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JFRMCブログ

JFRMCについてのメモです。

1964年のホンダ2RC146

先日、大和ミュージアムに展示されているゼロ戦を見てきました。

 で、標題の記事。
http://apps.mobilityland.co.jp/hch/search/products/38

ですが、「'64年マン島TTで1-3位独占。12戦9勝して~

 1964年の125㏄クラスは全11戦です。ホンダは第1戦USGPを欠場し10戦に出場し、7勝しています。
 「12戦9勝」は1963年のスズキの戦績で、スズキは12戦中10戦に出場し9勝しました。


 「27PS / 17,000rpm」

 
「世界二輪グランプリレースに出場したホンダレース用エンジンの開発史(1994「HONDA R&D Technical Review」では、25.5PS/16500rpmです。
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1975年のヤマハ0W16

前回から4箇月もご無沙汰してしまいました。
ちょっと体調等等問題があって。
気楽に続けていきたいと思います。

ヤマハコミュニケーションプラザに展示されている1975年型の0W16(YZR350)の説明
「1974年ジャコモ・アゴスチーニ、1975年ジョニー・チェコットのチャンピオン獲得に貢献した。」

 セコットは1975年グランプリでは250㏄と350㏄に参戦しました。250㏄クラスではシーズン前半に0W16の250㏄版:0W17(2本ショック仕様)に乗り、オランダGPからモノサス仕様になりました。

 で、350㏄クラスでは0W16ではなくTZ350に乗り、シーズン後半にはTZ350エンジン+ビモータフレームになりました。

 つまり、上の説明は誤りです。0W16モノサス仕様が1975年に登場し、セコットがヤマハに乗りチャンピオンになったのだから、マシンは0W16のはずというライター氏の思い込みによるものと思われます。

マイク・ヘイルウッドとドゥカティ

こんな記事があった。
http://www.virginducati.com/manofducati/md02/

(写真説明)「マイク・ヘイルウッド、19歳。ドゥカティの2気筒175ccレーサーをテストした。この後、彼はこのマシンでGP優勝を果たす」
(本文)「175ccレーサーを駆って最初の3レースをすべて3位入賞、アルスターでは初のGP優勝をもぎ取り、スタンの期待に応えるのだった」

 世界選手権に175㏄クラスはない。そしてヘイルウッドのGP初優勝は1959年アルスターGP125㏄クラス。

「1957年、175ccのMVアグスタが彼にとって初めてのレーシングオートバイだった」

 125㏄の誤り。ライター氏は175㏄と125㏄の区別がつかないようだ。

 「翌年から彼はホンダ・ワークスチームに参加し、マン島TTではホンダとマンクス・ノートンで優勝、さらに250cc世界GPでは三回の優勝を果たし、シリーズチャンピオンも獲得するのである」

 ヘイルウッドは1961年250㏄クラスで4勝している。マン島でのホンダによる優勝のクラス(250㏄)が書かれていないので、よく分らない文になっている。

「翌62年にはMVアグスタに乗り500㏄世界GPをも制覇、チームメイトのジャコモ・アゴスチーニとともにMVアグスタのレース史に華々しい成績を残している」

 アゴスチーニがヘイルウッドのチームメイトだったのは1965年だけだが・・・なお、ヘイルウッドは1961年後半にはMVに乗っている。

「その後、再びホンダに戻ったヘイルウッドだが、計77回ものGP優勝という記録を持った彼をしても」

 76回の誤り。

「74年にニュルブルクリンクで大クラッシュに見舞われて、ヘイルウッドは左足を損傷する」

 右足の誤り。ヘイルウッドは本来、右足シフト/左足後ブレーキだったが、右足が不自由になったため、1978年の二輪カムバックの際には右足後ブレーキ/左足シフトに変えていた。

 他にもおかしな記述はあるが、これくらいにしておこう。



忘れられたヤマハ0W17

1973年、ヤマハは水冷市販レーサー・TZ350/TZ250を登場させる一方、新たに350㏄、250㏄のファクトリーマシン0W16/0W17も登場させました。700㏄/500㏄4気筒プロジェクトはプロジェクト名・0W19で機種記号はそれぞれ0W19、0W20でしたが、2気筒350㏄/250ccもプロジェクト名・0W16だったと思われます。

 250㏄クラスでは1973年第1戦フランス、オーストリア、ドイツとサーリネン+0W17が
3連勝、第4戦イタリアの事故でサーリネンが死亡すると、シーズン後半からランシボリに0W17が与えられました。
 また、350㏄の0W16もシーズン後半(多分)に登場、ランシボリに与えられました。
 1973年後半、ランシボリが全てのレースで0W16/0W17に乗ったのかどうかは分りませんが、ランシボリは1973年後半、250㏄クラスで2勝、350㏄クラスで2勝しています。

 1974年に0W17は姿を見せず0W16のみが走り、アゴスチーニが5勝、ランシボリが1勝しています。

 1975年には前年の0W16をベースにした0W17(ツインショック)がセコット、高井(シーズン前半のみ)に与えられ、セコットが1勝、そして第6戦オランダで1975年型0W17(モノショック)が登場して第7戦ベルギーで1勝します。

 なお、0W16は350㏄クラスでアゴスチーニ、金谷が各1勝しています。

 こんな戦績の0W16/0W17ですが、
https://www.yamahamotogp.com/500-victories/bikes?filterby=years&filter=&order=asc
では0W17が全く登場しませんし、0W16も1974年のみ6勝したことになっています。

 1972年の水冷YZ634/635(350CC/250CC)も忘れられていますし・・・

ヤマハ 0W23は1974年に1勝したか?

https://www.yamahamotogp.com/500-victories/bikes?filterby=years&filter=&order=asc
 0W23が1974、1975年に6勝したことになっています。1975年にヤマハは500㏄クラスで5勝していますので、0W23が1974年に1勝したということになります。

 ヤマハ0W23は1974年ベルギーGPで登場しアゴスチーニが乗り2位でしたが、チームメイトのランシボリは0W20に乗りました。次戦スエーデンGPでランシボリが優勝したのですが、ランシボリは0W23に乗ることはなく、スエーデン、フィンランド、チェコスロバキア(最終戦)と0W20に乗りました。つまり0W23は1974年に1勝していません。したがって、同頁中の0W20の優勝回数も誤り。
 詳細はこちら。http://jfrmc.ganriki.net/ow23/ow20-2.htm

「0W23がベルギーGPで登場したのだから、その後のヤマハの戦績はライダーに関係なく0W23によるもの」とヤマハのサイトのライター氏(委託?)が思ったのでしょう。あるいは従来の誤り記事をそのまま写したのでしょうか。

 写真はチェコスロバキアGPでのランシボリ。0W20と0W23の区別がつかない方には無意味ですが。

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