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JFRMCブログ

レーシングマシンについての記事は「その他」にもあります。

基本の理解は重要

記事を公開しました。
 http://jfrmc.ganriki.net/zakkan/rikai/rikai.htm

 専門ではないことですが、ちょっと勉強してみました。頭の体操に丁度よかったと思います。


 この論文、他にもおかしなことがてんこ盛りです。学生がこんな論文を書けば0点になると思うのですが、教授・研究所長になると違うようです。
 
 
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2014 GPレーサーミーティング

     2014年10月12日、中山サーキット(岡山県)で4輪のイベントに併催という形で開催されました。台風の接近で天気が心配されましたが、天気サイトの予報では曇(マスコミが報じる天気予報では危なかった)。実際は薄曇りで時々太陽が顔を覗かせるいい天気になりました。

 
    カワサキH1RAS。H1R(500cc2ストローク空冷3気筒)の発展型で、シートレールを低くしたフレーム、長いスイングアームが特徴。このマシンが走行。

 
    カワサキA7RA。350㏄市販レーサーA7R(2ストローク空冷2気筒)の発展型で、フレーム形状が変更。クラッチも乾式。

 
    カワサキA1R。250㏄市販レーサー、2ストローク空冷2気筒。


 ヤマハTR-2。350㏄市販レーサー、2ストローク空冷2気筒。

 
   ホンダCR110。50cc市販レーサー、4ストローク単気筒、8段変速。このマシンが走行。
  


 スズキRT66。    1966年型125㏄ファクトリーマシン、2ストローク水冷2気筒、9段変速。フレームはアルミとスチールがあり、これは後者。


    ブリヂストンEJR-3。1966年最終戦日本GPに登場した50ccファクトリーマシンで2ストローク2気筒・14段変速。エンジン始動のみ実施。

 
 ヤマティ50GP。1960年代にオランダで製作された50cc2ストローク単気筒9段変速レーサー。クランクケースは正に「箱」。スズキレーサーのパーツが各所に使われている。エンジン始動のみ実施。レストア記事はこちら


 MBA125。1975年、モルビデリの2ストローク125㏄水冷2気筒が世界GP125㏄タイトルを手にし、その翌年に登場した市販型がMBA125。MBAは「モルビデリ・ベネリ・アルミ」で、アルミはアルミニウムではなくarmi。


 Van VEENクライトラー50。1975年頃。


 ブルタコTS200。

 
 HRDビンセントTT。  

 かつて全日本選手権等で活躍された毛利良一さん、山本隆さん(ブログ)も姿を見せました。

 走行ではCR110が快調な音を響かせてくれました。H1RASにとってはコースが狭すぎ本領発揮という訳にはいきませんでしたが、迫力のある排気音で威圧してくれました。そして、EJR-3、ヤマティ50のウォームアップでは、消音器のない2ストロークレーシングエンジンの弾ける音を楽しむことができ、遠征した甲斐がありました。

 主催者は丹治さんという方で、本イベントが成功したのは、丹治さんのご尽力、そしてマシンを持参された方々のご協力によるもので、感謝いたします。そして、このようなイベントがさらに盛り上がることを期待しています。
 

番外

 ロータックス250。展示場所の端に置かれていたレーシングカート(サーキット所有?)の250㏄2ストローク・タンデム2気筒レーシングエンジン。1980年代にGP250で活躍。


 

GPレーサーミーティング(中山サーキット)


http://majorica-t.com/xo-majo/modules/newbb/viewtopic.php?topic_id=476&forum=1&post_id=506#forumpost506
 
告知されています。

当日のスケジュールは
http://majorica-t.com/xo-majo/modules/mydownloads/2014/20141012time_squ.pdf
 

天気が心配。

ウェイン・レイニーの1990YZR500

http://www.motorcycledaily.com/2014/07/you-can-buy-wayne-raineys-title-winning-1990-yamaha-yzr-500-for-170000/

画像からすると、フレーム番号9004かな。

ハンドリングのヤマハ(4)

http://global.yamaha-motor.com/jp/yamahastyle/yamaha-handling/list/vol04/01.html

今回はなかなか興味深い内容でした。

で、レース関係ですが・・・

根本健氏(後列右側) 1973年フランス・マクルーニサーキットにて
1972年のMFJのMVPを獲得し、 その特典として授与された世界一周チケットにて旅行中の一葉。前列左端が毛利良一選手、左から3人目がパトリック・ポンス、右端がオリビエ・シュバリエ」

という写真説明。

根本健氏がセニア750㏄クラスチャンピオンになったのは1973年、そしてこの年に毛利良一選手がEJ(エキスパートジュニア)125㏄チャンピオンになっています。1972年、毛利良一選手はまだジュニアクラスでした。
http://www.superbike.jp/superbike/page5.html

ですから、この写真は1972年ではなく「1973年のMFJのMVPを獲得し、その特典」としてのものです。

 また、マクルーニというサーキットがあったのでしょうか。Magny-Coursサーキットは有名ですが・・・

 なお、根本氏が1973年、セニア750㏄のチャンピオンを獲得した陰には、ちょっとしたカラクリがあるのですが(不正があったというような問題ではありません。根本氏は正々堂々タイトルを手にされました)、機会があれば書きます。

(2015.11.29加筆)
既に次のように修正されている。
根本健氏(後列右側) 1973年フランス・マニクールサーキットにて
1973年のMFJのMVPを獲得し

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