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レーシングマシンについての記事は「その他」にもあります。

清原さん(2)


15分30秒あたりからKR500と市販スズキRG500※について語っています。

 推定時系列順にまとめると

1980年シーズン前半、片山敬済はスズキ市販RG500(80年型)で世界GPに参戦していた。

片山の帰国後、清原は片山から市販RG500の良さを聞いた。

1981年、清原は総監督、車体設計者に(KR500との比較テストのため)市販RG500を買うことを提案したが拒否された。

総監督、車体設計者がヨーロッパに行っている間に、清原は技術副部長に市販RG500購入を提案、SRS久保から500万円※で購入した。

谷田部でスプロケットも変更せずに最高速を測定したら282km/h※、KR500は265km/hだった。

FISCOに市販RG500を持ち込んだが、和田さん※が乗って転倒、マシンが全損したため、清原さんはFISCOで市販RG500に乗っていない。

ということです。



※清原さんは「RG500ガンマ」と語っていますが、市販レーサー・RG500のこと。RG500Γは一般市販車(公道用)の名称で、ファクトリーレーサーはRGΓ500。

※1981年型RG500の標準小売価格は230万円。清原さんの記憶違いか、実際に500万円だったのかは不明。

※Replica Vol.2: 永遠のレプリカ(内外出版社2014)掲載の清原さんインタビュー記事でも282km/hと語っています。また、この時、TZ700(TZ750と思われる)※もテストしたとのこと。

※「和田」は和田正宏と思われますが、和田さんは1979年シーズン後にカワサキを離れました。1981年のカワサキのテストに和田さんが参加したのでしょうか? あるいは和田さんが所属するチームもテストに来ており、和田さんが乗ったのでしょうか?
 
※本当にTZ750を1981年にテストしたとすれば、このTZ750はカワサキが持っていたものなのでしょうか? 1978年当時、カワサキがTZ750を持っていたようですが・・・
 あるいは和田さんが所属するチームが持っていたのか?


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清原さん



9:40あたりの1983年8時間の話です。

 カワサキフランスのジェラール・コードレイ/ジャック・コルヌのコードレイが予選で転倒したため、カワサキ明石のチームとして日下直一と組んでいた清原さんが急遽、コルヌと組むことになったのです。

 で、清原さんがマシンについて語ったのは

清原さんのKR1000(カワサキ明石) 16インチ前ホイール
コルヌのKR1000(カワサキフランス) 18インチ前ホイール 補強だらけ

ということですが、実際、カワサキフランスKR1000にはフレームバックボーン中央からダウンチューブ中央を結ぶパイプが追加されていました。

 かつてのライダーは昔のマシンのことをよく覚えていないことが多いのですが、40年以上前のことをはっきり覚えている清原さんの記憶力には驚かされます。

 ただ、コルヌはフランス人ではなくスイス人です。スイスではロードレース(2輪も4輪も)は禁止されていたため(今はどうか?)、ロードレースを志すライダーは近隣国等でレースライセンスを取得しレースに出場していたため、ライセンス籍=国籍と誤解されることがあったのです。
 この1983年8耐でも、レース前の選手紹介でコルヌがフランスのライダーとして紹介され、コルヌが猛抗議したのを覚えています。

 また、明石工場のテストコースですが、12分28秒あたりに出るループのあるコース図は、今の直線だけのコースとは別です。直線部分の位置も少し異なります。この話は別途します。






 



カワサキKR350

The MizzさんのX
(3) The Mizz (@_Mizz77) / X

で、KR350がオークションに出るという記事


1982 Kawasaki KR 350 – Charterhouse Motorcycle Auction

を知りました。しかし、写真はKR350ですが、説明がKR750についてのものです。エンジン番号62E~もKR750のものですし。

で、

1977 Kawasaki KR 750 – Charterhouse Motorcycle Auction

の記事をベースにKR350の記事を作成しようとして、肝心の記事を修正し忘れたもののようです。



 で、肝心のKR350ですが、エンジン番号の写真が不思議です。

これは https://charterhouse-bikes.com/wp-content/uploads/2025/12/thumbnail_IMG_2758_1600x1200.jpg

から切り取ったもの。


 右端の3文字は別の写真で「PER」と分ります。それ以外に、3文字と4文字(または3文字)が離れて打刻されています。

 私が確認したKR250、KR350のエンジン番号リスト。


KR250/KR350

 最初の文字は「61E」または「TE601」です。TE601の打刻の写真もKR250/KR350にあります。

 そして61Eの打刻。


 オークションマシンのエンジン番号打刻の字体・大きさはこれらとは全く異なります。このエンジン番号はカワサキが打刻したものなのでしょうか?




1983年型KR1000

https://jfrmc.ganriki.net/bekkan/k/kr1000/kr1000.htm

にこの写真を追加しました。

 2位入賞したジャン・ラフォン/パトリック・イゴアのKR1000で、レース当日、押されてスタート位置に向かうところです。

 スタート前1周のウォームアップラップは行われましたが、半数強のチームは走らず、直接、マシンを押してスタート位置に着けました(ライダースクラブ1983-10)。




1980年型カワサキKR1000


 1980年鈴鹿8時間(7月27日)で2位になったグレッグ・ハンスフォード/エディー・ローソンのKR1000です。公式予選は金曜日、土曜日に行われましたが、これは土曜日午前に撮影したもの(午後の4時間耐久の時は雨)。川崎重工業明石工場の作業服姿のメカニックがいい味を出しています。


 レースではスズキGS1000R(XR69)のグレーム・クロスビー/ウェス・クーリーと優勝を争いましたが、惜しくも40秒差で2位でした。


 レースでは夕方6時25分頃にローソンがピットイン、その時、クロスビーがピット前ストレートを通過、この時点でクロスビーが1位になったのですが、クロスビーがピット側を見て何回か頷いだようでした。
 クロスビーのペースは衰えず、ローソンから交代したハンスフォードとの差を広げていきます。そして6時45分頃にクロスビーがピットイン、燃料補給しマシン横に立つクーリーに代わるかと思ったら、そのままクロスビーがピットアウト、1位を保ったままコースに戻ったのです。
 クロスビーのペースは依然として衰えず、縮まったハンスフォードとの差を再び広げますが、7時10分頃にはさすがにペースダウン、ハンスフォードとの差を保ったまま7時31分にチェッカーを受けたのです。
 カワサキにとって、クロスビーの超人的奮闘に敗れたようなレースでした。


 ところで、この年のカワサキKR1000、スズキGS1000R、ホンダRS1000の排気音は特徴があり、極端に表現すると

カワサキ バリバリバリ・・・
スズキ  パーン
ホンダ  ギュルー

といった感じでした。あれから45年ですが、排気音、そしてレース終盤の光景は鮮明です。


 

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