レーシングマシンについての記事は「その他」にもあります。
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令和3年度版「わたしたちの明石」(明石市教育委員会)です。
「戦争中の明石のようす」の頁(67頁)に川崎航空機の写真として掲載されています。
左右反転すると
下の岐阜工場の写真をトリミング、左右反転し、画質を落としたものであることが分ります。
Kawasaki_Ki-61-II.jpg (1000×686) (wikimedia.org)
写っている飛行機は三式戦闘機ですね。この写真はよく知られたものですし、これを明石工場とした説明は見たことはありません。表題の本を作成した方が、戦中の明石工場の適当な写真がないので、岐阜工場の写真を加工して掲載したのでしょうか?
ウチューじん・ささきさんはTwitterを使っています: 「パイロットという人種、特に戦闘機パイロットには自分がいかに危険な仕事をやっているかという矜持が行き過ぎて、自分の乗っている機体の難しさや危険性を大袈裟に吹聴する人もいる。それが「パイロット本人から聞いたから間違いない」として伝説の種になる。」 /
スズキ50㏄2気筒10/12/14段変速機に乗り優勝したライダーと優勝数。
ハンス・ゲオルク・アンシャイト 8勝
スチュアート・グレアム 1勝
ヒュー・アンダーソン 1勝
エルンスト・デグナー 2勝
片山 義美 3勝
伊藤 光夫 1勝
神経質な2ストローク50㏄2気筒エンジンを多段変速機コントロールするのは常人の技ではありませんが、スズキのライダーの多くが乗りこなしていたようです。差はあったでしょうが、特に「このライダーでなければ」というようなものではないと思います。
「今の人は乗りこなせないでしょう」という意見もありました。しかし、4ストローク350/500cc単気筒に乗っていたアンダーソンが乗りこなすことができたのですから、現代のライダーでも、訓練を積めば乗りこなすことができると思います。

〈動画〉250ccで250km/h!! トリックスターのZX-25Rターボが大記録を達成!│WEBヤングマシン|新車バイクニュース (young-machine.com)
クランク軸出力100PSでメーター読み252km/h、実測243kmとのこと。
クランク軸出力100PSですと、変速機出力軸で95PS、後車軸87PS程度です。この数値が1976年型ヤマハTZ350(2ストローク並列2気筒市販レーサー)を上回っているのは間違いありません。
1977年にモトライダー誌が1976年型TZ350を谷田部に持ち込み最高速を測定しました。標準フェアリングと空気抵抗減少を狙った某社フェアリングの比較テストでしたが、どちらのフェアリングでも249.5km/h程度で実質的に差がありませんでした。
その理由の一つが最終減速比で、富士スピードウェイ用減速比でテストしたために、どちらのフェアリングでも11800rpm程度まで回ってしまいました。本来なら11000rpm程度に抑えたいところです。最終減速比を適切にしたなら、最高速は260km/h程度になったでしょうし、フェアリングの差も出たかもしれません。
1976年型TZ350より動画のZX-25Rターボの最高速が低い理由として考えられるのは
1 空気抵抗が大きい
(1) タイヤ幅が大きい
(2) 車体の幅が大きい
(3) ヘルメットの位置が高い(タンク位置が高い)
(4) フルフェアリングではなく、エンジンが露出している部分がある。
(5) フェアリングの凹凸が大きい。
(6) 大きな排気サイレンサーが路面に対して斜めに装備されている
2 ZX25Rターボの実走行条件の出力がベンチテスト時より低い
あたりでしょうか。
車重はほとんど影響しません。250㎞/h前後での走行抵抗に占める転がり抵抗((車重+ライダー体重)に略比例)は4%程度でしょうか。転がり抵抗が25%減少しても、最高速への影響は1km/h程度です。
なお、サーキットでの最高速は、直線距離が十分でないため、(マシンにもよりますが)加速途中で計測されることが大半であるため、車重はこれ以上に最高速に影響します。

マン島TTでまたも重大事故。サイドカーレース参戦の親子2名が亡くなる。大会中の死者5名は1989年以来(motorsport.com 日本版) - Yahoo!ニュース
事故が起きたのはAgo's leapです。Agoはジャコモ・アゴスチーニのことで、MV500でジャンプする写真が有名です。
Ago's leap - Classic Racer
スタート地点から下り、さらに上ったところです。私はTTレースの映像はあまり見なくなっていますが、以前、この場所でジャンプし着地後に振られるマシンをよく見た記憶です。
今大会5人目の死者・・・ご冥福をお祈りいたします。