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レーシングマシンについての記事は「その他」にもあります。

RACERS Volume 48

RACERS volume 48 (ganriki.net)

を2018年2月に公開していました。その冒頭に書いていたように、ライター氏が当時の750㏄レースの状況を全く把握しないまま書いた記事が多く、読むのが苦痛なぐらいでしたので校正記事も限定的なものでしたが、この度、写真等を追加して書き足しました。

 ところで、記事には書きませんでしたが、私の知る限りではヤマハTZ750の国際レースにおける初優勝は次のとおりです。

レース:1973/74マルボロ・シリーズ第3戦ウェリントン(ニュージーランド) 1974年1月6日
ライダー:John Boote

John Boote in 1974 Classic Motorcycle Pictures (vintagebike.co.uk)

ヤマハニュース(英語版)の記事
086_YamahaNews_E_1974.pdf (yamaha-motor.com)


当時、モーターサイクリスト誌にも少し記事があった記憶です。




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0W81 B 503 あるいはQW81 B 503

The Mizz on X: "YZR500(0W81)'85 フレームNo.0W81 B 503(打刻ガタガタ過ぎません?w) こちらも平忠彦さんのマシン、全日本500ccクラス3連覇達成車 https://t.co/K8ooonKFjo" / X (twitter.com)

  確かに最初の文字は「Q」に見えます。私がこのマシンを初めて見たのは2003年のYZR500展(コミュニケーションプラザ)でしたが、この時、すでにこの字体でした。ただ、私は「Q」なのか「0に傷が付いた」のかわかりません。

 ところで、このマシンはフレーム番号からすると1985年型ですが、2003年11月にYZR500展に来られていた中島雅彦さんにお聞きしますと「車体は1985年型だがエンジンは1986年仕様」とのことでした。
 

 中島雅彦さんについてはこちら

決勝終了後のコメント:中島 雅彦FIAT YAMAHA TEAM総監督 - 2009MotoGP第2戦 日本GPスペシャルサイト | ヤマハ発動機株式会社 (yamaha-motor.co.jp)

ヤマハオートセンター(レッドバロン)特別仕様のRZ250

 某駐屯地に置かれていました。


 当時のパンフレットから
今なお人気で価格も高騰中! 誕生40周年を迎えたヤマハ・RZ250ヒストリー【2020年で○周年!のモデルたち】 | モーサイ (mc-web.jp)



 塗装等では前フォークぐらいしか違いが分かりません。当時、300台限定だったということですが、オリジナルの塗装のままなのでしょうか?

 輸出用にこのカラーリングのものがあったようですが、今回のもののバックミラーは国内仕様です。


 駐屯地所在地の管轄陸運局とは遠く離れた陸運局のナンバープレートでしたので、転勤族の幹部自衛官の愛車なのかな?



商標権の侵害?

(5) motodowellの姐 on X: "「RZ-25の署名活動をお願いします」 ヤマハ発動機株式会社様より、RZ-25の車体に「モトドーウェル」で「YAMAHAステッカーを貼るな」と要請されてる事に対して、今後もカスタムへの無駄な制限を設けないために、これの撤廃を要求します。… https://t.co/r4CvuvQVUS" / X (twitter.com)


 1980年発売のヤマハRZ250のデザインを模倣した完成車を製作して商売している法人の言い分です。

 本当にヤマハ発動機からの要請だとすると、ヤマハの対応は寛容だと思います。

 ところで、「RZ250」という商標は次のとおり出願がされていますが、

出願日 令和5(2023)年 4月 12日
先願権発生日 令和5(2023)年 4月 12日
公開日 令和5(2023)年 4月 20日

 しかし、次のとおり拒絶されています。

起案日  令和 5年 9月12日
適用条文 第3条第1項第5号
 この商標登録出願については、商標登録をすることができない次の理由がありますので、商標法第15条の2(又は同法第15条の3第1項)に基づきその理由を通知します。
 これについて意見があれば、この書面発送の日から40日以内に意見書を提出してください。
 なお、意見書の提出があったときは、商標登録の可否について再度審査することになります。

 すでに40日経過していますが、意見書提出期限の延長請求が行われています。

特許情報プラットフォーム|J-PlatPat [JPP] (inpit.go.jp)

レジェンドライダー

「汚れた英雄」のモデルにもなった “伝説のRacingチーム”を知っていますか? “最速の男”たち、 “本物の男”とは、何と“謙虚な人々”なのか「素晴らしき人間性」に恐れおののく、日本、レース界のレジェンドが一堂に会す!|ワールドジェットスポーツマガジン (wjsm.co.jp)

 多くの面々の中で、私が現役時代の走りを見たのは、片山さん、水谷さん、清原さんです。ただ、片山さんは早くから世界GPに参戦しており、1976~1980年には日本国内レースで走りませんでしたし、ホンダと契約してからも日本で走るのは限定的でしたから、私が見たのは1982年日本GPプラクティス(レースは台風で中止)、1984年日本GPだけでした。
 ただ、1979年にお会いしてサインをいただき、握手していただいたのが大きな思い出です。

 いろんなイベントで走るのを見たのは本橋さん、北野さん。宇野さんもあるイベントでお見かけしたことがあります。

 ところで、記事中、本橋さんの紹介で、
「1966年(昭和41年)日本125cc3位、1967年(昭和42年)マン島125cc3位、日本250cc2位と、GPレースで3つの表彰台を獲得した。」
とありますが、赤字は250㏄の誤りです。

 ヤマハの公式サイト
本橋明泰 - レース情報 | ヤマハ発動機 (yamaha-motor.com)
でも間違えていますので、この間違い記事を引用したのでしょうか。

 ヤマハの公式サイトでも、こちら
1966年 - レース情報 | ヤマハ発動機 (yamaha-motor.com)
では、本橋さんが1966年日本GP250㏄で3位入賞したとしています(正解)。

 ただし、「The Riders & The Machine」の250㏄マシンでRD05Aとなっているのは誤りで、本橋さんとMike DuffはRD56、他のライダーがRD05です。そう、リード、アイビー、長谷川が水冷70度V型4気筒のRD05に乗ったのに対して、本橋さんは空冷並列2気筒のRD56を与えられ3位入賞したのです。


 1966年日本GPでの本橋・ヤマハRD56






 

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