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JFRMCブログ

レーシングマシンについての記事は「その他」にもあります。

URSのクランクシャフト(修正あり)

 こちら(リンク)で取り上げたURSエンジンについてコメント欄に次の質問がありました。

「私の能力では慣性偶力に関する有利・不利についてはイマイチ理解できていないのですが、エンジンの構造的にこのクランクピンの配置は片側のクランクシャフトをそのまま反転してもう片側に使える、という狙いもあるのではないでしょうか?」

 この写真では、確かに2本のクランクシャフトのベアリング/ギア/クランクウェブの位置関係が左右対称に配置されています。


 しかし、左右のクランクシャフトは共通ではなく、それぞれ専用品です(構成部品は共通化できます)。

 下図において、左のクランクシャフトと同じクランクシャフトを180度反転させて右側2気筒分のクランクシャフトとして配置すると下右のようになり、URSのクランクピン配列になりませんし、1次慣性力も釣り合いません。さらに右側のクランクを手前に90度回せば、URSのクランクピン配列になります。

 左側2気筒のクランクシャフト      右側2気筒のクランクシャフ



 ですからただ、レーシングエンジンにおいて、2本のクランクシャフトを共通にする意味は量産車ほど大きくはありません。URSのクランクピン配列が採用された理由は、1次慣性偶力を小さくするためだと考えています。

 仮に2004年型YZR-M1 (ganriki.net) のケース2と同じだったとすると、バランサーシャフトがなければ、単純に考えて両外側2気筒の1次慣性偶力は180度クランクの250㏄2気筒の3倍になってしまいます。

 また、2006ZX-RRのようなクランクピン配列にすれば1次慣性偶力はさらに小さくなりますが、2次慣性偶力が大きくなりすぎます。
 
 その兼ね合いがURSのクランクピン配列だと考えます。

 なお、URSのクランクピン配列で、2本のクランクシャフトを共通にするために、左右のクランクシャフトを左右対称ではなく、下図のように並べて配置する必要があります。ことも可能です。





 URSのクランクピン配列が 2004年型YZR-M1 (ganriki.net) のケース2と同じだったとしても、左右のクランクシャフトはそれぞれ専用にする必要があります。

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加湿器肺

【特集】新型コロナだけじゃない…命を落とす危険もある肺炎「加湿器肺」とは!? お笑いコンビ「メッセンジャー」あいはらさんが一時、意識不明に陥った闘病を告白(読売テレビ) -でYahoo!ニュース

 この記事の中で出てくる「レジオネラ菌」、私が初めて知ったのは1981年でした。バス旅行でラジオ放送を聞いていたら「在郷軍人病」という病名が。legionには「在郷軍人会」という意味があり、その大会で感染者が大量発生したことから、Leginellaと名付けられたのですが、1981年当時は日本語訳の名前で放送されたのです。

 何年か前には、循環型の風呂でも問題になりました。

 私が気にしているのは、夏場に街中等で稼働しているクールミスト発生装置です。装置の管理者がどんな衛生管理をしているかわかったものではありませんから、その場所を避けて歩くか、通らざるを得ないときは、息を止めて素早く通り抜けるようにしています。

 一度、事故が判明すればあっという間に廃れるとは思いますが、そうなってからでは遅いと思います。

MOTO GP公式サイトのリザルト(2)

 ライダーの名前をクリックすると、公式サイトの該当頁に行きます。

ケニー・ロバーツ

500㏄デビューが1978年スペインになっています。その1戦前の開幕戦ベネズエラに0W35に乗り出場しエンジン故障でリタイアしています。

エディー・ローソン
1981年、カワサキKR250に乗って数レース走っていたことが忘れられています。

片山敬済
250㏄デビューが1974年ベルギーになっていますが、1戦前のオランダが正解です。下の方の1974年のレーススタート数の4も誤りです。オランダ、ベルギー、スエーデン、フィンランド、チェコスロバキア、スペインを走った記憶。ポイントを獲得したのは4戦ですが。その他のレーススタート数も1979年(NR500登場等)の数字がないなど間違いだらけ。

高井幾次郎
1978年500㏄スペインGPを走ったことが忘れられています。レーススタート数もデタラメです。

田中健二郎
田中健二郎と田中禎助の戦績のミックスになっています。

伊藤光夫
デビューが50㏄:1962年フランス、125㏄:1962年アルゼンチンになっていますが、50㏄:1962年スペイン、125㏄:1962年マン島の誤りです。レーススタート数もデタラメ。

 他の日本人ライダーについても調べてみましたが、デビューレース名、レーススタート数、いずれも誤りが多く見られました。得点獲得レースのみカウントしているのでしょうか。

環境学

インフルエンザはなぜ毎年大流行するのか 石弘之『感染症の世界史』 | カドブン (kadobun.jp)

戦争を止めたこともあります。第一次大戦は 1914 年にアメリカがドイツに宣戦布告して始まりましたが、緊急動員された兵舎はどこもごった返しており、感染が一気に拡大しました。」
「大流行したインフルエンザでアメリカは 5 万 7000 人、ドイツは 20 万人の将兵を失い、戦争どころではなくなってしまったのです。さらに感染した兵士が本国にウイルスを持ち帰り、インフルエンザのグローバル化まで起きました。人類史上最大の死者と感染者となってしまいました。『スペインかぜ』と呼ばれる大流行です。」

 環境学というから、どんな人かと思えば、「1940年生まれ。東京大学卒業後、朝日新聞入社。96年より東京大学大学院教授、ザンビア特命全権大使などを歴任。」で納得。
 東京大学を卒業した東京大学教授ってこんなもの?


MOTO GP公式サイトのリザルト

1967年50㏄クラス
motogp.com · 50cc World Standing 1967

 スペイン、日本のリザルトがありません。
 で、ランキング表に、最終戦日本GPで優勝した伊藤光夫が8点挙げているのに、ランキング外です。ランキング3位のGRAHAMの22点は日本GPの6点を含んでいますが。
 
 Grand Prix Motorcycle Championships of the World (by Maurice Bula, Foulis 1975, フランス語の原書の英訳版)によると、FIM自体が昔から間違えているようです。

 
1965年50㏄クラス
motogp.com · 50cc World Standing 1965
 ランキング7位のアンシャイトのマシンがスズキになっています。確かに最終戦日本GP(リザルトが見られない)でスズキに乗り4位になりましたが、序盤はクライトラーに乗り第2戦ドイツで6位、第3戦スペイン(リザルトが見られない)で5位入賞しています(第4戦からクライトラーはレース活動休止)。で、ドイツGPのリザルトでもアンシャイトのマシンがスズキになっています。

1961年125㏄クラス
motogp.com · 125cc World Standing 1961
 ランキング9位の田中禎助がKenjiro TANAKA(田中健二郎)になっています。

 ランキング15位の谷口尚己がMasumitsu Taguchi(田口益充のことかな)になっています。

 この調子ですから、島崎貞夫を高橋国光に間違えるのも納得です。
1961年125㏄ドイツGP6位は誰?

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