レーシングマシンについての記事は「その他」にもあります。
前回紹介したホンダCB125SのRSCキット(1973)の最高出力20.8PS/12000rpm発揮時の正味平均有効圧は12.57kgf/cm2です。これは変速機出力軸での値ですので、変速機伝達効率0.95としてクランク軸に換算すると13.23kgf/cm2になります。
同様に1960年台のF1エンジン、F2エンジンについても計算してみます。出力の出典は「ホンダエンジン開発史(四ストロークサイクルエンジンの基礎確立まで)」(八木静夫)です。備考は本頁末をご覧ください。
270~272はクランクシャフト中央動力取出しで、RCレーサーと同様に動力が伝達されるのでクランクシャフトでの出力測定は困難なはず。このため動力伝達効率0.95で除した値も記載した。
273~301もクランクシャフト中央動力取出しですが、変速機は別構造なので動力取出し軸で出力測定されていたと思われます。
上表で分るように正味平均有効圧が年とともに増加していることが分ります。
備考
正味平均有効圧(bmep)は排気量当たりトルクと比例関係にあり、異なる排気量の性能比較の際に用いられます。関係式は次のとおり。
出力PS=排気量(L)×bmep(kgf/cm2)×回転数(rpm)/900
k005:1.5リッターV12気筒エンジン製作前にテスト用に製作された250㏄V型2気
270~301:RA270~RA301
300:RA300のエンジンはRA273E
303:RA300Eとしても知られているF2エンジン
546:RA302Eとしても知られているF2エンジン
機種名が2段あるのは開発過程で出力向上したもの
★:原典では222だが、原典に記載された正味平均有効圧からすると220
▲:原典では9900だが、原典に記載された正味平均有効圧からすると9000
1963年以降、雑誌記事では
1961年型250㏄4気筒 RC162
1962年型250㏄4気筒 RC163
とされていましたが、1994年に元ホンダ技術者の八木静夫氏が書かれた
世界二輪グランプリレースに出場したホンダ レース用エンジンの開発史 | 本田技術研究所 論文サイト (hondarandd.jp)
では
RC162:1961年初戦スペインから連戦連勝
1962年初戦から9連勝
RC163:第1回全日本選手権(鈴鹿)用(注:世界GP後)
RC164:1963年用
2RC164:1964年8月のアイルランドまで
となっています。なお、1961年初戦(第1戦)スペインではRC161のみが走りRC162は走っていません。
また、1964年アルスターGP(北アイルランド)の後のイタリアGPでレッドマンは6気筒RC165(3RC164)に乗り換えましたが、2RC164は他のライダーの手によってイタリアGP、日本GPを走りましたし、1965年にもブルース・ビールが何戦か走らせています。
さて、これはRC162E-50001。
これはRC162E-50017。
シリンダーヘッドとシリンダーの冷却フィンの一部が欠けていますが、50001と同型です。
これはRC163E-110。
クランクケース下側の形状、クランク端カバー形状、シリンダー後部ギアトレーン部蓋、シリンダーヘッド前端部形状、吸気管長等々が異なります。
さて、1966年までホンダのファクトリーライダーだったルイジ・タベリは、引退後も手元に125㏄5気筒と250㏄4気筒を保有し様々なイベントで走らせていましたが、その250㏄4気筒をHarry Miethが入手してレストアしました。
このエンジンはRC163Eです。
1962年全日本選手権ではジム・レッドマン、トミー・ロブ、田中楨助、北野元がホンダの250㏄4気筒に乗りましたが、4人が全てRC163に乗ったとしても4台です。
八木静夫氏が書いたように1962年全日本選手権でRC163が役目を終えたとすると次の疑問が生じます。
●日本に現存するRC163E-110の「110」は「1番目の型の10号機」を示すと思われるが、(欠番がないとして)なぜ10基以上も作られたのか?テスト用があるとしても多すぎるのではないか?
●なぜRC163が日本を離れてタベリの元にあったのか?
というようなことを含めて記事にしようと思います。
参考まで、前回載せたRC164E-102。