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1974年、ヤマハTZ750(694㏄2ストローク水冷並列4気筒)がデイトナ200マイルに登場します。レースは3月10日に行われたのですが、そのクオリファイ(プラクティス)に先立つ3月5日に最高速計測が行われ、ヤマハファクトリーチームの金谷秀夫(TZ750)が191.88mph(308.8km/h※1)を記録しました。
クオリファイの前に行われたこと、そしてその速度から、下図のインフィールド、ストレート終部のシケインは使用されなかったものと思われます。
シケインなし・インフィールドありの1972年の276.4km/h(スズキTR750、ジョディ・ニコラス)から32km/hも向上したのですが、1972年型スズキTR750の最高出力は100bhp※2で、TZ750のファクトリー仕様の最高出力が115PSだったとすれば、この速度差は出力向上とコースの違い※3である程度説明できます。
また、速度差の要因としてタイヤの進歩も考えられます。1974年のクオリファイのトップタイムは2分8.06秒(ポール・スマート、スズキTR750(XR11))で、1973年のトップタイム・2分15.70秒(ポール・スマート、スズキTR750(XR11))を7.64秒更新したのですが、このタイム差は出力向上だけでは説明できません。
おそらく、1974年は
1 タイヤが進歩しコーナーリングスピードが向上したこと
2 低速からの加速区間で(タイヤグリップが向上し)全力加速できなかった区間が短くなったこと
3 タイヤ、マシンが進歩し、バンクでの安定性が向上しスロットル開けられるようになったこと
が大きく寄与していると思われます。1、2についてはインフィールドを使用しないのであれば最高速への影響は僅かなものですが、3は309km/hにある程度寄与していたと思われます。
※1 当時のMC誌、AB誌では307km/hとなっていたが、これも例によって1マイルを1.6000kmとしたもの
※2 出典:TEAM SUZUKI by Ray Battersby, Osprey 1982/Parker House 2008
1973年型は107bhp、1974年型は110bhp。
出力測定が日本側で行われたのなら、このbhpはメートル法馬力と思われる。また、変速機出力軸での測定だろう。
※3 下側のベンドを抜けてからの加速距離は2.3kmに及ぶ。また、このベンドも30度程度の曲がりで、しかも半径が大きく10度のバンクだから脱出速度はかなり早いはず。