レーシングマシンについての記事は「その他」にもあります。
カワサキW1が登場した1966年、そのレーサーがMCFAJ第7回クラブマンレース(3月、富士スピードウエイ)のジュニア350㏄で金谷秀夫の手により走りました。賞典外ですが2位でゴールしたとのこと。
1966年3月クラブマンレース (iom1960.com)
こちらにもW1レーサーについて書かれています。
M-BASE エムベース | カワサキWの誕生から終焉まで (mikipress.
カワサキOBの古谷さんのブログにも
W1の時代 カワサキ単車の昔話 - 雑感日記 (goo.ne.jp)
モトクロスに出場したこともあります。カワサキの種子島さんの回想(ライダースクラブ1982-3)では
〇ライダーはテストライダーの山本信行
〇1971年春の全日本選手権関西大会(神鍋(兵庫県))
〇ノービスクラス、他に竹沢正治、杉尾良文、清原明彦なんぞのカワサキテストライダー勢もひしめく
〇予選で転倒し負傷したが決勝に出場し転倒・リタイア
神鍋では全日本選手権モトクロスが3回行われたようです。
1970年11月3日
1971年9月12日
1972年6月3-4日(日本GP、ホンダ初優勝としても有名)
「神鍋観光60年史」(神鍋観光協会)では「モトクロス大会(45・11)も大好評であったが、山肌を荒廃させるため2回で中止となった」(2回は3回の誤り)とあり、1970年11月3日が1回目で間違いないと考えられます。
さて、種子島氏のいう「1971年春」に全日本選手権はありませんし、「春」に限っても全日本選手権は行われていません。
神鍋で関西選手権が行われた可能性もありますが、1971年のレースカレンダーの3~5月を見ても神鍋でモトクロスが行われた様子はありません。
また、1970年に竹沢、杉尾、清原はノービスで、1971年にジュニアになります。
こうしたことからW1モトクロッサーが神鍋大会に出場したのは1970年11月3日の可能性が高いのではないかと考えます。
この大会のノービスクラスは50、90、125、250、オープンの5クラスが行われ、W1が出場したのはオープンクラスでしょう。