ用工作機械は佐久良工場へ運び出されていたために、ほとんど戦火にあわずに済んだ」

「昭和22年(1947年)にはピアノの生産も再開され、昭和25年9月15日には日本楽器の経営は川上嘉市社長から川上源一社長に継がれ、一つの転機を迎えることになった私も昭和27年11月に技術部の能率課長を命ぜられ、川上源一社長の工場近代化方針に基づき、家内工業的生産方式からの脱皮をはかるための仕事に参加させて頂くことになった。」

「そのころ佐久良工場において、賠償指定を受け整備保管されていた工作機械が、平和産業のためなら使用してよいということになって賠償指定は解除された。これらの工作機械は、当時の日本楽器の仕事の内容からするとほとんど使いみちはなく、何か活用の道はないだろうかと川上社長も頭を痛められていた様子であった」

 なお、ヤマハのウエブサイト中の記事の全体の目次は
やまももの木は知っている ヤマハ発動機創立時代のうらばなし | ヤマハ発動機 (yamaha-motor.com)

です。この記事の元資料はヤマハ発動機創立25年記念誌です。
ヤマハ発動機創立の原点 挑戦 ヤマハ発動機創立の原点 挑戦 [BBqRQmU] - (ontoile.xyz)

カレンダー

03 2025/04 05
S M T W T F S
3 4
7 8 9 10 11
13 15 18
21 25 26
27 28 29 30

リンク

カテゴリー

フリーエリア

最新CM

[03/26 野田]
[03/26 TFR_BIGMOSA]
[03/12 野田]
[03/12 野田]
[03/12 野田]
[03/12 平野克美]
[03/12 平野克美]
[02/21 野田]
[02/21 TFR_BIGMOSA]
[02/06 Kuboi]

最新記事

最新TB

プロフィール

HN:
野田健一
性別:
男性

バーコード

RSS

ブログ内検索

アーカイブ

最古記事

P R

カウンター

アクセス解析