これで取り合えず終わりにします。
52-55頁ですが、例えば
52頁と55頁の各車の車重を比べるとかなり食い違っています。
52頁の0W20のシリンダーピッチ値が間違っています。
53頁の各年のワークス出場台数の間違いが多いです。
53頁の75年の0W23がピストンバルブになっています。
というように間違いが多いですね。
7頁に「長らくケニーのために0Wの開発を務めた河崎裕之氏が言った」とありますが、河崎氏は1977~1982年にスズキに乗っていたのですが、1983年1年が「長らく」なのでしょうか。
それ以外にも間違い、おかしな表現が少なくなくきりがないので、とりあえずこれくらいにしておきます。
Vol2で初めて知ったことも少なくなく、また、こういうものを出していただいたことに感謝しています。しかし、、Vol1の出来が感動的だっただけに少し残念です。もう少し時間をかけてデータ、文章をチェックしてほしいところです。
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続きです。
98頁のロバーツの写真について「この頃まだagvの安全性を信用してなくて、プラクティスや予選ではBELLを被ってたんですね」とあります。
この写真と28頁上の写真と比べてみれば、これが第1戦イタリアGPで撮影されたものであることがわかります。
さて、ロバーツのつなぎは1979年のものです。また、
http://noda-kenichi.hp.infoseek.co.jp/ow48/ow48-1.htm
の第1戦のところで分るように、第1戦のプラクティスで既に、1980仕様つなぎ、agvヘルメットを着用しています。一方、GPシーズン前のイモラ200ではベルヘルメット+1979仕様つなぎです。
本来の第1戦ベネズエラGPが資金的な問題、次のオーストリアGPが季節外れの大雪で中止されたのですが、イタリアGPからヘルメット、つなぎが変わるはずだったが、写真の時点では間に合わなかったのではないか、件の写真は土日の公式予選(official practice)で撮影されたものではなく、木曜日ぐらいに撮影されたものではないか、と想像しています。
少なくとも第2戦以降の公式予選等で確認できるのはagvヘルメットのみでベルヘルメットは確認できません。
次に25頁に1981年の体制について「このシーズンからようやくヤマハ本社契約となり、~インタカラーではなくヤマハワークスカラーとなったマシン~」とあり、75頁のQ92でも「単純にヤマハ本社契約となったから」とあります。
私の記憶では1980年のチーム体制について、当時のMoto Rider誌(シーズン前の号)では「ヤマハ本社契約となったが、インターカラーのままになった」というような記事があったかと思います。
1967年日本GPでカワサキ125cc4気筒KR3(KA-Ⅱ)が登場します。そして、金谷、森下が3、4位入賞しますが、もう1人カワサキに乗ったライダーがいます。ホンダで有名な谷口尚己です。(敬称略)
しかし、谷口選手のマシンは、スタートでエンジンがかからずリタイアしています。
谷口選手のマシンについて
http://noda-kenichi.hp.infoseek.co.jp/rs67/rs67-1.htm
では、KR3としてきました。当時の雑誌等をみてもそのあたりの記述はありません。
で、そこに掲載した写真
http://noda-kenichi.hp.infoseek.co.jp/rs67/s7-jgp-2.jpg
の元の写真をよくみると、谷口選手のマシンは他の2人のマシンと明らかに異なり、エンジン部分の幅が大きく見えますので、谷口選手のマシンはKR2に修正しました。
http://www.geocities.jp/noda_keni/y/ow31/ow31.htm
の末尾に0W31-E-808について追記しました。
リンク先サイトではエンジンについてしか0W31に関わる記述がないので、車体はTZ750ベースかもしれません。